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小説・鬼灯館 【憧憬の杜編】  作者: 矢田 圭二
プロローグ・ストーリー
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第一章 スケッチブック

あらすじ


鎌倉市内の高校に通う霞上かがみ時雨しぐれは、祖母宅の遺品整理をしていた際、亡くなった祖母が大切にしていたスケッチブックを母から渡される。


スケッチブックの入っていた箱の中には何故か得体の知れない一本の鍵が残されていた。

果たして何の鍵なのか?

時雨は祖母宅で鍵穴探しを始めるが……。

「それ、緑想館りょくそうかんに飾るの?」 

 二階から螺旋階段を降りてきた霞上かがみ時雨しぐれは、居間にいた母親の秋子あきこに声をかけた。

「ええ、そうしたいんだけどね……」

 何やら思案しあんげな表情を浮かべている秋子の前には額装がくそうされた風景画が壁に立て掛けられた状態で置かれている。

「それ、お爺ちゃんの絵?」

 娘からの質問に秋子は小さく首を振った。

 室内には壁の至るところに沢山の絵画が飾られている。

「じゃあ、お婆ちゃんのパパの絵?」

 秋子は、その質問にも首を横に振ってみせた。

「少し前に知り合いから買ってきたものらしいんだけど……」

 そう言いながら額縁へと手を伸ばす。

 ほんの少し手前へ引くように傾けると、その奥からまた別の絵が現れた。

「あれ、一枚じゃないんだ?」

 隠れていた別の絵に気付き、時雨が額縁へと手を伸ばす。

 その手に絵をゆだねると秋子は時雨の背後へと移動した。

 背後で絵を眺める母親の邪魔にならないよう時雨が一枚目の絵を軽く手前に引き倒す。

 いた隙間すきまから覗き込むと、さらにもう一枚別の絵がある事に気付いた。

「どこかに飾る為に買ったのは確かなんだろうけど……」

 言葉尻を濁す秋子の表情は、どこか冴えない。

「……ねえママ、これって三枚だけなの?」

 絵を見た時雨が振り向きざま秋子に向かって尋ねた途端、秋子はひどく残念そうな表情を浮かべた。

「そう思うわよね……やっぱり」

「うん、何となくこれだと〈冬の絵〉が足りないような気がする」

「お婆ちゃんが誰から買ったか分からないから、それを確かめようがないのよ」

 そう言って秋子が溜息ためいきをつく。

 時雨は母親が冴えない表情を浮かべている理由わけを察した。

 壁に立て掛けられた絵を前にして母娘おやこ揃って思案げな表情を浮かべる。

「雰囲気は緑想館あそこ向きなんだけど、やっぱり自宅ここに飾っておいた方が無難ぶなんかしら」

 諦めたような表情を浮かべて秋子が言う。

「とりあえずどこかしらには飾ってはあげたいんだけど……」

 みどりしげる庭園らしき風景画を前に、秋子は難しそうな表情を浮かべて呟いた。


 新緑しんりょくの季節を迎えた鎌倉市内。

 高校入学を間近に控えて短い春休みを過ごしていた霞上かがみ時雨しぐれは、二週間ほど前に亡くなった祖母の遺品整理の為、母親の秋子に連れられて同じ市内にある祖母の邸宅を訪れていた。

 煉瓦れんがで造られた古い洋風ようふう建築の一室、時雨と秋子の居る居間にはアンティーク感溢れる西洋風の家具が並び置かれていて、飾り棚にはガラスや金属で作られたハンドメイド風の古めかしいオブジェが数多く並べられている。

 最近では滅多に見なくなった焼杉の黒い床板の上にはペルシャ絨毯じゅうたんかれ、漆喰しっくい塗りの白壁には大小様々な絵画が飾られていた。

 まるで小さな画廊がろうを思わせるような洒落しゃれた佇まいの邸宅ていたくは、時雨の祖父である御領ごりょう玲一れいいちが自ら設計して建てたものだった。

 建築家だった時雨の祖父は、時雨が生まれるよりも前にこの世を去っており、時雨が物心ものごごころついた頃から祖母である御領小冬が一人きりで暮らしている思い出しか無かった。

 時刻は早朝、朝の七時を少し回ったところでまだ外の気温ははださむい。

 けれども窓から差し込む陽光ようこうは、その暖かさだけが室内の空気に伝わって、体を動かす二人にはちょうど心地の良い室温になっていた。

 時雨にしてみれば、そんな清々《すがすが》しい朝の雰囲気が大好きだった祖母の居ない寂しさをほんの少しだけ和らげてくれる。

 ハンディモップを片手に棚の埃を払っていた時雨がフォトスタンドのひとつへと手を伸ばした。

 そのフォトスタンドには三十年以上も前に写された仲睦まじく並ぶ祖父と祖母の写真が一枚きり収められていた。

「ほーら、いちいち手を止めてたらいつまでたっても終わらないわよ」

 時雨の母、霞上かがみ秋子あきこがそう言って娘に声をかけた。

 パンツルックが映えるスラリとしたスタイルに、ツーポイントのフレームレス眼鏡をかけ、セミショートのボブカットが知性的な顔立ちによく似合っている。

 テキパキと部屋の中を整理してゆく秋子とは対照的に、時雨は手にしたフォトスタンドの写真をぼんやりと眺めていた。

 母親似の知性的な面影おもかげは僅かにあるものの、まだまだ十代の女の子らしいあどけない雰囲気を放っている。

「はーい」

 色艶いろつやのある健康的な長い黒髪を後ろにたばね、薄手うすでの白いパーカーにジーンズパンツといったラフな格好で大きな飾り棚の前に立っている時雨は、気の無い返事をして返すと素直にフォトスタンドを元あった場所へと戻した。

