星野あかり(3)
コンビニの店先で湯気を立てるコーヒーカップを手に夜空を見上げる。
あいにくと雲が広がっていて、思ったよりも星は見えなかった。残念な気持ちで、小さくため息をつく。
「……あの雲の向こうに与野坂さんがいるのかしらね」
その呟きを聞きつけた星鳥が隣で星野を見下ろした。
「人は死ぬと星になるってやつですか? 研修の時に与野坂社長が話していました」
いつも屈託のない笑みを浮かべている顔が哀しみに歪む。
「与野坂社長、研修の時に一瞬お腹を抑えてたんです。でも、すぐに笑顔になって星について熱く語ってくれて。まさか病気だったなんて思いもしませんでした」
「意地を張るところは昔から変わんないのよね。最後まで張り通したんだから立派なものだわ」
夜空から視線を落としてコーヒーを一口啜る。体の中からじんわりと熱が広がり、ほうっと白い息を漏らした。
体が温まると気力も戻る。星野は語ることにした。決して表舞台には出ることのない、小さくて愛しい物語を。
「うちの会社って昔は中里金属っていう金属加工専門の町工場だったの。社長が大学三年生の頃、お父様が急死されてね。大学を中退した社長が後を継いだんだけど、なかなか上手くいかなくて、熟練の職人さんたちが次々に辞めちゃったのよ」
中里金属は先代――中里の父親が一から興した会社だった。職人たちも先代の腕と人徳に惹かれて集ったと聞いている。それが突然失われたとあれば、金槌を握る気力が萎えたとしても仕方がない。
たとえ敬愛した雇用主の一人息子でも、一度胸に開いた穴は容易には埋められないのだ。それに職人たちはすでに引退を考える年齢でもあった。
知幸くん、本当にごめん――そう言って去っていく曲がった背中を、中里は見送るしかできなかったという。
しかし、腕と人徳なら中里も先代に負けてはいない。中里の苦境を救うために立ち上がったのは当時大学を卒業したばかりの裕子と与野坂だった。裕子は発見されたばかりの星を研究する施設に所属し、与野坂は父親の後を継ぐためにITPの前身である帝国技研で営業として辣腕を振るっていた。
ある夏の日、二人は意気消沈している中里を流星群観覧ツアーに連れて行った。ただ励ますためではない。職人としての情熱を蘇らせるためだ。これから星産業は必ず盛り上がる――それが裕子と与野坂の総意だった。
二人と同じく十分に星の重要性を理解した中里は、裕子と与野坂と共に星の保管容器の開発に着手し始めた。当時のことは裕子から伝え聞いただけだが、それはまるで大学時代の続きのようだったという。
「やがて裕子さんは社長と結婚して研究員を引退した。その頃には工場の経営も徐々に軌道に乗り始めていたからね。私が入る前は裕子さんが事務を担当していたのよ」
彼らの予想は大きく当たり、世間には未曾有の星ブームが到来していた。与野坂も星開発の功績で順調に昇進し、拍手喝采で父親の後を継いだのをきっかけに、帝国技研はITPと社名を変えて星産業に舵を切っていった。
しかし、人生とはうまくいかないもの。ある日、市の健康診断を受けた裕子に病気が見つかったのだ。
子宮がんだった。
「業績は上向きになっていたとはいえ、まだまだ経営状態は火の車。工場を維持するために家計もカツカツだったらしいわ。だから社長は完成したばかりの保管容器の特許を与野坂さんに売却したのよ。裕子さんの命を守るために」
そして与野坂は中里金属を守るために、ITPの協力会社として契約を結び、星産業に関わる部品の製作を委託することにした。中里自身が表舞台に立つのを良しとしなかったので世間にはあまり知られてはいないが、実は星の核融合炉や採取船に使われているネジも中里が作ったものなのだ。
「そんなこと全然知りませんでした。そこまでの技術を持ちながら、どうして星の採取業者になったんですか?」
当然の疑問だろう。中里の腕を知る同業者はみんな同じことを言った。中里の決意を後押ししたのは与野坂だけだ。
「裕子さんが亡くなったから」
ぬるくなったコーヒーを飲み干し、星野は星鳥を見つめた。星のように煌めく若い瞳を。
「五年前の春、桜が一斉に舞い散る中で裕子さんは息を引き取った。あの時、私は就職してまだ五年目だった。社長や与野坂さんに比べれば付き合いは短い。それでも身を引き裂かれるように辛かったわ。夫と離婚して行き場のない私を拾ってくれたのは裕子さんだったの」
慈愛にあふれた目も、春の陽だまりのような温かさも、今でもはっきりと思い出せる。
裕子の亡骸を前にした中里は今にも消えてしまいそうだった。星野や与野坂がどれだけ慰めても言葉すら発さず、まるで抜け殻のように過ごしていた。
そして裕子の四十九日が過ぎ、会社の存続がいよいよ危ぶまれ始めた時、閉めていた工場の設備をすべて売却して、星採取業者に転換すると宣言したのだ。
どうして星採取業者だったのか理由は星野にもわからない。裕子は星が好きだったから、少しでも星に近づきたかったのしれない。ともあれ与野坂の援助を受け、中里金属は中里エネルギーサービスとして再出発をし、星埼と星間という優秀な人材を受け入れて今に至るのだ。
「……まさか、そんな事情があったなんて」
「あえて言うことでもないからね。でも、星鳥くんはこれからうちの会社を背負っていく人材だから知っておいて欲しかったの」
空になったコーヒーカップをゴミ箱に投げ捨てる。随分と時間を食ってしまった。気遣って送り出してくれた星間に面目が立たない。子供たちも星野の帰りを首を長くして待っているだろう。
「長々と話しちゃってごめんね。そろそろ行こっか」
とうに空になっていた星鳥のコーヒーカップもゴミ箱に捨て、車のドアに手をかける。ようやく覗いた晴れ間の中、煌々と輝く満月の横に流れゆく薄緑色の軌跡が見えた。
「あっ、見て。流れ星。与野坂さんかもね」
ぐう、と何かをこらえる音。向かいで空を見上げた星鳥がポツリと呟く。
「ほんの少ししか過ごしていませんけど、俺、あの人好きでした」
「私もよ」




