(13)
梅雨の時期は確率的にはあまり外に出られないもので。夜に走ったりしたいけれど毎日はできそうにない。さすがに家の中で飛んだり跳ねたりはできないので昼休みのバスケとか体育の時間が楽しみだったりする。
「――っと、」
若干よろめきながら投げたボールはゴールポストに何とか入ってくれた。いえーい、とチームの子とハイタッチ。うーんよかった、気持ちいいもんだ。
「あれで入るとかなあー……スゲーけど悔しい」
「えっ、そんな!」
確かに型通りでもないし部活でやっている人から見たら微妙なプレーもあるだろう。でも遊びでならそういうものなんじゃないかなと思う。
「いんじゃね? 入れば点入るんだし」
「そうなんだよなぁ、つか李、部活入らねえの」
「あー……その方向で」
「もったいない」
体育の時も何回か訊かれたけれど、部活となると当然僕は男の子の中に混ざってやらなきゃならないわけで――着替えとか色々不安要素が多すぎる自分から危ない橋は渡れません!
「ウチのクラス、いいとこまで行けそうだな。女子も結構いいメンツいるし」
「体育祭なー来月だっけ」
「? 何か賞品とか出るの?」
皆張り切り方が違うなあとか思ってたけど、まだちゃんとは聞いてなかったりする。
「一位から順々に何かしら貰えるんだよ。べべでもパックジュースとかそんなん」
「べべ……?」
「あれっ?! べべって言わないか? 最下位」
「言うかぁ?」
「さ、さあ……どうだろ……」
細かい方言とか言い回しはよく分からないので、こういう所でちょっと勉強(?)してたり。ベッタとかも言うのか、へえ……?
「マジな奴はマジだよな。部外者でも観に来ていいし、大学のコーチとかも来るから……やっぱ推薦欲しいとかあるんだろ」
「そーゆー相楽もなー?」
「ああ、相楽君陸上だっけ」
「やー俺ぐらいじゃ無理。陸部もだけど会長がな……あれで足速いとかおかしい」
「あいつ1年の時既に目つけられてたろ、確か」
会長って誰だときょとんとしていると「河合だよ。お前も知ってるだろ」と相楽君が教えてくれる。龍次か!
「リュウ足速いの?!」
「はは、意外だよなやっぱ」
知らなかった。っていうか会長だったとか聞いてないんだけど。生徒会室によくいるなとは思ってたけどそういう事かなるほどね。度々お邪魔してる割に大事な所が聞けてないよねうん。
「でも球技大会はダメダメだった。ノーコンで」
「そうなの?」
それこそ出来そうなのに。あれで案外不器用なのか龍次……お箸も綺麗に使ってたし字も上手いのはこれまで見ていて知っている。礼儀作法はきちっとしてるのにな。
「ボール投げるとか普段しないからいんじゃね?」
まあ、そう言われればそうだ。
「イイトコのボンボンで、頭いいわ足速いわとかいう奴がマジでいるんだもんな。引くわー」
「引くってそんな」
笑いながら言っているから本気じゃないだろうけど。
「いいよなあ、」
ひとしきり羨んで、そういえばと話は別の方向に転がっていった。男子高校生が集まれば高校生らしい話題は尽きない。学校の事や遊びの事など他愛のないものばかりで、でも面白い。
人には無いものを持っている人間は羨望や嫉妬の対照になりがちである。本人の意志でその環境に生まれ付いたわけじゃないし、素質だけでもって他より優れているわけでもない。努力の積み重ねも肝要だ。
龍次は男女関係なく誰にでも丁寧だし、いつもきちんとしている印象だからきっと皆も彼とごくごく普通の付き合い方をするのだろう。彼みたいな人間を煙たがる人も少なくないとは思うけれど、それを上回る人望もあるからこそ生徒会長にだってなったわけで……彼の性格からして陰口だとか悪意あるものを気にする事もなさそうだけど。