 夫婦は見た目にもかなり年が離れていて、写真から見てとれる雰囲気は夫婦というよりも父と娘が並んで写っているようにすら見える。

 写真の中の祖母は恐らくは今の秋子よりも若く、その傍らに立つ祖父は贔屓目に見ても若い祖母と釣り合う年齢にはまるで見えなかった。

「あ、そうそう、忘れるところだったわ」

 不意に何か思い出したように秋子が片付けの手を止める。

「ちょっと待ってて」

 そう言い残して一旦部屋を出て行くと、すぐに折染おりぞめ模様の入った紙箱を手に戻ってきた。

 時雨のそばまで来ると、その箱を時雨に向かって差し出す。

「はい、これ」

 時雨は差し出されるままに両手を出して紙箱を受け取った。

「なに? この箱」

 渡された箱に見覚えは無く、受け取る理由にも何ら心当たりの無い時雨は、手にした箱を目の高さまで持ち上げて眺め回す。

「それ、お婆ちゃんからよ、時雨に渡してって」

「えっ? お婆ちゃんが?」

 時雨はきょとんとした表情で聞き返した。

「ええ、中身は時雨が欲しがっていたものだって言っていたけど」

 何かしら思い当たる節があったのか、時雨の顔に驚きの表情が浮かんだ。

「えっ?それってもしかして……」

 窓際まどぎわに置かれた書斎机しょさいづくえに小走り気味に歩み寄り、その上に紙箱を置くと両手でそっと蓋箱ふたばこを持ち上げる。

 秋子は黙ってその動きを見守っていた。

 箱の中を覗き込んだ瞬間、時雨の表情がパッと明るくなった。

「うわぁ……!」

 感激の面持ちで両手を口元にあてる。

 そんな娘の様子に笑みを浮かべつつ、紙箱の中身を知らない秋子は、娘に向かって首を傾げてみせた。

「なーに?」

 秋子は娘に向かって紙箱の中身を尋ねた。

 時雨は箱の中に手を差し入れると、収まっていたものをゆっくりと取り出した。

「あら、それって……」

 箱から取り出されたものを見て、秋子がほんの少し驚いたような表情を浮かべた。

「それって、母さんの大事にしていたスケッチブックね。時雨の欲しがっていたものってそれだったの」

 秋子がそう言うと、時雨は満面の笑みを浮かべて大きくうなずいた。

 紙箱に入っていたのは一冊のスケッチブックだった。

 木彫きぼりの彫刻ちょうこくほどこされた木製の板が表紙のかわりに使われており一見いっけんしただけではすぐに何かは分からない。

 けれども母娘おやこだけは、それが水彩画のスケッチ集である事を知っていた。

 胸の前でそっと大事そうにきかかえた時雨が、ゆっくりと目を閉じる。

「約束、ちゃんと覚えていてくれたんだ……」

「約束?」

「うん、約束……これをいつか私にくれるって」

「あら、そんな約束をしてたの」

 秋子はわざとに小さく驚いてみせた。

 書斎机の椅子に腰掛こしかけた時雨は、胸に抱き抱えていたスケッチブックを膝の上に乗せた。

 木製の表紙にはかえでの葉をした図柄ずがらりと呼ばれる木彫きぼ彫刻ちょうこく技法ぎほうを使って彫りこまれている。

 時雨は、その葉の部分をいとおしむように指先でなぞった。

「それ気に入ってるのって昔からだったものねぇ」

 娘の幼い頃を思い出しながら感慨かんがいぶかげにそう言うと、秋子が机の上に取り残された紙箱へと手を伸ばす。

 折り染めの和紙が上蓋に丁寧に貼り込まれていて、捨てるのが勿体無いくらいの出来栄できばえだった。

 コツン――秋子が紙箱を持ち上げた瞬間、中で何かが箱にぶつかるような音が聞こえた。

「あら?」

 のぞき込むと、紙箱の底に古びた真鍮製しんちゅうせいの鍵が一本だけ転がっているのが見えた。

 秋子は紙箱の中から鍵をつまんで取り出した。

「ねえ、時雨」

 目を閉じて喜びにひたっている最中の娘に声をかける。

「これ、なかに残っていたけど?」

 秋子が目の前に鍵を差し出すと、時雨はそれをぼんやりと眺めた。

 大きさは家の玄関の鍵に使われるようなシリンダーキーとほぼ同じだった。

「何の鍵?」

 秋子が尋ねると、時雨はゆっくりと首を傾げて見せた。

「さあ……、分かんない」

 とりあえず差し出された鍵へと手を伸ばす。

「その箱の中に入ってたの?」

 鍵を受け取りながら逆に秋子へと聞き返した。

「ええ、そうよ」

「何の鍵なんだろう……?」

「本当に分からないの?」

 自らの記憶を探るようにして天井を見上げるが、時雨はすぐに秋子に向かって首を傾げてみせた。

