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小説・鬼灯館 【憧憬の杜編】  作者: 矢田 圭二
プロローグ・ストーリー
3/12

第三章 三姉妹

あらすじ


鎌倉市内の高校に通う霞上かがみ時雨しぐれは、祖母宅の遺品整理をしていた際、亡くなった祖母が大切にしていたスケッチブックを母の秋子から渡される。


スケッチブックの入っていた箱の中には何故か得体の知れない一本の鍵が残されていた。

果たして何の鍵なのか?


祖母が箱の中に鍵を残した理由を知りたがる時雨は、秋子から三つ子だった祖母の姉妹が同じスケッチブックを所有していた事実を聞かされて、それを確かめる為に祖母の姉にあたる小春の親族の家を訪ねる事になった。


二冊目のスケッチブックが見れると思っていた時雨だったが……。


 遼平りょうへいの母、檜山早紀子ひやまさきこは生クリームが乗ったスプーンを片手にキッチンから現れると、リビングでテレビを眺めていた息子に話しかけた。

「ねえ遼平、これちょっと味見してみて」

 スプーンの先端をいきなり目の前につきつけられた遼平は覗き込むようにしてクリームを見つめる。

 薄い茶褐色のクリームを見て「ねえ、色薄いけど、これってもしかしてチョコクリーム?」と遼平が尋ねた。

「ええ、そうよ」

「やっぱり……」

 遼平の言葉に早紀子が満面の笑みを浮かべて返した。

「色が薄いのは気にしないで、少しだけチョコが足りなかったの」

 息子の言葉を気にする様子は微塵もない。

「あんま、ちょっとって感じじゃないんだけど……」

「じゃあ、ただの生クリームでもいいわ、とにかくちょっと味見してみて」

 遼平は、母親に言われるがまま、スプーンを受け取ると、生クリームを口の中へと運んだ。

 休みの朝にも関わらず、短めの髪はきちんと整えられ、長袖の白いカットソーに黒いカーゴパンツ姿が細身の体に似合っている。

 セルフレームの黒縁眼鏡をかけているが、本人的には切れ長の目元を柔らかく見せる為のいわゆる伊達メガネというやつだった。

「うん、想像通りチョコの風味は殆どしないね」

「だから言い直したじゃない、ただの生クリームだって」

 早紀子がさらりと言う。

「ロールケーキ作るのにどうせ巻いちゃうんだから大丈夫」

 母親の言葉に遼平は小さく溜息を吐いた。

 性格が大雑把おおざっぱな早紀子と逆に神経質な遼平。

 檜山家の母と息子の会話は大概こんな感じのが多かった。


「ねぇ、母さん?」

 キッチンに戻ろうとする母親に遼平が声をかけた。

「俺ってやっぱり家にいないとダメな感じ?」

 見るからに気重きおもそうな表情を浮かべている。

「いないとダメって……、そんなのママに聞かれても分からないわよ、何か用事があるんならパパに聞いてみたら?」

「だってさ、親戚の子の相手しろったって俺もう高校生なんだぜ、小学生の頃に一度きりしか会ったことないし、しかも相手も同じ高校生、そのうえ女の子ってさぁ……」

 情けない表情を浮かべながら泣き言に近い愚痴をこぼす。

美沙みさちゃんが遊びに来たんだと思えばいいじゃない」

「アイツはガキの頃からの幼馴染おさななじみだろ、そもそも設定が違うっつーの」

 適当過ぎる母親のアドバイスに遼平が呆れたような表情を浮かべる。

「んー、どうした?」

 リビングから玄関へとつながる廊下の奥からスリッパの足音と共に父親の稔彦としひこの声が聞こえてきた。