「――あっ、ヤバい! プリント忘れてるっ」
「次の奴?」
前回の実験のまとめをしてこいとか言われたやつだ。終了時間ギリギリだったから宿題になった。
「あーあー、相楽ヤバくね? つかバスケやろうとか言ってる場合じゃねぇじゃん」
「だー! もー! うるさいよっ」
言い出しっぺは彼だったらしい。僕は他の人から誘われたのでついてきただけだ。
「あーどーしよ……李ぃ! 見して頼むわ!」
「えっ?! 班違うよね? そこはいいの?」
「この際出せりゃいいから!」
両手を合わせて拝まれたら断りにくい。
「あー……じゃ、写すよね? 先に戻るけどいいかな」
「おーボール返すだけだし気にすんな」
よろしくと一言断ってから相楽君と急いで教室に戻る。まだ時間はあるし間に合うだろう。
クリアファイルを出しプリントを探していると相楽君は自分のプリントとペンケースを手にやって来た。
「座る?」
「や、いい。これで」
と、僕の机の横で膝立ち。渡したプリントを並べてせっせとペンを走らせ出した。……書きにくくないのかな、彼。
「何。どした?」
慌ただしいなと言いたげに浩貴が振り返る。バスケには誘ってみたが来なかったので何か用でもあるのかなと思ってたけど、手元に文庫本が見えたので多分それを読みたかっただけだろう。本の虫。
「これ、」
「あー……」
皆まで言わずとも伝わったらしい。
「……あ、浩貴のがいいんじゃないかな。理系得意なんじゃなかったっけ」
返事が無かったので、え、無視? と思ってたけど、しばし間があって「ダメ。コイツ見せてくんない」と相楽君は言う。端からあてにしてませんでしたかそうですか。
「あ、そう……」
「こいつ去年からこんなだからだぞ。基本文系だからーとか言ってからに」
得意不得意があるのは仕方ないけれど、だからといってサボるなよと言いたいらしい。でもちらっと見た感じ相楽君もまったくやって来なかったわけじゃなさそうだ。ペンを走らせているのは後半ぐらい。必死な顔には変わりないけど。
「相楽君の気持ち分かるなあ」
「順番通り考えてけば書けるだろ。理系はそこがいい。現国とか考えるの、疲れる」
「本読むのに? 数学とかキレイに解けたら嬉しいよね」
あれは楽しいと頷いたのに今度は浩貴が黙ってしまった。あれ、僕別に変な事言ってないよね?
「……お前どっちも出来るんだっけか」
「えっ、そうでもないよ?」
「でもどっちも嫌いじゃないだろ?」
それはまあ。苦手と嫌いとは別だろう。でも自分の中では得意不得意のラインがあるわけで、成績で見ても理系は中の上ぐらい。そういえば友龍と比べっこすると理系は大抵負けてたなと思い出す。
「強いて言うなら、古文は難しいかな」
「は? 何で。お前からしたら漢文とかちょろいだろ」
「返り点が意味分かんないんだよ。要らないっちゃいらないし……古文分っかんねー! って感じは皆とそう変わらない」
「そんなもんか……?」
「できたー!!」
ばっと顔を上げ、相楽君はほっと肩を撫で下ろしていた。間に合ってよかったよかった。
「やー助かった。マジでありがと」
「いやいやそんな。合ってるかとか保証しないけども……」
「ご謙遜、」
すげーちゃんとまとまってた、と彼はにっと歯を見せて笑う。いい笑顔につられて僕も口元が綻んだ。
「あ、そうだ。これ略字?」
「え、どこ?」
この辺、と示された下りを見ると記号みたいな漢字が。しまったやらかしたと今度は僕が慌てる番だった。消しゴムっ、ペンっ!
