(7)
「おいしそー」
広げたお弁当を覗き込まれ声まで上げられた。えー……下の名前しかわからないんだけど、友紀ちゃんとかいきなり呼んでいいものなのか。名札を付ける義務がないのが仇になった。名字がわからない。喋った子達すらまだまだ危ういのに。
「……一個食べる?」
「いーい? やった、」
彼女は卵焼きに箸をのばし、ぱくりと一口。おいしい、とまた猫目が細くなった。
「塩派なんだ? うちと一緒」
「他にあるの?」
「甘いのとか。リュウんとこは出汁巻きだっけ、いつも」
「ですね」
「へえー……」
和食が出なかったわけじゃないけど、食文化の違いって改めてつっこまなかったからなあ……僕も卵焼きを口に入れ、おいしいなともぐもぐ。小枝子さん、料理上手だ。自分の母親が台所に立っていたのは随分前な気がするし、それだって端に家政婦さんがいた。家政婦さんがものすごくあたふたしていたなぁと思い出す。
母は家業に忙しい印象ばかりあって、一般的な母親像とは違う人だと思う。小さい時から礼儀作法に厳しく、僕と友龍には家政婦さんや家庭教師さんだとかがつきっきりだった。余所より二歩も三歩も先を叩き込まれ結果を求められたのは勉強に限らない。初めは二人で遊びの範疇だった取っ組み合いが、動きがいいからといつからか護身術だの格闘技だのと本格的に教わるようになっていて――男子に混ざってばんばん投げたり投げられたりできたのは、僕としては張り合いがあってよかったけれど。
「弥坂君は教室にいなかったんですか?」
「あー……うん、」
食べながら話していたのは専ら二人で、河合君に訊かれるまで僕は黙々と食べ進めていた。
「そういやいなかったわね。ここかと思ったんだけど」
「今日は見てないですよ」
「つまんないの」
「友紀さんは弥坂君好きですからね」
「まーねぇ? 嫌いじゃないけど」
さっきと話が違うよねとびっくりしたのだが、好きの意味が違ったようだ。
「あいつからかうの面白いじゃない。そういう意味では好きかな」
「打てば響きますしね、彼。最近無視を覚えたようですけど」
「でも結局反応するのよね。人がいいからさ」
完全無視はできない質っていうか、何だかんだで世話好きだし。
彼女がけらけら笑いながら言うのを僕はぽかんとして聞いていた。人がいい? 世話好き? どこら辺がとここ二日間を思い返してみるがそれらしい浩貴は思い当たらなかった。
「李君。どうかしましたか?」
「あー……いや、二人共浩貴と仲良いんだなぁと……」
「あたしは中学からで――弥坂は中学三年間クラス一緒でさ。何だかんだでつるんでたのよね。リュウは高校から。一年の時三人同じクラスだったの」
「ですね」
河合君と浩貴では名簿でいくと席が遠いような……いつ接点ができたんだろう。
「河合君と浩貴って何か、違うタイプな気が……」
「あたしがナンパしたのよ」
「は?!」
「そうでしたね。友紀さんとは席が隣でちょくちょく話してて――そこから弥坂君とも喋るようになったんです」
「あのー……違ったらゴメン。二人、付き合ってたり……?」
「そうよー弥坂も巻き込んで一年でぱっぱと釣り上げました!」
えっへん、と胸を張っている斜め向かいで「釣り上げられました」と河合君は微笑む。えー……笑っていいんだよねここは。
「そ、うなんだ……? へえーすごいな」
「すごいって何が?」
「や。そういう人ホントにいるんだなって」
【お付き合い】というものは僕にはすごく遠い場所にあると思っている。ややこしい経歴にも一因があるけれど【好き】という気持ちがお互い一致するというのは奇跡的な事な気がして。だから、そんな人達を尊敬する。
「結構いるわよー李君もその内告られたりするんじゃない」
「ないない」苦笑。「平均身長無いからね、僕」
自分が一般的な【女子の好きなタイプ】には当てはまりそうにないのは知っている。当てはまらなくていいんだけども。
「女子からしたら高いし。ってゆーか男は中身よ中身」
「はははっ。一般論はね」
「モテそうなのにねぇ……李君かわいい系だし。年上からとか無いの?」
「無いねえ……」
奥様受けがいいのは否定しないが。
「お母さん達から【あそこの息子さんはいい子】っていうぐらいだよ」
「ふーん?」
不思議そうにこちらを見つめる目はやっぱり猫みたいだ。
「あのー……今更ながら名前もう一回訊いていい?」
「あぁうん、白石 友紀です。ヨロシクね」
「白石さんね。白石さん。よし、覚えた」
「友紀でいいよ? 皆そうだし」
「そう?」
僕の勝手なイメージだが、男子からは名字呼びがデフォルトな気がするけれど。
「同性だし? 軽くでいいよーあたしもシャオって呼ぶ。仲良くしてね」
ぶふっ!!!
彼女の台詞に噎せたのは河合君だった。え、ちょっ、冷静キャラどこいった。
そして僕はというと、先に反応されたせいで呆然と二人を見返すしかできなかった。同性ってちょっと。いきなり何言い出したこの子――!
「ちょっ、友紀さん……」
「えー? だってさぁー」
「叱られますよ、弥坂君に」
「ただで叱られるわけないじゃん、あたしが」
白石さんはふふん、と得意げに鼻を鳴らす。いやちょっと待て。勝手に話進んでますけど僕に否定の余地は?! 自分で作るしかないだろう!
