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小説・鬼灯館 【憧憬の杜編】  作者: 矢田 圭二
プロローグ・ストーリー
5/12

第五章 小冬の秘密

あらすじ


鎌倉市内の高校に通う霞上かがみ時雨しぐれは、祖母宅の遺品整理をしていた際、亡くなった祖母が大切にしていたスケッチブックを母の秋子から渡される。


スケッチブックの入っていた箱の中には何故か得体の知れない一本の鍵が残されていた。

果たして何の鍵なのか?


三姉妹と三冊のスケッチブック。

スケッチブックに刻まれた意味ありげな図柄。


何かしらの手掛かりを期待して訪れた親戚宅で、時雨を待っていたのは更に増える謎だった。


一方、祖母の小冬は母親の秋子にも難題を残していた。

その難題とは……。

檜山家への訪問を終えた秋子と時雨が鎌倉の自宅マンションに着いたのは午後八時を少し回った頃だった。

 その日、休み前の残務を片付けに大学に出ていた誠吾は二人よりも先に帰宅しており、食卓テーブルには誠吾の手製の夕食が並べられてた。

「二人とも疲れただろ?」

 時雨はリビングに入るやいなやソファに崩れ落ちるようにして倒れこむ。

「疲れたー」

 その足元近くにはスケッチブックの入った手提げ袋が置かれていた。

「ありがと」

 テーブルに並べられた夕食を見て、秋子が誠吾に礼を言う。

「どうだった?」

 誠吾にそう聞かれて秋子は小さく頷いた。

「ええ、早紀子さんや遼平君ともゆっくり話せて楽しかったわ」

 少し疲れ気味の表情を浮かべながらも夫に向かって笑顔でそう答える。

 時雨はソファに倒れこんだまま、スマートフォンの画面を眺めていた。

「スケッチブックの方は?」

 誠吾がそう尋ねると、秋子は残念そうに首を左右に振ってみせる。

「稔彦さんも九州の秀美さんも知ってはいたけど実物がどこに行ったか分からないって……」

「もしかして捨てられ……」

 誠吾が全てを言い終わる前に再び秋子が首を左右に振った。

「稔彦さんにも秀美さんにも捨てた記憶が無いそうなの。二人とも伯母さんが亡くなった後にスケッチブックの事を思い出して探した事があるって言ってたわ」

「君の言った通り姉妹きょうだいそれぞれが一冊ずつ持っていたって訳か」

 秋子は溜息をつきながら頷いた。

「もう見れないと思うと何だか益々《ますます》見たくなるわ、私と違って時雨の方はそうでもない感じだけど……」

 ソファの上で横になってスマートフォンに見入っている娘を見下ろしつつ、時雨の耳にも聞こえるようにわざと大きい声で呟いてみせた。

「僕にとっても少し残念な結果になってしまったね」

 意味ありげな夫の言葉に秋子が怪訝そうな表情を浮かべる。

「もう一冊同じモノがあればスケッチブックが何冊あるのか、その手がかりになるかもしれないと期待してたんだ」

 誠吾が秋子に向かってそう話した瞬間、それまで横になっていた時雨がソファーから跳ね起きた。

「パパ?」

 両目を丸くして驚いたような表情を浮かべている。

「もしかしてそれって六冊?」

 いきなりテンションの上がった娘の様子に秋子が眉根をひそめた。

「急にどうしたの?」

 そう尋ねながら娘の変化を訝しむ妻とは対照的に誠吾の口元には笑みが浮かぶ。

「なるほど、その様子だと時雨もあの模様に気付いてたってワケか」

 しかし、父親の言葉に時雨は力強く首を横に振ってみせた。

 それから足元に置かれた紙袋の中から素早く紙箱を取り出すと、蓋を開けて中に収まっているスケッチブックを両親に向かった見せ、遼平が気にかけていた図柄を指差した。

「遼平さんがこの図柄が気になるって言ってて、丸の大きさが一つだけ違うのが変だって……」

 そう説明しながら時雨が父親の表情を伺うと、誠吾はまさに時雨が予想した通りの満足げな表情を浮かべていた。

 秋子だけが時雨の言葉の意味をすぐに理解できず、ほんのしばらく時雨が指し示す図柄を凝視した。

 そしてようやく時雨の反応を理解したように何度も頷いた。

「模様の事なんて昔から気にした事がなかったわ」

「私も全然気付いてなかったけど、遼平さんに例の鍵の事を話していたら、この図柄が少し気になるって言い出したの。でもあんまり気にする事無いって言ってた」

 時雨の言葉に誠吾が納得の表情を浮かべる。

「ママも時雨も二人ともそういう事をまだ気にしない時期から見慣れているから改めて細かくなんて見ようとしないだろ? 僕と遼平君が気付いたのは二人とその違いがあったってだけさ。あまり気にする事無いっていうのには僕も同感だね」

