星野あかり(2)
線香の煙が漂う中、喪服に身を包んだ弔問客に頭を下げる。
昼のニュースが与野坂の訃報を伝えてから数時間が経ち、星海市が誇る古刹・星海寺にはすでに多くの人間が詰めかけていた。
何せ天下のITPの社長だ。社員、取引先、知人、政界人、タレント――人脈は成層圏のように果てなく広がっている。門前には報道陣も肩を並べているだろう。
星海市で一番大きい寺とはいえ、明らかに容量不足だが、葬式はここでというのが与野坂当人の意向だそうだ。地元愛の深い彼らしい。
「あの、星野さん……でしたっけ。ここは我々だけで大丈夫ですから、ご退席いただいても結構ですよ。もうお焼香も終えられたんですよね?」
「いえ、いさせてください。何かしていないと落ち着かないの」
いかにも新人ですという風貌の社員たちが眉を下げる。それもそうだろう。ITPの社員は約三千人。星野一人がいなくても十分に回せる。
そうわかっていても、大人しく弔問客に混じってなどいられなかった。中里や裕子と同様に、与野坂にも随分と助けてもらったのだ。
中里が医者から聞いた話では、与野坂は今年の春先から胃がんを患っていたそうだ。健康診断で発覚した時にはすでに手遅れだったらしい。会社の経営に影響を与えないよう鑑みたのもあるのだろうが、痛みも苦しみも一切おくびに出さず、最期の息を引き取る瞬間まで隠していたというのだから恐れ入る。
まるで流星みたいな人だった。棺の中で眠る姿を見た今も、目を閉じれば屈託のない笑顔を思い出す。知り合って十年という時が長いのか短いのかわからない。けれど、星野の胸に穴を開けるには十分すぎた。
「まだ恩返ししてないのに……。早すぎるわよ」
誰に聴かせるでもなくこぼれた呟きは、会場を満たす嗚咽に儚く掻き消されていった。
「来たぞ! カメラを構えろ!」
門前が俄かにざわめき、一斉にフラッシュが瞬く。ところどころ割れた瓦屋根をたたえた門の向こうに黒塗りのハイヤーが停まっている。
報道陣が固唾を飲んで見守る中、地面に悠然と足を下ろしたのは、喪服に身を包んだ精悍な顔つきの若い男――与野坂の一人息子、与野坂拓海だった。
「お久しぶりです、あかりさん」
報道陣に一挙一動を撮られていることなど意に介さず、まっすぐ受付に近づいて深々と頭を下げる。親に似ず真面目なことだ。本日の喪主であり天下の社長令息が、吹けば飛びそうな中小企業の事務員に頭を下げる必要などないのに。
最後に会ったのは拓海が大学に合格した時だから四年ぶりの邂逅になるだろうか。ところどころ当時の面影は感じられるが、随分と大人の顔つきになった。けれど、その背に負う責任を考えれば素直に喜べない。今日みたいな日なら尚更。
「ちょっと痩せたんじゃない? ちゃんとご飯食べてる?」
拓海は目を見開くと、小さく口角を上げた。左頬に片エクボが浮かんでいる。感情を最小限に表すところは昔と変わらない。
「懐かしいな。おうちにお邪魔する度にそう言っていましたね」
「ご飯は生きる基本だからね。腹が減っては戦はできぬって言うじゃない?」
ITPの社員たちが恐々とこちらを伺うのを感じながらあえてとぼける。いつも通りの星野に肩の力が抜けたらしい。拓海がふっと息を漏らす。
「あきらくんは元気ですか」
「元気元気。今日も竹刀担いで登校してったわ。ゆうも大きくなったわよ。いつか拓海くんのお嫁さんになるって張り切ってるわ」
「光栄だな。落ち着いたらまた顔を出しますよ。……中里さんは?」
「社長なら、まだ中に……」
会場の入り口に目を向けたところで、肩を落とした星鳥がこちらに歩いて来た。目は真っ赤で口はへの字になっている。
仕方のないことだと思う。星鳥は今年二十二歳になったばかり。親族以外の知り合いを見送るのは初めてのことだろう。急遽星間に借りた寸違いの喪服が、より一層悲しみを表しているように見えた。
「燈矢、久しぶり」
「あ、拓海くん……。この度は……」
ぺこり、と頭を下げる星鳥に拓海が鷹揚に片手を振る。
ITPの新入社員研修に参加した時に会ったとは聞いたが、下の名前で呼び合うほど仲良くなっていたのか。さすが星間も認める人たらしだ。
「どうしたのよ、星鳥くん。何かあった?」
「いえ……。もう夜も遅いし、お子さんたちが心配するだろうから、そろそろ帰った方がいいんじゃないかって星間先輩が」
細やかな気配りに思わず、ふふ、と笑みが漏れた。こんな時なのに中里エネルギーサービスに集う面々はみんな優しい。まるで春の陽だまりみたいに。
「燈矢、中里社長は?」
拓海が星鳥に矛先を変えた。ぐしぐしと目を擦った星鳥が、「与野坂社長のそばに」と簡潔に答える。
「あかりさん、俺もそろそろ行きます。父のために駆けつけてくれてありがとうございました。燈矢も」
律儀に頭を下げ、葬儀場の中に消えていく大きな背中を見送って星鳥に向き合う。
「星間くんたちは?」
「社長と朝までいるって。明日は臨時休業にして一度事務所に戻ってから、また葬儀に向かうそうです」
「葬儀は明日の十八時からよね。私は締めがあるから、ギリギリまで仕事をしてから子供たちと一緒に行くわ」
星鳥が頷いてスマホを操作する。星崎か星間に報告しているのだろう。まだこちらを興味深げに眺めているITPの社員たちに会釈して受付を出る。
「あっ、俺、家まで送ります。社用車の鍵を借りてきたんで」
「そう? ありがとう、助かるわ」
お言葉に甘えて裏の駐車場に回る。門前の報道陣は幾分か少なくなっているようだった。
星野がシートベルトを締めるのを待って、黒色に塗られた車体が夜の街をゆっくりと滑り始める。アパートまでは車で二十分ぐらいだ。この辺りは明かりが乏しいから、傍目に見れば星が流れているように見えるだろう。
車内は静けさに満ちている。どこを見るとはなしに窓の外を眺めていると、ふと、人は死ぬと星になるという風説を思い出した。もしそれが本当だとしたら、夜空を見上げれば与野坂の姿が見えるのだろうか。
「あの……」
赤信号で停車したタイミングで星鳥がおずおずと口を開いた。何か話したいけど聞いていいものか考えあぐねている顔だ。息子もよく同じ顔をするからわかる。
「どうしたの?」
優しく促すと、星鳥はごくりと喉を鳴らして言葉を続けた。
「……社長と与野坂社長は幼馴染だって聞きましたけど、どれぐらい親しかったんですか」
「それはもう蜜月って感じね。社長の亡くなった奥さんの裕子さんも含めて、三人とも小学校から大学までずっと一緒だったみたい。……ひょっとして社長、与野坂さんの棺から離れようとしなかった?」
「あんな社長初めて見て……。だから……」
中里の心境を思うと胸が張り裂けそうだった。星野は先に会場を出たから中里とはあまり言葉を交わせなかったが、それでも悲しみの深さがありありとわかった。普段、何事にも動じない中里が取り乱す姿を見て、まだ若い星鳥が動揺するのもわかる。
子供は大人に幻想を見ている。いつも強くて正しい道を歩いているのだと。たかだか数十年多く歳を取っただけの人間なのに。
「ねえ、ちょっとコンビニに寄らない? おばさんの昔話に付き合ってよ」




