星鳥燈矢(3)
「でっっっかっ」
東京都品川区。燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて聳え立つ鏡張りのビルを、星鳥はただ見上げていた。
時刻は八時半。就活時代に買った安スーツとは比べ物にならないくらいお洒落なスーツを着た一団が次々とビルの中に吸い込まれていく。
お洒落な会社は社員もお洒落なのだろうか。念の為に印刷しておいた日程連絡のメールをポケットから取り出し、恐る恐るビルの中に足を踏み入れる。
顔が映り込みそうなほど磨かれた大理石の床に加え、見上げるほど高い吹き抜けの天井は圧巻だった。平成を通り越して昭和の香りすら感じさせる中里エネルギーサービスとは雲泥の差だ。
受付は真正面に設置されていた。研修に来たと言えば詳しく案内してくれるだろうが、並んでいる女性たちが綺麗すぎて話しかけるのを躊躇してしまう。
「どうしました?」
背後から声をかけられ、肩がびくっと跳ねる。振り向くと、そこにいたのは夜空みたいな目をした、濃紺色のスーツに身を包んだ若い男だった。
星鳥と同じ歳頃だろうか。下ろした前髪の下の凛々しい眉が意志の強さを主張しているように見える。身長も高く、百七十六センチの星鳥がゆうに見下ろされてしまうほどだ。
そして何より美形だった。アイドル的な容貌の星間とは違って、こちらは精悍という言葉がぴったりだ。男は星鳥が手にした紙に視線を落とすと、得心したように頷いた。
「ああ、研修に参加される方ですね。僕もそうなんです。よければ一緒に行きませんか?」
「ぜひ!」
断る理由はない。全力で即答し、男の後を少し遅れて歩く。
男はITPの新入社員で、与野坂拓海と名乗った。歳は二十二歳。予想通り、星鳥と同い歳だった。与野坂という名字に既視感を覚えたが、男についていくのに必死で意識が逸れる。
向かうはビルの最上階だった。
窓からレインボーブリッジが一望でき、セミナーから記者会見まで対応できる大講堂の他に、星採取用のシミュレーターなども備え付けられているそうだ。
星がどう採取されて、どう加工されているかを総合的に学べるフロアとなっていて、土日は一般人にも開放されているらしい。ただ常に予約がいっぱいで、一ヶ月待ちもザラだという。
「すごいね。さすが大企業」
「社長は星が大好きだからな。少しでも仲間を増やそうとしているんだよ。研修に協力会社を招くのも星産業への理解を深めてもらいたいからだ。今日は君だけだけど」
同年代の気安さから早くも敬語を忘れた星鳥に気分を害することもなく、拓海が答える。
外の景色を一望できる透明なエレベーターに乗り込むと、足が何故かむずむずした。普段はビルよりも高い場所にいるのに不思議なものだ。
「うわ、広……」
降りた先には一面のガラス窓が広がっていた。拓海の言った通り、窓の向こうにはレインボーブリッジが伸び、銀色に光る水面の上をいくつもの船が行き交っているのが見えた。
研修場所の大講堂は一番奥にあるそうだ。塵一つない絨毯の上を歩いていると、どこからともなくパンの焼ける匂いが漂ってきた。
「何かいい匂いする」
「食堂だな。社員なら朝七時から利用できて、夜はバーにもなるんだ」
ここまでくると驚きの声も出ない。通りすがりに食堂の中を覗く。テレビに甲子園のニュースが映っているのに気づき、思わず顔をしかめた。
大講堂の中はすでに多くの人間が着席していた。みんなキラキラしたエリートたちで圧倒される。
拓海が足を踏み入れた途端、新入社員たちが俄かにざわめいたが、当人は特に気に留めた様子もなく一番前の席に座り、星鳥を隣に誘った。
「想像より多くてびっくりしたよ。新入社員だけで何人いるんだろ」
「本体だけだと四十人ぐらいだな。連結を合わせるともっといる」
「うちの八倍じゃん……」
規模の差に嘆息する。
右側のドアが開き、細身のスーツを着た男が颯爽と現れた。中里と同年代のようだが風貌は正反対だ。ゆるくパーマを当てた黒髪といい、口周りのヒゲといい、地元の姉の言葉を借りるなら仕事のできるイケオジといった感じだった。
「今日の研修担当の人かな?」
拓海は答えない。聞こえなかったのかもしれない。新入社員たちが緊張の面持ちで見守る中、イケオジが教壇に両手をつき、大きく前のめりになった。
「ようこそ、諸君!」
空気がビリビリと震える。マイクを使っていないのに何て声量だ。目を丸くする星鳥の横で拓海は静かに苦笑している。
「私がITPの社長、与野坂海人だ。新入社員はもとより協力会社の方も、真夏の暑い中はるばる来てくれてありがとう」
ウインクされて胸がどきりとする。同時に、さっき拓海を見た新入社員たちが浮き足だっていた理由に思い至り、ぎこちなく隣を向く。
「もしかして、与野坂くんって社長の息子なの?」
「そうだよ。……驚いたか?」
「そりゃそうだよ! 何で最初に言ってくれないの」
小声で抗議する星鳥に、拓海は前を向いたまま肩をすくめた。
「息子と言っても養子だからな。僕から見れば普通の親だし、あえて言うことでもない。君が同じ立場なら、初対面の人にペラペラ話すか?」
どこが普通の親だと言いたい気持ちは山々だが、天下の大大大得意様の名字を忘れていた星鳥に非があるので、飲み込まざるを得ない。
「まあ、そうだけどさ……じゃあ、拓海くんって呼んでいい? 同じ名字だとややこしいし、俺のことも燈矢って呼んでくれていいから」
拓海の耳がぴくりと動いた。まるで幽霊に遭遇したような目で星鳥を見つめ、ふっと小さく息を漏らす。
「わかった。よろしく、燈矢」
こそこそと話している間にも与野坂の講義は進む。拓海をはじめ、新入社員たちが一斉にメモを取る音が響く中、星の発見、星エネルギー開発の歴史、星産業の多角化、ITPの歩み――と続き、いよいよ佳境に差しかかった。
「星を取り巻く状況は刻一刻と変化している。星エネルギーが主流になった今も、星依存を危険視する声や前時代の原子力発電に回帰しろという声は根強い。諸君の中にも『人は死ぬと星になる』という風説をネットやニュースで見た者もいるだろう。昨今では星を神聖視する宗教団体も現れ、星の採取は神への冒涜だと批判に晒されることもある。だが――」
与野坂が一瞬眉を寄せて腹に手を当てた。具合でも悪いのだろうか。周りはメモを取ることに夢中で気づいていない。
拓海に伝えるべきか――そう思った時、与野坂がまっすぐに背筋を伸ばした。力強い笑みをたたえ、星鳥たち一人ひとりの顔を見渡していく。
「――だが、どうか胸を張ってほしい。星の採取なくして星エネルギーは生まれない。この国のインフラを支えるのは君たちだ。誰が何を言おうと、星産業には無限の未来と明るい希望があると私は信じている。だから心を込めてこの言葉を贈ろう。――ご安全に!」
ご安全に。それは星鳥たちを成層圏に送り出す時に中里や星野が必ず口にする言葉だった。無事に成層圏から戻れますように。そんな意味が込められているという。
万雷の拍手の中、現れた時と同じように与野坂が颯爽と退場していく。その背中は今まで見たどんな背中よりも自信に満ちあふれ、まっすぐに伸びている気がした。
「拓海くんのお父さん、格好いいね」
素直な感想を漏らすと、拓海は自分が褒められたように頬を染めた。