「美沙ちゃんがどうかしたのか?」

 そう言いながら父親がリビングに入ってきた瞬間、遼平にバツの悪そうな表情が浮かぶ。

 短く刈り込んだ髪型と顔全体の輪郭が、いかにも遼平の父親といった雰囲気を漂わせている。

「あ、パパ、なんだか遼平が困ってるみたいなんだけど……」

 早紀子がそう言うと、遼平は動揺したように口を開く。

「い、いや、困ってるっていうか……」

 そう言いながら父親の表情をちらちらと横目で伺う。

「なんだ、お前また美沙ちゃんとケンカでもしたのか?」

「いやケンカは全然してないけど……」

「じゃあ何を困ってるんだ?」

「いや、困ってるっていうかなんというか……」

 言いづらそうに遼平が口ごもっているのを見て、早紀子がさらりと言った。

「親戚に会うのが恥ずかしい年頃なのよ」

 稔彦は早紀子の言葉の意味をすぐに理解した。

 遼平の顔をじろりと見ると、遼平は慌てて視線をらした。

「なんだお前、秋子さん達に会うのが嫌なのか?」

「いや会いたくないワケじゃなくて、なんていうかその、……女の子の相手とか言われても一体何を話せばいいのか分からないし……」

 視線を逸らしつつも父親の気配を横目で伺いながら、しどろもどろに説明する。

 その口調に稔彦がにやりと笑みを浮かべた。

「なんだお前、もしかして時雨ちゃんと会うのが恥ずかしいのか」

「いや恥ずかしいっていうか、初対面に近い女の子となんて二人きりで何を話したらいいか分んなくてさ」

「クスクス」

 自信無さげに呟く遼平を見て、早紀子が失笑する。

「今の遼平の台詞を美沙ちゃんにも聞かせてあげたいわ」

「だからアイツは別だって」

 ふてくされたようにプイとそっぽを向く遼平に稔彦が言った。

「……なあ遼平、確かに時雨ちゃんの相手をしろとは言ったけど俺は二人きりと言った覚えはないぞ」

「え?」

 父親の一言に遼平がポカンと口をあける。

 稔彦が呆れたような表情を浮かべた。

「お前なぁ、当たり前だろ、どこの親がいい年した自分の息子と他人様よそさまの娘を二人きりにさせるっていうんだ、俺が頼んだのは、みんなで居る時に時雨ちゃんが退屈しないように年の近いお前が相手をしてあげてくれよっていう意味だ」

 溜息ためいきじりの父親の言葉を聞き、遼平がちから無くボソッと呟いた。

「……なるほど」

「次はいつ顔を合わせられるか分らないんだ、お前も会って挨拶ぐらいしておけ」

 稔彦がきりっとした口調でそう言うと、遼平は諦めて素直に頷いた。

「ママはこないだのお葬式で挨拶したけど、時雨ちゃんって結構な美人さんだったわよ」

 耳打ちでもすようなそう言うと、早紀子が何やら意味ありげな笑みを浮かべる。

 稔彦が目を閉じ、何かを思い浮かべるように天井を仰ぐと、早紀子の言葉に同調するように頷いた。

「あの子は美沙ちゃんとは真逆のタイプだな」

 そう言って自らの言葉に納得するかのようにウンウンと頷いた。


 時雨の祖母である御領小冬ごりょうこふゆは、三つ子の末妹まつまいとして生まれ、上には同い年となる二人の姉がいた。

 一番上の姉が名を小春こはる、二番目の姉が名を小夏こなつといい、三姉妹の一番上の姉である小春は、結婚して檜山姓ひやませいとなっていた。

 その息子である檜山稔彦ひやまとしひこは、時雨しぐれの母である霞上秋子かがみあきこ従兄弟いとこ同士の間柄あいだがらで、三姉妹の長女である檜山小春が亡くなった六年ほど前からは、息子の稔彦との付き合いもせいぜい年賀状を交わす程度となっていた。