「違うから!」
「何が?」
「女じゃないからね僕。顔かわいいとか言われるけど男です、うん」
「………」
「………」
えー……? 何、この【何言い出したのこいつ】みたいな驚き顔。その内白石さんが吹き出して、あははと声を上げて笑う始末。どうしたらいいのかこの状況。乗り切らずして何とする!
「そんな、笑えるぐらい女の子っぽい顔かな? 僕」
むっとして二人を見据えると、河合君が眉尻を下げて「すみません李君」と謝ってくれた。わかってくれたらいいやとほっとしたのはほんの僅かな間で。
「僕らは知ってます」
「……何が」
「君が実際は女性で、でも立場上【男性】でいなきゃいけないというお話をです」
ドーーーン。
僕が受けた衝撃を擬音にすればこうだろう。ちょっと待って。会って数時間の相手にバレるぐらい僕って女の子に見えるんですか。違うよね。だって今まで全然こんな事なかったよ? この二人が鋭いわけ?……いや違う。河合君の口振りではただ単に見破っただけっていう感じじゃない。
この人達は浩貴の友達なわけで、つまり浩貴がどこかでぽろっとこぼしたというぐらいしか考えられない。そんな推論が僕の中で組み立てられる。
「……浩貴に何聞いた?」
「察しがいいわねー、そうそう。弥坂が感情だだ漏れなのが悪い」
「へえ……何を、どう聞いたのかな?」
「李君。顔がすごい事になってますが……」
うん。わかってても、顔、戻らない時はある。
「そーゆー子がいるって。いつだっけなぁ〜……中学ん時? リュウは最近話してたのよね。君が転入してくるって話から色々と」
渋った割によく喋った、と彼女は言い足してお茶を一口。よく喋ったのか浩貴。……ほほう?
「へぇ。……そう、」
そうかそうですか。そんなに嫌いですか僕が。そんなに僕が困るのが楽しいかあいつは。どういう経緯で僕が話題に上ったかは知らないが、友達であれ言っていい事と悪い事があるだろうにあん畜生――!
「だから、あたしらにはそこ気にしなくてオッケーって事で。……聞いてる?」
「……死ねばいい、ホント……!」
怒りに打ち震えて思わず本音が。ああ目眩がする。初日から色んな爆撃食らって僕もう帰りたい。
「……えー……弥坂君の処遇はともかく、味方は多い方がいいと思いませんか。君の事情を口外する気はありませんし、どちらかというと君には同情してますよ」
「……こんなのおかしいから?」
普通はそう思うだろう。一般人からすれば【頭おかしいよこいつの家】の一言に尽きる。河合君は「いやいや、」と苦笑を浮かべた。
「感じ方はそれぞれかと……君が僕と立場的に近いからです」
「えっ」
まさかの男装女子がここにも? と思ったら「こいつも跡取り息子なのよ」と白石さんが補足してくれた。まだ笑ってるよこの子。っていうか二人とも僕がこんな成りなのを最初から笑ってたのか、もしかして。(勘ぐりすぎ?)それはそれでまた別の恥ずかしさがあったりなかったりで悶えそうになる。
「聞いた感じ、似たような家庭環境なので。共感できる部分が多いなと……」
「お家第一ってさあ、今時流行りじゃないわよねー」
「まあ、流行りではありませんけどね。それが当たり前だという環境で育ってきてると不思議に思わないものなんでしょう」
大人は特にね、という彼の声はどこか他人事のような響きがあって。
「河合君とこは何してるの」
「簡単に言えばお茶屋さんですかね?」
……何故、疑問系。
「手広くやってるわよねーお茶屋さんからカフェ、料亭、アパレル関係はお姉さん始動だっけ? とにかくいいとこの坊っちゃんなわけよ。資産家さん? そこの末っ子長男だからもう期待の星的な?」
「わー……すごっ……」
「君も大差ないでしょうに」
いやいや。うちはただ昔からあるだけでそんなに手広くやってないですからね。大差ありますようん。
河合君、もしかしたら僕の家の事知ってるのかな? 海外企業だから守備範囲じゃない? まあそれはどちらでもいいとして……どうしてくれるんだこの脱力感。
「つまりね、金持ちの家の子はどっかおかしいもんだよねってゆー話よ。だから大丈夫!」
「……だい、じょうぶ、とは……?」
不安だ。こんな事態初めてでどうなるのか激しく不安だ。顔にも声にも出ていたようで、見かねた風に河合君がにこりと笑った。
「単純に、君が僕らを信用してくれればいいんじゃないですか? 君も弥坂君の友人なわけですし、お互い悪いようにはならないと思いますよ」
「浩貴繋がりで、ねぇ……?」
まだ不安だ。
「僕らに君を貶める理由も利点も無い。――ああ。そんな気、端から無いですからご安心を」
「う、うーん………」
どうなのかなと唸っていたら、隣でパンッ! と両手を打つ音が。ビックリしたもう……!
「細かいことは気にしなーい! シャオもせっかくこっちにいられるんだし、がっつり楽しめばいいのよ。ねっ! そんであたしはシャオと仲良く楽しくやりたい!」
「へ……?」
「ですね。それに尽きます」
満面の笑みと抜群のノリに押され「はあ、じゃあ、よろしくお願いしますスミマセン……」と恐縮しながら返すので精一杯だった。
流された。こうなったら流されてもいいかと半ば投げやりな心地でもあったけれど、今の所二人が悪い人には思えない。言葉を信じてみればいいか、うん。友情の第一歩。多分。
ああ……今はとにかく浩貴に焼き入れたい。力一杯。
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