「やっぱり六冊あるのかな?」

 時雨はそう言うと期待を込めた眼差しを父親に向けた。

「別の一冊と見比べる事ができたならそれも分かるかもしれないって期待してたんだけどね。そういう意味では僕も残念だったってことさ」

 苦笑いを浮かべながら秋子に向かって誠吾がそう言うと、それを聞いた時雨が落胆したように溜息をつく。

「何だか横浜に行って気になる事が逆に増えちゃったって感じ」

 溜息混じりに呟く時雨の様子を見て、誠吾も秋子も互いの顔を見合わせて互いに肩をすくめた。




「あんな珍しい表紙なのに遺品整理で見た記憶が無いっていうのは何となく不自然な話だよなぁ」

 夕食を終えたリビングでは、手早く片付けを終えた秋子がソファに腰かけてティーカップのスプーンを操っていた。

 カップには少し濃い目の澄んだ紅茶が注がれている。

 時雨は夕食後に早々と自室に戻り、リビングには夫婦二人きりしかいなかった。

「その点は稔彦さん本人が一番不思議がってたわ」

 秋子は夫にそう言った。

「ふーん」

「捨てた記憶は全く無いから、たぶん亡くなる前に本人が誰かに譲ったんだろうって……」

「捨てられる事は絶対に無い?」

 誠吾はそう尋ねながら妻の目をじっと見た。

「百パーセントではないけれど、稔彦さんも自分の母親の事を大事にしていた人だから思い出の品物を適当に扱ったりはしないと思うんだけど……」

 少し自信無さげに秋子がそう言うと、誠吾も妻のその言葉に頷いた。

「あとは生前に本人が処分してしまったとか?」

 誠吾のその言葉に秋子が首を傾げる。

「処分って?」

「例えば燃やすとか」

「うーん……」

 秋子は露骨に納得のいかない表情を浮かべ、「小春の伯母さんに関しては、きっとそういう事はしないと思う」と誠吾に向かって言った。

 母親である小冬を含め、秋子は伯母である小春も小夏も良く知っている。

 その中でも特に小春は優しくて穏やかな性格の持ち主だったと秋子は感じていた。

 若い頃から読書が好きというだけあって色々と博識だったのを覚えているし、三つ子とは言いながらも長女として三姉妹をまとめてきたせいで他人の面倒見も良かった。

 小冬の大事にしていたスケッチブックが三姉妹さんしまいだれしもにゆかりのあるものなのだとしたら、小冬と同じようにスケッチブックを大切にしてくれる人物に譲るほうが何となく伯母らしい気がした。

 いずれにせよ三杉家の三姉妹全員が他界してしまった今、スケッチブックの出自しゅつじについて詳しく知る人間は誰もいない。

 時雨が譲り受けた以外に小春と小夏が所持していたスケッチブックについて、その行方を探る手掛かりさえ秋子達に残されてはいなかったのである。

「本当に三杉の家にゆかりのあるものなのかしら?」

 秋子が自問するように呟いた。


 三姉妹の父母――つまりは秋子の祖父母にあたる三杉みすぎ秋亮しゅうすけは、生前、画業を生業なりわいとする人物だった。

 しかし、当時は三姉妹を不自由なく養ってゆけるだけの稼ぎなど無く、一家の生活はおもに妻である三杉みすぎ楠緒子なおこの内職にのみ頼る質素な暮らしぶりを強いられていた。

 ついぞ画業で生計を立てる夢は叶わぬまま、三杉みすぎ秋亮しゅうすけは四十三歳の若さで急逝してしまう。

 三姉妹がまだ十八歳の頃の出来事だった。

 人物画をテーマとした三杉みすぎ秋亮しゅうすけの作品は、その死後に少しずつ評価をされ始めるのだが、その画業を世間に知らしめる為にかげながら尽力したのが後に小冬の夫となる御領ごりょう玲一れいいちだった。

 果たしてスケッチブックが三杉家みすぎけゆかりのある代物なのであれば、画家であった三杉みすぎ秋亮しゅうすけが描き残したものだと考えても不自然ではない。

 しかし、小冬はそれだけは否定していた。

 事実、三杉秋亮が人物の描写を好む画家だったのに対し、時雨が譲り受けたスケッチブックは全て風景画だった。

 御領玲一も趣味で油彩画を描いてはいたが、小冬の夫が描き残したスケッチであれば、小冬以外の二人が大切にしていた事には違和感を感じてしまうし、娘や孫である秋子達にそれを隠すくらいならそもそもスケッチブック自体、時雨に譲ったりはしないだろう。


「ちなみに、画廊のオーナーから見てスケッチの出来栄えはどうなの?」

 誠吾にそう言われた瞬間、秋子がうんざりとした表情を浮かべる。

「やめてよ、そういう言い方」

「何か芸術的に価値のあるスケッチブックなら、小春さん達も焼却したりなんかしないだろう?」

 その問いに秋子は首を左右に振ってみせる。

「いたって普通のスケッチよね。画家の銘も無ければ美術的な価値も特には無いけれど、雑貨としてなら二十万くらいの値はつけられるかも」

 冷静な口調で誠吾に質問に答えた。

「水彩を使ったラフスケッチってそんなに珍しくないし、最近は素人でも絵手紙とかであのレベルの絵を描いたりするでしょ? まぁ、あのスケッチブックは枚数も多くて画集っぽいし、何よりもあの古びた木製の表紙にアンティーク雑貨としての値をつけても良さそうな気はするの」