「やっぱり心当たりない。……っていうか、お婆ちゃんは何も?」

 秋子が首を横に振って見せた。

「この箱を渡して欲しいって……、ただそれだけ」

「コレの鍵なのかな?」

 時雨は鍵を一旦机の上に置くと、膝の上に乗せていたスケッチブックを持ち上げて調べ始めた。

 木製の表紙をめくってみたり上下左右にひっくり返してみたりしたが、やはり鍵穴かぎあならしきものは見当たらない。

 肩をすくめながら、諦めた表情で秋子の方を見る。

「……やっぱり違うみたい」

「単に間違えて箱に入れたのかもしれないけど……、片付けをしているうちに何か分かるかもね」

「うーん、なんかすごく気になるなー」

 時雨は鍵をじっと見つめた。

「よりによって鍵っていうのが、余計に気になる」

「だけど、この家の中でこんな古い鍵を使うような場所って、正直、ママにも心当たりないのよね」

「ね、探してみてもいい?」

 時雨は何やら決意のこもった眼差まなざしを秋子に向けながらそう尋ねた。

「それは別に構わないけど、片付けの邪魔はしないでね」

「うん!」

 秋子の了承を得た時雨が、スケッチブックを置き去りにしたまま飛び出すようにして居間を後にする。

 ひとり盛り上がってしまった娘の様子を見て、秋子は呆れつつ苦笑いを浮かべるしかなかった。


 その日の夕刻、祖母宅の片付けを午前中に終え自宅マンションに戻っていた時雨は、夕食の支度に忙しい秋子を手伝いながら鍵の話題でひとり盛り上がっていた。

 父親の帰りを待つリビングのテーブルには、秋子の作った手料理が並べられている。

「……屋根裏部屋やねうらべやまで探して見つからなかったんだからさー、あの家の中で使われてる鍵じゃないんだよ、きっとー」

 三人分の食器をテーブルの上に並べながら、時雨がキッチンに居る母親に向かって大声で話し掛ける。

「お婆ちゃんもさー、何か一言ぐらい言ってくれればいいのにさー」

 時雨はそう言うと不満そうに口を尖らせた。

 グラタン皿を載せたトレーを両手で持ちながら、秋子がキッチンから出てくる。

「別に無理に探そうとしなくたっていいんじゃないの?」

 い母親の言葉に時雨はますます不満そうに口をとがらせた。

「それはそれでなんだか気持ちが悪いもん」

 時雨の一言を聞き、秋子が苦笑いを浮かべる。

「別に難しく考えなくてもいいんじゃないの。お婆ちゃんにとって何か大切な思い出の品だったのかもしれないし、それを時雨に形見として持っていてもらいたいと思っただけかもしれないじゃない?」

「そうなの?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 小さな子供に言い聞かせるような優しげな口調で秋子が言った。

「今はとりあえず大事に持ってさえいればいいと思うけど」

 そう言ってからわざと横目よこめがちに時雨の目を見つめる。

「ちなみに娘の私には何も残してくれてないのよね……」と、ポツリ呟くように付け加えた。

「あ……」

 寂しげな表情を浮かべてみせる母親の様子に時雨が少しだけ気まずそうな表情を浮かべる。

 それを見た秋子がすぐに笑顔へと表情を変えた。

「ふふ、冗談よ、ママはそんなの気にしてませんから。それよりも時雨がその鍵の事を忘れてしまうような話をひとつだけ聞かせてあげられるんだけど……」

 秋子の言葉を聞いた途端、時雨の目がみるみる大きくなる。

「鍵の事を忘れられるような話って?」

 素直に興味を示す娘に向かって、秋子はわざと意地悪いじわるそうな表情を浮かべてみせる。

「聞きたい?」

 秋子がそう尋ねると、時雨は大きく頷いた。

「じゃあ、まずは夕飯の支度を終わらせてしまいましょ!」

 肩透かし気味の秋子のひと言に、時雨が驚きの表情を浮かべた。

「えっ? えぇーっ!?」

「まだお味噌汁だって作らないといけないし、ママだって忙しいのよ」

 すました顔でそう言いながら、トレーに載るグラタン皿を手際良くテーブルへと並べてゆく。

 残念そうな表情を浮かべながら時雨が言った。

「ママのいじわる!」

「ひと段落したら後でちゃんと聞かせてあげるんだから、ちょっとくらい我慢なさい」

 娘の一言をさらりとかわし、秋子は再びキッチンへと戻っていった。

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