 ゴールデンウィーク初日となった五月の最初の日曜日。

 午後一時を少し回った頃、檜山家を訪れる約束をしていた秋子と時雨は、ほぼ予定していた時刻に稔彦達が住むマンションに到着していた。

 玄関前に立ち、インターホンのボタンを押すと、二人の来訪を知る妻の早紀子が、いち早くドアを開けて二人を出迎えてくれた。

 にこやかな笑顔で玄関の中へと招く早紀子の背後には、檜山稔彦が笑顔で立っている。

「やあ、いらっしゃい」

 俊彦は、すぐに秋子の隣に立つ時雨の姿にも気付く。

「時雨ちゃんもようこそ」

 そう声をかけられた時雨は、ぺこりとお辞儀をして返す。

「二人とも、うちに来るのは初めてだなぁ」

 稔彦が感慨深げにそう言うと、その言葉に秋子も頷いてみせた。

「でもごめんなさいね、せっかくのお休みに伺ったりなんかして」

 秋子の言葉に稔彦が大きく手を振ってみせた。

「そんなの全然気にしないでよ、お互いに兄弟もいないし、数少ない三杉の家の親戚同士なんだからさ。さあさあ、ここで立ち話しなんかしてないで、まずは中に上がってよ」

 稔彦に促され、秋子と時雨は軽く頭を下げながら玄関をくぐった。

 廊下を通ってリビングに通されると、ソファテーブルの上に早紀子お手製のオードブルが大皿に盛られ、小皿やらグラスやらがきれいに並べられているのが目に入った。

 秋子は手に提げていたお土産を早紀子に渡す。

「これ、どうぞお仏壇に」

 早紀子が受け取ると、稔彦もそれを見て頷いた。

「お昼は食べてきてるんだろうけど、良かったらつまんでよ」

 稔彦の言葉に秋子が申し訳なさそうな表情を浮かべ、早紀子の方を見て頭を下げた。

「色々と気を使わせてしまったみたいで、ごめんなさいね」

「なあに、コイツはもともとキッチンにいるのが趣味みたいなもんだから全然気にしないでよ、今朝も早くから張り切って作ってたし……」

 稔彦がそう言いながら早紀子に向かって目配せしてみせる。

「な」

 すると、早紀子が悲しげな表情を秋子に向けながら言った。

「味付けのほうは残念なんだけどね」

「そんな、私には美味しそうにしか見えないけど」

 秋子はそう言うと、隣で料理を覗き込んでいた時雨と視線を合わせる。

 秋子の言葉に同調するように時雨が頷いた。

「息子から言わせると私の味付けは随分と適当らしくって……」

 早紀子の言葉を聞き、稔彦がふと何かに気づいたように廊下の奥を覗き込むような素振りをしてみせる。

「お? そういえば遼平は部屋か?」

 稔彦が尋ねると、早紀子はニヤニヤしながら頷いた。

 そして胸の辺りに両手を当てると、心臓の鼓動を表すような動作をしてみせる。

「あら? 遼平くんいるの?」

 秋子が少し驚いたように稔彦に尋ねた。

「この期に及んで何を恥ずかしがってんだか……、おーい遼平!」

 稔彦は廊下の奥に向かって声をかけた。

「三杉の親戚がうちに来るなんて滅多にないし、アイツはこないだの小冬叔母さんの葬儀にも連れていかなかったからね」

 そう言って稔彦が話す背後で、部屋の扉がバタンと閉じられる音が聞こえた。

「でも、お二人に会うのが恥ずかしいらしくって」

 早紀子が笑いながら片目をつぶって見せる

 すぐにリビングへと姿を現した遼平は、早紀子の言った通り、自分から秋子と時雨とに視線を合わせるのを避けるように俯き加減で四人の前に立ち尽す。

「あら、こんにちは」

 真っ先に秋子が声をかけると、遼平は軽く会釈をして返した。

「さすがに男の子ね、前に会った時のイメージとは全然変わっててビックリ。……それこそ遼平君と会うのは小春伯母さんのお葬式以来じゃないかしら?」

「ウチの母親が亡くなった後も小冬叔母さんの家には何度か挨拶に連れてっていたんだけどね」

 いかにも久しぶりに会う親戚らしい会話が交わされるなか、遼平は所在なさげに立っていた。

「お婆ちゃんが亡くなった時って事は、遼平はまだ小学生ね」

「あの時は時雨が遼平君の二歳下でまだ小学生だったから、多分そうなのかしら? ほら、時雨も遼平君に挨拶しなさい」

「うん」

 秋子に促された時雨が返事をすると、早紀子も口を開いた。

「小春のお義母かあさんの葬式の時に会っているけれど、お互いにきっと記憶にはないだろうから今日は初対面みたいなものよね」

 早紀子の言葉に時雨が首を振る。

「私、お葬式の時にお寺で遼平さんに遊んでもらったのちゃんと覚えてますよ」

「あら? 本当?」

 秋子も早紀子も時雨の言葉に少し驚いた表情を浮かべてみせる。

