第1話「お隣のユウさん」
こんにちは、僕は桐柳亮っていいます。
今年で14歳。受験を来年に控えた、中学二年生です。
とある県の地方都市しろがね市に住んでいます。通っている学校は県立のしろがね中学校です。
今日も授業が終わって、僕は家に帰ってきました。
「お、あきりゅーん、おかえりでしゅー」
玄関から部屋に行こうとすると、居間の方から声が聞こえてきました。僕の家族が住んでいるのはマンションなので、誰かが帰ってくるとすぐに分かります。
僕を呼んだのは、今年大学生になったばっかりの、大きいお姉ちゃん、桐柳詩織でした。
「しぃ姉ちゃん、ただいまー」
僕は部屋にかばんを置くと、居間に行きました。
そこには、テレビを見ながらスナック菓子を食べている大きいお姉ちゃんがいました。
……下着姿で。
「……しぃ姉ちゃん、またそんなカッコして、お母さんに怒られるよ?」
「いいんでしゅいいんでしゅ。しおり君は今、大学というちもみーりょーがちょーぼーりゃっこするじんがいかきょーから生きて帰った喜びを、こうしてフルパワー満喫中なのでしゅ!」
「魑魅魍魎が跳梁跋扈する人外魔境?」
「そうそれ!」
一つも合ってませんでした。
「ちぃ姉ちゃんは?」
「さっき会いましゅた!」
「どこに行ったかは?」
「ちりまちぇん! どーだ、参ったか!」
なんで腕を組んで胸を張っているのか、僕には分かりません。
ちぃ姉ちゃんというのは、僕より二つ上の、もう一人のお姉ちゃんのことです。高校二年生になります。
「ふーん、貸してたゲームソフト、返して欲しいんだけどなぁ……」
「お? お? なんのゲームでしゅか?」
そこで、しぃ姉ちゃんの目が輝きました。この人、割とゲーマーなんです。
僕は眉をひそめつつ答えます。
「ポンハン4。しぃ姉ちゃん、自分のソフト持ってるでしょ?」
「ははぁん、ポンハンでしゅか。まだまだ若い者には負けまちぇん!」
やるつもりないし。
なのに何でこの人は、下着姿でシャドーボクシングをしているんでしょうか。
まぁ、いいか、と思いながら、僕は居間を出ます。ちぃ姉ちゃんはこの時間なら帰ってきているでしょうから、きっと、お隣さんの部屋に行ってるのだと思います。
電灯のヒモを相手にシャドーボクシングを続けるしぃ姉ちゃんはスルーします。
あの人はスルーされることに慣れている、スルースルー力に優れた剛の者なので、あと数秒もしないうちにテレビの方に戻るでしょう。
僕は部屋を出て、お隣さんに行きます。
お隣さんの玄関に近づくと、「おりゃー」、という声が聞こえてきました。
ちぃ姉ちゃんの声です。やっぱり、こっちに来ていたみたいです。
僕は玄関に立って呼び鈴を押しましたが、十数えても、お隣さんは出てきません。
さっきのちぃ姉ちゃんの声からするに、二人で何かしているのかもしれません。
「えっと、お邪魔しま~す……」
僕は、ドアを開けました。
お隣さんの部屋には僕もよく遊びに行くので、この時間、ドアが開けっ放しになっていることは知っていました。
防犯云々という人もいますが、お隣さんの場合、それはあんまり気にしないでもいいかな、という気はします。
「えっと……、こっちかな」
ちぃ姉ちゃんの声は、部屋の奥の方から聞こえてきます。その中に、「ちょ、ちょっと待ってください……」という、弱弱しい声。
お隣さんの声です。疲れているのがはっきりと分かります。原因はおそらく、まぁ、言うまでもないけど、ちぃ姉ちゃんでしょう。
僕は、部屋に入る前になんとなく、申し訳ない気分になりました。
「ちぃ姉ちゃん、ユウさ~ん?」
ドアを開けてみると、やっぱり、そこにはお隣さんのお兄さん、ユウさんと、ちぃ姉ちゃんがいました。
「おりゃー! そこっ! 回復まだ!? おるぁあ! ちょっと、切れ味鈍ってるって! 砥石、砥石! あ、ユウ、そこ回避しろって! ボスダギャア来てるってー!」
