星鳥燈矢(2)
「またダメだったんだって?」
しょんぼりと事務所に戻った星鳥の顔を見て、事務員の星野が笑う。
歳は確か三十二歳だっただろうか。両頬に浮かぶエクボが魅力的な女性だ。ゆるくアップにした黒髪の下の小鹿みたいな瞳を見ていると、とても二児の母親には思えない。
「まあ、最初はしょうがないよ。練習と実践を繰り返して、少しずつ取れるようになっていくんだからさ。俺もそうだったし」
アイスコーヒーを差し出し、優しく慰めてくれるのは先輩の星間だ。芸能人と遜色ない美形ぶりで微笑まれると、ついコロッといきそうになる。
彼は星崎と同期で、歳も同じ二十八歳。中里エネルギーサービスのもう一人のエースだった。
「いうて、もう三ヶ月やぞ。そろそろクズ星の一つや二つでも取ってもらわな困るわ」
シャワーを浴び、NES(中里エネルギーサービス)とロゴが入った薄緑色の作業服に着替えた星崎が、首から下げたタオルで頭を拭きながら椅子に腰掛けた。
鋭く釣り上がった三白眼と細い眉が彼の迫力を増している。垂れ目で童顔な星鳥とは正反対の顔だ。
「社長もそれを期待してお前を雇ったんやぞ。何せ、星を取るために生まれてきたみたいな名前しとんねんからな」
星崎の言葉が胸に刺さった。
星鳥が入社できたのは、ひとえに社長である中里の温情があったからだ。そして、その理由が星崎の言う通り名字のおかげだということもわかっていた。
中里と初めて出会ったのは、ちょうど半年前。就職試験に立て続けに失敗して公園で一人泣いていた時である。
顔を覗き込んだのは大学教授みたいな風貌の男だった。小柄な体に薄緑色の作業服を羽織り、夕焼けを反射する銀縁眼鏡の奥から理知的な瞳を星鳥に向けている。
「どうして泣いているのですか?」
今思えば心底弱っていたのだろう。気づけば神仏に縋り付く哀れな罪人の如く、己の現状を全て吐き出していた。
書類選考は通るのに、いつも面接で落とされること。
バイトで学費を稼いでいるため、就職浪人はできないこと。
そもそも喧嘩して田舎を飛び出した手前、親元には戻れないこと。
中里はそれらを最後まで聞き終えると、鼻水を垂れ流す星鳥にティッシュを差し出し、落ちこぼれの生徒に接する教師のような慈愛に満ちた口調で言った。
「星に興味はありますか?」
その時はプラネタリウムの職員だと思った。しかし、この事務所に通された瞬間に間違いだったとわかった。
星を取るのは体力勝負だ。需要の割に就職を希望する人間は少ない。何せ主戦場は成層圏なのだ。危険も多く、仕事の過酷さから離職率も高い。
けれど、もう後のない星鳥にとってはまさに渡りの船だった。小学校から高校まで野球に人生を捧げていたので体力には自信がある。それに拾ってくれた中里に恩を返したい気持ちもあった。
――なのに、何も貢献できていない。
胸の中にじわじわと焦燥感が広がっていく。楽しげに雑談を始める先輩たちを横目に星鳥は唇を噛んだ。
「ただいま帰りました」
蝉の鳴き声と共に、鞄を手にした中里が外回りから戻ってきた。額から流れ落ちる汗で首筋はしとどに濡れ、淡いグレーのシャツが濃いグレーに変わっている。
今年五十八歳の中里には外の暑さは過酷だと思うが、最古参の星野によると、どんなに天候が悪い日でも外回りを欠かしたことがないという。
そのおかげでこうして仕事をいただけるのだから、星鳥としては毎日頭が下がる思いだった。
「社長、お帰りなさい」
星間が入れたアイスコーヒーを一息で飲み干し、中里が息をつく。
「いやあ、毎日暑いですねえ。星崎くんたちもお疲れ様です」
「俺らは逆に寒いですけどね。マイナス五十度なんで、汗なんて速攻で凍り付きますわ」
「はは、そうでしたね。今日の成果はいかがでしたか?」
「八個です。質もまあ、まずまずですね。明日は風が強いらしいんで、少し東寄りに停泊した方がええかもしれません」
星崎が机上に置いていた報告書を中里に手渡した。事務所に戻ってそう経っていないのに、いつの間に作成したのだろう。
もちろん星鳥はまだできていない。先輩の仕事ぶりを見せつけられて、萎んでいた気持ちがさらに萎む。
「あの、すみません……俺はまた一つも……」
顔から火が出そうになる。いたたまれなくて俯く星鳥に、中里は怒ることなく微笑んだ。
「まだ新人ですからね。そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。星鳥くんや星間くんだって最初は取れませんでした。幸いにも、ここには優秀な先輩が二人もいます。彼らの元でゆっくりと学んでください」
「でも、もう三ヶ月も経つのに……」
さっき星崎に言われたセリフを口に出す。その瞬間、銀縁眼鏡の奥の瞳が光った気がした。
「なら、同年代と切磋琢磨してみますか?」
「えっ」
「実はITPの新入社員研修に混ぜてもらえることになりました。研修日は今週末の金曜日。時間は九時から十七時まで。交通費は出しますから遠慮なく行ってらっしゃい」
満面の笑顔を向けられ、思わず目を剥いた。
ITP――正式名称インペリアル・テクノロジー・プロダクツ株式会社。昔は帝国技研という名で原子力発電や火力発電によるエネルギー産業を主としていた。
現社長が世界に先駆けて星産業に参入した結果、今や日本のシェア五割を誇る大企業である。
日本全国に巨大な核融合炉を保有し、中里エネルギーサービスのような星採取業者と協力関係を結ぶことで星の安定供給に務めているのだ。つまりITPは中里エネルギーサービスの大大大得意様であった。
「よかったな星鳥! あのITPに行ける機会なんて滅多にないで!」
珍しくはしゃいだ様子の星崎が背中を叩く。ジンジンと痺れる痛みを感じながら、星鳥は口元を引き攣らせるのが精一杯だった。