「小学校四年生の記憶なら普通は覚えてるだろ」

 時雨の言葉に相づちを打つようにして遼平が言った。

 必要以上に子供扱いをしようとする二人に向かって、時雨は苦笑いを浮かべてみせる。

「もちろん面影だけで、あの頃の記憶にあるのと顔や体格なんかは全然違うけど……」

 時雨の言葉に同意するように遼平も頷いて言った。

「小四でも覚えてるなら小六の俺も覚えてて当然」

 その言葉に母親二人が顔を見合わせ、ほんの少しバツの悪そうな表情を浮かべる。

 時雨は遼平の方へと向き直ると自分の方から声をかけた。

「こんにちは」

 遼平は、秋子の時と同様に時雨に向かって軽く会釈をして返す。

「遊んであげたっていうよりは、単にゲーム機を貸しただけなんだけどさ……」

 挨拶をして返す代わりに、ボソッと呟くようにそう言った。

「でも遊び方とか教えてくれて……」

 そのやり取りを聞いた稔彦が驚いたような表情を浮かべる。

「そんな細かい事まで覚えているんだな」

「普段とは違う雰囲気だったから尚更なのかも……」

 遼平の言葉に時雨も大きく頷いた。

「私の場合、あの時のお寺の中の風景なんかも気持ち悪いくらいに鮮明に覚えてるし……」

「そうそう、でも他の葬式とかもそうかっていうと、俺の場合って、ばあちゃんの時ほどじゃあないんだよな」

「私もそう」

 すっかり会話が繋がっている様子の二人を見て、稔彦や秋子達は互いに顔を見合わせる。

「……なんか若いっていいわね」

 秋子がぼそりと呟いた。

 それから何かを思い出したように両手を叩く。

「あ、そうそう、そう言えば時雨、思い出話が出たついでだから、先にあのスケッチブックを稔彦さんに見せてあげたら?」

「あ……」

 秋子に促された時雨は、手に提げていた紙袋を床の上に置いた。

「実はね、ちょっと見てもらいたいものがあるんだけど……」

 秋子がそう言うと時雨は紙袋から箱を取り出した。

「ずっと立ち話っていうのもなんだから二人とも座ってよ」

 稔彦が秋子や時雨にソファーへ座るよう促す。

「きれいな折り染めね」

 箱を見た早紀子はポツリとそう呟いた。

 時雨がソファーテーブルの上に箱を置くと、ソファーに腰かけて箱の蓋をそっと持ち上げる。

「おっ!」

 箱の中に収まっているスケッチブックを見た瞬間、最初に反応を示したのはやはり稔彦だった。

 予想通りのその反応を見て、秋子と時雨が互いに笑顔を浮かべて頷き合う。

 しかし、稔彦が次に発した言葉は二人が予想していたのとはまるで違っていた。

「これ秋ちゃんが持ってたのかぁ!」

 箱の中身に強い反応を示す夫の様子を見て、早紀子はきょとんとした表情を浮かべる。

 そんな妻に向かって、稔彦が箱の中を指差して言った。

「早紀子、ほらこれ、前に俺が探していたやつ!」

「?」

 興奮気味に話す夫の言葉の意味がすぐにはピンと来ず、早紀子はほおに指を当てて記憶を探るような素振りをしてみせた。

「ほら、母さんの大事にしてた本が一冊だけ見当・・たらないって、俺が一時いっとき探してただろう?」

 稔彦の言葉に秋子と時雨からは笑顔が消えていた。

「あ……、そういえば四、五年前にパパがそんな話をしていたような……」

「どうりで探したって出て来ないはずだよ。そうか、秋子さんが持ってたのか……」

 稔彦は箱ごと自分の方へと引き寄せると、懐かしそうな眼差しで箱の中のスケッチブックを覗き込む。

 秋子と時雨が困惑した表情で互いに顔を見合わせていると、少し離れた場所で四人の様子を見守っていた遼平が秋子と時雨の微妙そうな表情を察知して父親に声をかけた。

「――ねえ父さん、なんだか叔母さん達が困ってるように見えるんだけど」

「ん?」

 息子の言葉に稔彦が秋子と時雨の顔を見た。

 秋子が稔彦に向かって言いづらそうに口を開く。

「……あのね、このスケッチブックは昔から母が大切にしていたもので、実は亡くなる前に母から時雨に渡してくれって頼まれたものなの……」

「え?」

 今度は秋子の言葉を聞いた稔彦がきょとんとした表情を浮かべた。

「え、だってこれ、確かに母さんが持っていた本……」

 そう言うと、もう一度箱の中のスケッチブックをじっと見つめた。

「実はこれと同じものをウチの母と小春伯母さんの両方が持っていたんだけど……、なんだか稔彦さんのその言い方だと小春伯母さんが持っていたスケッチブックは今は行方ゆくえが分らなくなっているみたいね」