「ちょ、まっ、待ってください、苺! 動きっ! 追いつけない、追いつけませんってー! わー! ダメージがー! 回復薬、回復薬ー!」
二人でポンハン4をやってました。
ダメです。これは、入り込む隙間がありません。
ポンハンをプレイ中の人間は修羅です。特に、戦闘がクライマックスになっているときは、誰にも止めることができません。
「い、苺ー! こっちヤバいんですけど、た、助けてくださぁい!」
「こっちも危ないの。分からない? 分からない? そっち行ってるヒマねーから! 死ぬなら一人で死ねぇい!」
「う、裏切りましたねー!?」
「恨むなら弱い自分を恨むがよいわぁ! フハーッハッハッハッハ……あ、死んだ」
「バチですね。バチが当たりましたね! 困っている人を助けないからそうなるんです! 分かりましたか? 分かったらもう二度と……あ、死んだ」
「…………」
「…………」
睨み合って、お互いのほっぺを無言でつねり合う二人。
ひどい修羅場を目撃した気分です。
「えっと、ユウさん? ちぃ姉ちゃん?」
僕が呼びかけると、やっと気づいたのか、ユウさんがハッとしてこちらに顔を向けてきました。
「あ、亮くん。来てたんですね。いらっしゃい」
居住いを正し、姿勢をよくするユウさんでしたが、ほっぺたをちぃ姉ちゃんにつねられたままです。
「あっきー、いつ来たの?」
「さっき。というか、そっちが死に掛けてるときだよ、ちぃ姉ちゃん」
僕がそう言うと、ちぃ姉ちゃんは不満そうに頬を膨らませて、ユウさんをまた睨みました。
「あっきー! ユウってば最低なんだ! ポンハン弱すぎだわ、こいつー!」
なぜ、それを僕に言うのか……。
「そ、そんなこと言われたって、昨日買ってきたばっかりのゲームですよ! そんなの、急に上手くなるはずないじゃないですか! ねぇ、亮くん?」
だからなぜ、僕に同意を求めるのか……。
「はぁー!? ユウは勇者だろー! このくらいのモンスター、どってことないだろー!」
プリプリ怒るちぃ姉ちゃんこと、桐柳苺に、ユウさんはグッと言葉を詰まらせた様子で、しかし、次の瞬間には拳を突き上げていました。
「分かりました! だったら二日待ってください、必ずや、ボスダギャアを狩ってきましょう。それだったら、いいですね?」
え、ちょっ……。
「フ~~ン、狩ってくる、ねぇ? ユウにそれができるん?」
「グギギギギ……」
悔しそうにしてるユウさんを見つつ、僕は思いました。ちぃ姉ちゃん、あおらないで。それ以上、あおらないで。
「いいでしょう、ならば一日で狩ってきて見せますよ!」
「え、あの、それって、ゲームで……?」
おそらくは、顔を青くしているであろう僕の問いに、ユウさんは真顔で即答しました。
「リアルに決まってるじゃないですか」
ほらやっぱり。
「やれるものならやってみろ~」
「ちぃ姉ちゃん、それ以上あおるのやめてー!」
僕は絶叫しました。しかし、
「勇者に二言はありません」
ダメだ。完全に決意しちゃってる。目に炎が燃えてるもん。
こうなると、ユウさんはもう、何を言っても譲らなくなってしまうのです。
え? 実際にモンスターを狩ることなんて、できないだろ、って?
それが、できるんです。
ユウさんは、本当に、リアルでモンスターを狩ることができるんです。
――彼の住んでいる、モンスターが実在する異世界で。
そして、翌日――
「苺! ボスダギャアを狩ってきましたよー!」
戦利品のボスダギャアのリアル生首を片手に抱え、ユウさんがうちに飛び込んできたのでした。
「血、滴ってるよ、ユウさん、床に、血がー!」
「大丈夫、狩りたてほやほやで新鮮ですから、生臭くありません!」
「そういうことじゃないからッ!」
「おー、確かにボスダギャアだねー(生首をペシペシ叩いてる姉)」
「食べるとどんな味がしゅるんでしゅかにぇ~(ヨダレ垂らして瞳輝かせてる姉)」
「即時適応するな、姉二人ー!」
というわけで……、
僕の家の隣には、異世界の勇者が住んでいます。