(2)
ただいま、と浩貴が告げると、奥からばたばたっと足音が聞こえてきた。
「おかえり! 会えたっ?」
出てきたのはセミロングの女性。おばさん――小枝子さんは昔とそう変わりないようで少しほっとした。
「こんにちは、お久しぶりです」
「やーんシャオちゃん! いらっしゃい、よく来たわねぇっ」
小枝子さんは思いっ切り僕を抱き締める。あわわ、と初っ端から高いテンションに驚きつつされるがままだ。ちゃん付けなんかで呼ばれるのは久しぶりでそこも変わりないなと苦笑い。
「大きくなったわねぇ。見違えちゃった」
「そ、そうですか?」
「写真では見てたけど、こんなにおっきくなってたのね。子どもの成長って早いわー」
にこにこと笑顔でそう言いつつ、小枝子さんはよしよしと頭を撫でてくれた。何だか照れくさい。
「さあさあ上がって。疲れたでしょ? まずは一休み」
「あ、ありがとうございます。お邪魔します」
「これからシャオちゃんも家の子なんだから遠慮は無し無し。あ、靴はこの開きにあるからまた自分でも見てね」
もう片付けてくれたのかとびっくりした。荷物は1週間前ぐらいには届いていただろうけれど、おばさん仕事早っ。
改めて並ぶと少しだけ僕の方が目線が高い。小さい時はずっと見上げてばかりだったので何だか新鮮だ。リビングに通され「そっちにどうぞ。お茶かコーヒーどっちがいい?」と尋ねられたのでお茶をお願いした。浩貴はさっさと部屋に引き揚げようとしていたようなのだが――おばさんに止められて渋々といった態でダイニングテーブルの椅子に座って携帯をいじっている。
「この子ちゃんと居た?」
「あ、はい……とゆーか、僕が待ち合わせ場所に行くまでに見つけてくれました」
「そうなの? あらあら」
おばさんは楽しそうな声だ。何が【あらあら】なんだろう。
トレーにグラスが三つ。ことりと置かれたそれにいただきますと会釈してから手を伸ばす。冷たいお茶を一口。ああ生き返る……と顔が綻んだ。
「待ちきれなかったのかしらねぇ? 浩貴?」
おばさんがにまにましてるのは一体。浩貴は無言でひと睨みしてすぐに携帯に目を落とす。お母さん相手にこの感じっていいのかな。(家ではあり得ない。)
「かわいくないわーシャオちゃんが来てくれてよかった。この子最近全然相手してくれないんだもの」
「はあ……」
気にしてないみたいだから、この二人はこれが通常営業なのだろう。
「あ、そうだっ! これからお世話になります。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」
居住まいを正して、ぺこんと頭を下げた。挨拶はきちんとするようにと言われていたし、一年近く一緒に生活するのだ。できる事は手伝いますのでと言い添えると、向かいの席の小枝子さんは笑顔で頷いてくれた。
「こちらこそ。何かあったら遠慮しないで言ってね。私も仕事でいない事も多いし、頼っちゃう所もたくさんあるかもしれないけど……自分の家だと思ってゆっくり過ごして。学校はこの子が一緒だし、困ったらガンガン使っていいから」
「えっ?!」
思わず隣の浩貴を見てしまった。僕は二重の意味で驚きの声を上げたのだ。小枝子さんが仕事を続けているのは知っていたけれど、つまり、いない間は浩貴と二人なわけで。しかも、学校も一緒?