 よどみなくそう語る妻の様子を見て、誠吾はにやりとした笑みを口元に浮かべる。

「さすがはオーナー」

 誠吾はそう言って感心した表情を浮かべてみせるが、秋子は逆に面白くないといった表情で夫を一瞥いちべつした。

「いじわるな言い方ね、こっちの苦労も知らないで」

「僕は秋子に向いてると思うよ、お義母かあさんとはまた違う意味でね」

 機嫌をそこねる妻に笑顔でそう言うと、テーブルの上に置かれていたお菓子をひとつ指先につまんで秋子の口元へと運ぶ。

「そうかしら」

 不機嫌そうに眉根まゆねを寄せながらも秋子が口を開くと、誠吾がお菓子を放り込んだ。

「私のお店の事だけじゃなくて、孫娘にまで宿題を残していくなんて、正直しょうじき恨めしい気分よ」

「宿題ってもしかしてあの鍵の事を言っているのかい?」

 誠吾の質問に秋子は頷いた。

「そもそもあの鍵が無かったら、スケッチブックを貰ったってだけで終わる話だったのよ」

「うん、確かに君の話といい時雨の鍵の話といい、どれも妙に秘密めいているのが僕にも気にはなっていたんだ」

 誠吾は真剣な眼差しを妻に向けながら言った。

「えっと、伊納さん……だっけ?」

「え? ええ、そうよ、伊納さん」

「機会があればその人や木想館の女将とやらにもスケッチブックや鍵の事を尋ねてみたらどう?」

 秋子は誠吾の言葉に気乗りしないような表情を浮かべる。

「どうせ彼らと話していかなきゃならないのは鍵なんかよりもずっと重い内容なんだし、ことのついでだよ」

「そうねぇ……」

 誠吾は頷きつつも心の中で迷っている様子の妻をじっと見つめた。

「せっかくのゴールデンウィークなのに色々と気が重いわ」

 秋子が溜息ためいきじりにそう呟く。

「とりあえずは明日からの伊豆旅行を存分に楽しもうよ」

 誠吾が笑みを浮かべてそう言った。

「君にとってはどんな宿なのかまず見ておきたいっていうのが今回の目的なんだしさ」

「ええ、そうね」

 秋子は表情こそ晴れなかったが、夫の言葉に納得したように頷いてみせた。



 霞上秋子にとって母である御領小冬の死は親を失った悲しみだけに呑気のんきひたっていられるような出来事ではなかった。

 翌日から家族三人で伊豆旅行を予定していたが、実はその行き先さえも小冬の死に大きく関係していた。

 夫である誠吾はその事を承知していたが、娘の時雨には伊豆旅行に隠された別の目的を伝えてはいない。

 全ての始まりは小冬が亡くなる半年前に遡り、その時に小冬から初めて聞かされた事実は秋子にとってまさに衝撃的なものだった。

 

 ――実はね、あなたも私も伊豆の修善寺にある木想庵もくそうあんという宿の経営者なの――


 最初、そう言って切り出した小冬の話を秋子は全く理解する事ができなかった。

 伊豆という土地にも修善寺という地名にも秋子自身まったくえんが無く、それまで一度も聞いた事の無い宿の名前を出されたうえに経営がどうとかこうとか……。

 母親に聞かされた内容は秋子にとってあまりに唐突で、あまりに非現実的なものだった。


 ――あなたや時雨にとっては特別な思い入れのある場所ではないし、伊納さんと十分に相談したうえで好きに処分して欲しいの――


 小冬はそう言った後、宿の経営者のひとりである伊納という老人を秋子に紹介してきた。

 

 ――私自身にはあなたの父である玲一さんから受けた大きな恩義があるのです――


 それまで一度として面識のある人物ではなかったが、その伊納という老人の存在だけがかろうじて小冬の話に現実味を与えてくれた。

 老人よれば宿自体の経営は極めて順調であり、経営者として名を連ねたとしても借金を背負わされるような話では決して無いという事を秋子にこと細かく説明してくれた。

 〈木想館もくそうかん〉という実在の宿。知らぬ間に自分がその宿の経営者にされていた事実をある日突然知らされただけでなく、余命を悟った母親からその宿の行く末全てを委ねられた秋子にとって、小冬亡きあとに頼れるのは伊納という名の老人とその事実を知る宿の女将おかみだけだった。

 小冬の死後、妻から相談を受けた誠吾も初めは驚いていたが、二人ともまずはその宿に行ってみる必要があるとの結論に至り、ゴールデンウィークの機会を利用して二泊三日の伊豆旅行を決めたのだった。

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