 秋子の話を聞いた稔彦は目を丸くする。

「二人が同じものを持っていたって……、それ本当の話かい?」

 秋子が話がすぐには信じられないのか、稔彦はじっとスケッチブックを眺めている。

「ええ、かなり昔の話だけど、小春伯母さんから私自身が直接聞いた話だから……、伯母さんが持っていたスケッチブックも実際に家で見た事があるし」

 秋子がそこまで言うと、ようやく納得が出来たのか稔彦がふっと息を吐いて小さく頷いた。

「……四、五年ほど前に両親の住んでいた自宅を売却する事になって、父さんや母さんの思い出の品だけ幾つか残して家の中のものは粗方あらかた処分したんだ、その時にふとこの本の事も思い出して家中のあちこちを探したんだけど見つからなくてさ」

「小さい婆ちゃんみたいに誰かにあげたとか?」

 少し落胆気味の父親に遼平が声をかけた。

「息子の俺や遼平以外の他人に渡したっていうのか? うーん……」

 俊彦は唸るように呟いた。

「残念だけど今日のところは諦めるしかないわね、小夏お婆ちゃんの方は、また今度電話で聞いてみるし……」

 時雨に向かって秋子がそう言うと、時雨は黙って素直に頷いた。

「九州の叔母さんも同じものを?」

 稔彦がそう尋ねると、秋子は首を振ってみせた。

「ううん。……でも絵画が趣味のうちの母と違って、小春伯母さんとスケッチブックってあまりイメージが結びつかない気がするの。それなのに二人が同じスケッチブックを大切にしていたから、もしかして三人に共通する思い出の品なのかもって……」