「お前……いつかやるかなとは思ってたけどマジでやってんのか」
「だっ、これは授業で書いたとこなだけだし! 自分でわかればいいやってだけで――」
「そんで忘れてたわけな」
バカだなコイツ、というのと同じ調子で浩貴は言う。この人ホントにこういう所が意地悪だと思う。
「李ぃのノートってこーゆーやつのオンパレード?」
「至って普通です! 提出するやつもあるからちゃんとやってるよ」
「借りる気かお前」
「え、偶に?」
「やめとけって言っとく」
激しく失礼なんだけどこの人! 人のミスには厳しいなあもう。
「お、終わってるっぽいな」
置いてきてしまったメンツも帰ってきて雑談に流れる。相楽君もさっきまでの必死な感じからすっかりいつもの感じに戻っていてそれに加わっていた。
「そういや席替えするとかゆー話どうなってんだ?」
「あーホームルームの時に喋るってさ」
席替えがあるのかそうか。まあ僕は目が悪いからとか前が嫌だとかいうのも無いし、別にどこでもいいかなーなんて思って聞いていたわけで。今はホントに隅っこだから今度は中の方でもいいなという程度だ。窓側なら外も見られて楽しみかもしれない。――ああ、友紀と席近くなったら楽しいかも。浩貴はね、家で一緒だから近くでも遠くでもいいんだよ。離れたら離れたで彼の方がせいせいするかもしれないし。
最初は上手く付き合っていけるかなとか思っていたけれど、皆いい人達だ。このクラスは基本的に男女共にノリがいいメンツで、半端な時期に飛び込んできた留学生であれお構いなしというあったかい雰囲気がある。相楽君達とよくいるけれど、大人しい系のグループの子達とも喋る機会はある。それは僕だけじゃなくて皆そうだ。平和、大事。
何でもないごくごく普通の日常生活。高校生らしいそれは僕にとって充実した物に間違いない。けれど、定期的に送られてくるメールは僕を普通の家の子とは違うということを思い出させる。言葉の端々から感じる物は普通の家族間で交わされる会話とは少し違うなとも思うのだ。
素直に送り出してくれたのは単純に楽しんでおいでという好意的なものばかりでは無い。【行くからには何かしら得る物を】という気色を滲ませた目。人より抜きん出て然りだという環境に置かれていると他人のそんな細かな顔色を伺う事も無意識に覚えてしまうものである。価値観だとか人間関係だとか、僕は磨くべき物がたくさんある。見られていないからといって大きな下手は打てない。
重たい荷物。僕は人から言われてそれが【重い】のだと知った。
――全部オマエがやらなきゃならないわけじゃないんだぞ。わかってる?
友龍は苦々しい表情で、彼が訊くのに、僕は何も言えなかった。
長く続いてきた家系。子がその後を継ぐというのは生まれる前から周囲の大人達の頭にあるもので、僕らはそんな中で育ってきた。何か特別な才能があるわけでもない。小さい時は理解出来ずに右から左だった言葉が、ポロポロと頭に残るようになったのはいつからだったか。
母親は一人っ子だったので今の立ち位置にいるのが自然な事だけれど僕らはそうじゃない。片や長子だが女。片や次子だが男。双子なら後者でも問題ないという囁きはどこからともなく耳に入るようになった。弟はほらなと肩を竦めていた。
――双子でよかっただろう。シャオだってやりたいように生きてけばいい。……口ばっかりうるさい奴らなんだよ。黙らせるだけの段取りさえすれば、いいんだ
そう言って彼は不敵に笑みを浮かべていたけれど、でも、実際僕らはまだまだ子どもで。何十年も年上の大人達に納得して貰えるような言葉を並べるのは難しい。この年の子が抱く希望や将来なんてぼんやりした画である。
あそこから離れたいという強い希望も無い。今の僕は、切実でも、ないのだ。その気持ちは友龍も感じていたらしく最後に釘を刺すのを忘れなかった。
――ぼんやりしていると、あの人に人生決められるぞ
そんな言い方をするのに、僕はやっぱり曖昧に頷くしかできなくて。そういうものなのかもな、なんて思う自分がいたのは否定しない。
僕らは母親が苦手だった。いつからこんな風になったのかなと振り返ってみても、やっぱり最初からこんなだったのかなという結論に達してしまう。それが少しだけ寂しい。
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