「あら? 秀征さん言ってなかったの?」
ええ。聞いてませんよ、父さん。
基本情報を与えてから送り出すべきなんじゃないのかっ! 訊かなかった僕にも落ち度はあるけど、あっという間に話が進んでいて準備に忙しくてあれこれ訊くゆとりもなかったような。
「すみません……て、適当過ぎる……!」
「いいのいいの、シャオちゃんに余計な事で悩ませたくなかったんでしょ」
行き先(に居る人物)について微妙な反応をした自覚はある。それでも色々言うべき事は言っておいてほしかったというのは今更ですか。
ちらりと窺うと浩貴は相変わらずテーブルに肘をついて携帯をいじっていた。無関心もここまであからさまだといっそ気が楽かもしれない。平和主義なのであまり触れないのが得策と踏んだ。
「あの、学校は週明けからですよね? 制服とかは部屋ですか?」
「そうそう、お部屋! おばさん張り切って用意したからね! 案内しなきゃだわ」
ぽんと両手を打って、おばさんは早速と席を立った。僕も倣って立ち上がる。リビングを出て「あっちの突き当たりが水回り。洗面とお風呂ね」とか「こっちの和室は今使ってないのよ」とかいう各所の説明を聞いてから、階段で二階へ。
「……何か、前来た時とちょっと違う感じです」
「小学生ぐらいだったかしら? 和室で三人でお昼寝したりしてたわねぇ」
僕と友龍と浩貴は同い年なのもあって、一緒にいる時間は確かに多かった。僕があまり喋れないのを友龍が間に入って浩貴に言ってくれたり――よくよく考えたら、当時も浩貴とはそんなにたくさん話したわけでもなかった。何となく居る。そんな感じ。でも遊ぶのに言葉は無用だったからとても楽しかったし、仲良かったといえば仲良かったはずなんだけどなぁ……どうしてこうなった。
親同士は仲が良い。父方の親戚を知らない僕にとって弥坂家は唯一の日本の接点だ。おじさんもおばさんも優しいし、優さんは憧れのお兄さん。浩貴もいい友達だと思っていた。だから優さんと彼と、手紙やメールでやりとりするのも日々の楽しみだった。それが優さんとだけになったのはいつからだっただろう? うぅん、と頭の片隅で考えている間に部屋に着いていた。三室ある一番手前の部屋だ。前も友龍とそこで泊まった。
「優さんの部屋、そのままなんですか?」
「ん? そうね。まあベッドとか大きい家具はほとんど変わりないかな。細々した物は関西に持っていっちゃったかしら……あ、浩貴の部屋は一番奥ね。知ってる通り」
「は、はい……」
多分あまり行かないだろう。前はそこで一緒にゲームをしたりしたけど、今はそんなほいほい入れるような雰囲気じゃない。主に部屋の主が。成長って怖い。
シンプルな部屋で、ありがたい事に大きな荷物まで片付けておいてくれている。服はクローゼット。制服もそこに入っていて、新品のそれはまだビニールのカバーがかかっていた。
「着てみる? 下の丈とか直さなきゃかもだし」
「えっ! まあ……身長的には平均以下ですけど……」
自分は一般的な高校生男子の平均身長より少し低いらしい、という自覚はある。(167cmから一向に伸びないので友龍にはもう抜かされていた。彼で175cmだ。)浩貴はもっとあるんだよね羨ましい、とは言うまい。
「っていうか着て欲しいな〜」
「はい?」
「あ、私出てるからどうぞ?」
いやいやいや僕まだ何も言ってませんよ?
そう返す前におばさんはそそくさと部屋から出てドアを閉めた。早いよ。制服姿なんてこれから毎日見るでしょうおばさん! 今じゃなくてもっ!
「終わったら呼んでね〜」
「は、はい……」
待っているならさっさと着替えるべきか。カバーを外して……シャツも着ないとだめだろうなとそれも取り出す。新品のシャツにネクタイ・上下濃紺のブレザーとパンツだ。この制服に見覚えがある気がするなぁと思いつつぱっぱと着替えた。ネクタイもちゃんと締められたので、できましたと声を掛ける。
「いやーん、似合う〜!」
おばさんの反応に照れくさくなる。息子さんも同じの着てますよね?
「丈もよさそうね。よしよし……鞄は指定じゃないからシャオちゃんのいいようにしてね。あ、この後見に行きましょうか? ついでもあるし」
「は、はい……すみません、何から何まで……」
「もー! 子どもが気ぃ遣わないの! 私も楽しみだからいいのよ。家の子二人してちゃっちゃと自分でやっちゃうんだものつまんない。助かるっちゃ助かるけどねぇ……」
ぼやくおばさんに、はあ、と生返事しかできない。確かに二人とも母親にべったりというタイプではなさそうだ。だからといって僕がべったり甘えるのは何か違うような……?