 自信無じしんなさげに秋子がそう言うと、隣に居る時雨と顔を見合わせて互いに頷き合う。

「この子が小さい頃からこのスケッチブックを気に入っていたものだから、他にまだあるのなら見せてあげたいと思っただけなのよ」

「ふーん、そうだったの」

 会話を黙って聞いていた早紀子は、テーブルに手を伸ばすとスケッチブックの入った箱を自分の近くへと引き寄せた。

「中、見せてもらってもいい?」

「はい、どうぞ」

 時雨は早紀子に向かって頷いてみせた。

 すると、稔彦がおもむろにソファーから立ち上がった。

「二人ともちょっと待っててよ、俺、博之ひろゆきさんに電話してくるから」

「え? 博之さんって、熊本の?」

 稔彦の言葉に秋子と早紀子の二人だけが驚いて目を丸くする。

 博之とは九州の熊本へと嫁いだ小夏の息子の事で、つまりは秋子と稔彦にとって従兄弟いとこにあたる人物だった。

「そのスケッチブックを小夏の叔母さんが持っていたのかどうか今すぐに尋ねてみる」

 三姉妹の次女である小夏も長女の小春とほぼ同じ頃に他界しており、スケッチブックについて本人から直接聞くことは不可能だった。

「今聞くの?」

 唐突な夫の行動に呆れ気味の表情を浮かべながら早紀子が尋ねた。

「どうせ今日は日曜日だし博之さんだって休みだろ? こうなるともう気になって仕方ないんだ。電話でちょっと聞いてしまえば済む話だ」

「それはそうだけど……」

 早紀子が困惑した表情を浮かべる。

「稔彦さん、近々私が電話したらその結果はちゃんと連絡するわよ」

 秋子も立ち上がって引き止めようとするが、その動きを片手で制しながら稔彦がベランダ近くへと移動する。

 ズボンから携帯電話を取り出すと、そのままベランダの方へと姿を消してしまった。

「なんだか時々せっかちなのよね」

 早紀子が苦笑いを浮かべながら秋子を見た。

「うちの主人もよ。男の人ってああいう時どこかマイペースなのよね」

 諦め顔でそう話す母親二人の台詞に、時雨が遼平の顔をちらりと見た。

 時雨と目があった遼平は、わざとに微妙な表情を浮かべて見せる。

 数分ほど経って、電話を終えた稔彦がリビングへと戻ってきた。

「博之さんと連絡が取れたよ」

 そう言うと、ソファーに座り込んだ。

「まさに秋子さんの想像した通りだ、博之さんにも何となくおぼえがあるそうだ」

「へぇー、そうなの」

 早紀子が嬉しそうな表情を浮かべながら身を乗り出してきた。

 稔彦も少し嬉しそうに目を輝かせながら頷く。

「ああ、秀美さんに聞いて何か分かったらすぐに連絡してくれるとさ」

 早紀子が箱から取り出して膝の上に乗せたままだったスケッチブックを稔彦へと手渡した。

「ちなみにね、私、さっき秋子さんの言ったのを聞いていて思ったんだけど……」

 早紀子がそう言いかけた瞬間、稔彦の携帯電話が鳴った。

「おっ、仕事が早いなぁ、博之さんからだよ」

 驚いた表情で携帯電話を操作しつつ、稔彦は再びベランダの方へと移動する。

 稔彦が姿を消すと、すぐに早紀子が口を開いた。

「ねぇ 遼平?」

「ん? 何?」

 呼ばれた遼平が早紀子の方を見る。

「遼平にとって、小春ばあちゃんのイメージってどんな感じ?」

「イメージって?」

「小冬の叔母さんが絵が好きって言われても納得よね」

「ああ、そういう事ね」

 早紀子の言いたい事をすぐに理解した遼平は、大きく頷いてみせる。

「母さんが言いたいのは、うちのばあちゃんは絵よりも本だったって事だろ?」

 今度は早紀子が大きく頷いた。

「そうそう」

「本……ですか?」

 時雨が遼平の言葉を繰り返すと、秋子が補足するように口を開いた。

「ウチのお婆ちゃんの趣味が絵の鑑賞なら、小春叔母さんは読書が趣味の人だったのよ」

 秋子の言葉に早紀子が微笑みながら頷く。

 それから稔彦がテーブルに置き去りにしたスケッチブックを大事そうに手に取ると、木の表紙をさすりながら言った。

「お義母かあさんと小冬のおばさんが同じスケッチブックを持っていた理由って、きっと秋子さんの言う通りなのかもね……あら、キレイなパステルカラー!」

 早紀子が描かれている水彩画のスケッチを見て、小さく感嘆の声を挙げる。

 母親の反応を見て中身が気になった遼平は椅子から立ち上がるとソファーに腰掛けている母親の背後へと回った。

「あれ? もしかしてこれって原画なんですか?」

 早紀子の肩越しにスケッチブックの絵を覗き込んだ瞬間、遼平は秋子に向かってそう尋ねた。

「何? ゲンガって?」

 早紀子が振り向いて息子に尋ねる。

「印刷じゃなくて実物って事」

「あら、これってそうなの?」

 息子の言葉に驚きながら、早紀子がスケッチを凝視する。

「まじでスケッチブックなんだ……、ところで、これって誰の絵なんですか?」

 遼平が秋子に向かって尋ねた。

「それは私達も知らないの」

 秋子が残念そうな表情を浮かべてそう言うと、遼平はふーんと頷いた。

「思い出の品だっていうのなら、三杉のお爺ちゃんが描いたスケッチなのかしら?」

 早紀子の言葉に遼平が小さく驚いた。

「曾爺ちゃん?」

 早紀子に向かって秋子は首を振ってみせた。

「ところがね、そこだけは『絶対に違う』って、母からしっかりと否定されてしまってるの」

 秋子が苦笑い気味にそう言うと、電話を終えた稔彦がリビングへと戻ってきた。

 その表情は誰が見ても一目ひとめで分かるくらい冴えない感じだった。

「どうだったの?」

 真っ先に早紀子が尋ねる。

「うん、それがなぁ、小夏の叔母さんが元気だった頃にあったはあったらしいんだけど、どうやら秀美さんところもウチと一緒らしいんだ」

 俊彦はそう言って後頭部を指で掻いた。

「え、一緒って?」

「うん、気づいたら見当たらなくなってたって……」

「あらら……」

 予想外の結末に、早紀子は口を開けて唖然とした表情を浮かべる。

「秀美さんも俺と同じで、本の事を思い出して探した時期があったらしいんだ」

 稔彦の話を聞いた秋子と時雨は、互いに残念そうに顔を見合わせた。

「残り二冊が揃って行方不明……」

 遼平がポツリと呟く。

 秋子は稔彦にお礼を言った。

「稔彦さん、わざわざ電話してくれてありがとうね」

「それは全然気にしないでよ、俺だって元々気になっていた事だったし」

 秋子にそう言いながら、稔彦は早紀子の膝に載っているスケッチブックに手を伸ばす。

「それにしてもこの木の表紙、懐かしいなあ……」

 早紀子から渡されたスケッチブックを開き、ページを数枚捲った。

「叔父さんもこのスケッチブックの絵、好きだったんですか?」

 懐かしそうにスケッチブックを眺める稔彦に向かって時雨が尋ねると、稔彦は首を横に振って答えた。

「いいや、母親が大事にしていた本だったから何となく思い出して探していただけだよ」

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