「シャオちゃんかわいいから、おばさん張り切っちゃう♪」
「えぇっ、いや、かわいくは……」
「って事で、写真撮るからね」
「はい?! え、ちょっ、何で――」
言っている間にスマホを向けられて「はーい、撮るわよ〜」なんて声がして反射的に動きを止めてしまった。絶対、絶対今のは微妙な顔だ!
「あのっ、それどうするんですか?」
「え? 優とソウさんに送るの。楽しみにしてるからね〜シャオちゃんの写メ。秀征さんにも送っちゃお」
「いやいやいや! いいですよこんなっ……恥ずかしいですから! 楽しみとか冗談でしょこんな男の写真……」
「送っ信〜♪」
ちょーーーっ! 人の話聞いてないよこの人!!
ああぁぁ、と戦慄く僕なんか眼中にないらしい。おばさんの顔は喜色満面そのものだ。どこに余所の子の写真をシェアする家庭がある?! ここにいるのは例外中の例外ですかちょっと。ねえ。
「だってシャオちゃん自分では撮らないでしょ? どうしてるかなって気にしてるに違いないんだから、マメに送っとかなきゃだめよー」
「だ、だからって初っ端からこんな……ね? 気にしていただけるのはありがたいですけど、こーゆーのはちょっとあれな気が……」
「本人に言うのもなんだけど、シャオちゃんは自分がどれだけかわいいか思い知るべきだと思うの!……あら、返信早いわね。あの子暇なのかしら」
あの子と言うからには着信は優さんだろう。小枝子さんはスマホを操作して――にんまりした。(何ですかその笑い!)
「はい、優から」と見せられた画面に見えたのは「いいね!」のキャラ物のスタンプだった。
――――――――――
早速着せたの?(笑)
シャオちゃんも俺の後輩になるのかな。
何か不思議な感じ。浩貴ん時も思ったけど成長って早いね。
似合ってるって言っといてね。また連絡するけど。しかしこれで違和感ないのがまた……嫁に見せたら驚いてた。
元気そうなの見れるのは嬉しいけど、着せ替えごっこして困らせないように。預かりものだって事ちゃんと覚えてる?
最初からあんまり無理させちゃだめだよ。
愛想尽かされたら大変でしょ。
では。
――――――――――――
優さんナイス注意! と思ったのに、おばさんはというとほっぺたを膨らませて「かわいくない!」なんて拗ねてしまった。もっともな注意だとしか言えないのに。
奥さんにまで見せちゃったのかとがっくり肩を落とす。でも、優さんのおかげで僕がこれから通う高校は彼の母校だとわかった。だから制服に覚えがあったのだ。前に来た時優さんは高校生だったから。かっこいいなぁ、あんな風になりたいなと憧れたり。……身長的にも顔的にも到底及ばないけれど。現実ってすごく厳しい。
とりあえず制服チェックができたのでまたシャツとデニムに着替える事にした。おばさんは下で待っているだろうなと思ったのに、まだ居る事にYシャツまで脱いだ時気が付いた。七分袖のインナーシャツは着たままだったので恥ずかしいとか言って慌てる事もなかったけれど。
「……あの、何か……?」
「ああ、ごめんなさい。シャオちゃん、腕、もう大丈夫かなって」
「えっ、はい。大丈夫ですよ。至って元気に動きます、ほら」
曲げたり伸ばしたりしてみせると、おばさんは「なら、よかった」とちょっとだけはにかんでくるりと背中を向け出て行った。何となく悲しそうな表情だったのは気のせいだろうか。痛い何かを見るような、そんな目。
「……まあ、仕方ないかな、」
ひとりごちて、僕は手早くパーカーを羽織る。今でもあまり人には見せない方がよさそうだなと服の上から腕をさすって。
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