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あの星を追いかけて  作者: 遠野さつき
第1部 3章・星間明生
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星間明生(7)

 翌日、まだ昼食の匂いも消えきらないうちに男はやってきた。


 隣に律の姿はない。もうお役御免ということなのだろうか。もしくは男が怖くて外に出られないという設定を遵守するためなのかもしれない。


 どちらにせよ、こちらには好都合だった。男が四人いるとはいえ、中里は年輩で星崎も小柄だ。もし男が激昂して暴れたら守り切れない恐れがある。


「早速で悪いね。こう見えても忙しいんでな。あんたらも、さっさと終わらせた方がいいだろ?」


 ソファにふんぞり返った男が低い声で笑った。自分の勝利を確信している下卑た笑みだ。同席していた星崎と星鳥からイラッとした気配が漂う。


 そんな不穏な空気の中、中里はいつもと変わらぬにこやかな笑みを浮かべながら鷹揚に頷いた。ただ、その目は少しも笑っていない。


「ええ、そうですね。こんな馬鹿げた茶番はさっさとお開きにしてしまいましょう」


 思わぬ反撃に男が面食らったような表情になった。その隙に一気に畳み掛ける。


「あなたのご要望にはお答えできません。何度も申し上げますが、星間は何一つ後ろ暗いことなどしていない。裁判を起こすというなら受けて立ちましょう」


 はっきりと紡がれた言葉に、男の顔が徐々に凶悪なものになる。


「言うじゃねぇか、素人さんが。なら、これが明るみに出てもいいんだな」


 馬鹿の一つ覚えの如くタブレットを向けてくる。それを一瞥して中里も傍らに置いていたタブレットを手に取った。


「でしたら、こちらもこの証拠を提出せざるを得ませんね」


 向けられた画面を見て男がわなわなと震え始める。向こうは静止画だが、こちらは動画だ。鳥瞰図のような画角の中央に映っているのは、やけに車体が低い車だった。


 車は細い路地を縫うように進み、ある古びたアパートの前を少し通り過ぎたところで停まった。


 そこから降りてきたのは、険しい顔をした律と彼女に何か指示をしている男だった。やがて律はアパートの陰に身を潜めるように立ち、男は電柱の陰に隠れてスマホのカメラを構える。そしてまもなく、何も知らない星間が呑気に姿を現した。


 後は星間自身が経験した通りだ。音声こそないものの、動画は二人の諍いと男の所業の一部始終を映し取っていた。


「流星カメラというものをご存知ですか? お天気カメラや衛星カメラのように、星の動きを観測するためのカメラです」


 日本上空には大手企業がこぞって飛ばした流星カメラがいくつか存在する。日々収集した成層圏内の観測結果をAIで分析し、星の発生場所や予測軌道を割り出しているのだ。星間たち採取員はITPから毎日共有されるデータを元に成層圏に上がり、当日の風の状況も加味して星を取っている。


 とはいえ、星産業に関わる人間でなければそこまで詳しくは知らないだろう。目の前の男も流星カメラの存在を知って動揺した様子だった。


「え、AIの偽動画だろ。空の上から撮って、こんなに鮮明なはずがねえ」

「流星カメラは成層圏内を漂うカメラです。衛星カメラよりも高度は低い。合わせて昨今のカメラは高品質でしてね。地上の映像もこうしてはっきり見えるのですよ」


 男の喉がひくりと震えた。完膚なきまでに言い負かされて、もはや声も出ない様子だ。


 今が絶好の好機と見たのか、膝の上で両手を組んだ中里が前のめりになる。まるで獲物を捉える猛禽のように。


「若い頃は随分とヤンチャをされていたようですね。小金を手にすれば破門を取り消してもらえると思いましたか、小倉圭介さん」

「な、何であんた俺の名前を知って……」


 そこではっと息を飲んだ小倉がスマホを手に取った。忙しげに画面を叩いて耳に当てる。通話口から響くのはツーツーという無情な音だけだ。舌打ちした小倉が忌々しげにスマホをソファに叩きつけ、「クソっ」と悪態をつく。


 小倉は昔、ある反社会組織の構成員だったらしい。若い頃はこんなチャチな脅迫など霞むような悪事を働いていたようだが、親分が今では珍しい「仁義」に重きを置くタイプだったために不興を買い、あえなく放逐されたそうだ。


 以降、どんな事業を始めても奮わず頭を悩ませていたところ、星間に復讐するためにキャバ嬢として働いていた律と知り合い、巨大星を採取して利益を上げた中里エネルギーサービスに目をつけたというのが真相のようだった。


「SNSの投稿もすでに削除済みです。いけませんね。要の部分も人任せでは。拳を振り上げた本人がいなくなって、ネットの炎も早晩おさまるでしょう」


 小倉がスマホの画面に目を落として顔を歪めた。きっと該当のページには『このアカウントは削除されました』と表示されているはずだ。


「ちなみに、あんたが最初に来た時の会話も録音済みや。明らかにアウトな単語は巧みに避けとったが、この動画と合わせればどちらに非があるかは一目瞭然やと思うで」


 星崎が見せびらかすようにスマホを掲げる。


 蛇に睨まれた蛙とはこのことか。小倉はしばし声もなく硬直していたが、やがて深々とため息をつくとタブレットを手に取って指を滑らせた。


「わかった。二度とここにゃ手を出さねえ。手に入れた写真も全部消す。それで手打ちにしてくれや」


 タブレットを確認した中里が満足げに頷く。


 小倉が荷物を持ってソファから立ち上がった。思ったよりもあっさりと引き下がるのは、元ヤクザなりの矜持があるのかもしれない。


「上手くいきましたね!」


 星鳥がこそこそと耳打ちをする。


「じゃあな、社長さんよ。くれぐれも達者で暮らせよ」


 無骨な手がノブに触れる。そのままドアを開こうとした時、中里が「そうそう」と思いついたように声を上げた。


「ご心配いただいておりましたITPとの関係ですが、先方とは懇意の間柄でしてね。社長の与野坂曰く、『いつでも相手になるぞ』とのことです」


 肩越しにこちらを振り返った目が点になる。中里がITPの社長と幼馴染というのは星野から聞いて初めて知った。流星カメラもコネを使って見せてもらったらしい。星野と二人がかりで目を皿のようにして探してくれたそうだ。星野には「目尻に皺が増えちゃったわよ」と愚痴られたが。


 小倉はまじまじと中里を眺めていたが、やがて肩を震わせると、「あんたにゃ敵わねえな」と言って今度こそ去っていった。


 その場に残ったのは沈黙だけだ。しかし、重苦しさはなかった。胸に湧いた衝動のままに立ち上がり、空を漂う気球のようにふわふわする頭を下げる。


「ありがとうございました、社長。このご恩は一生忘れません」

「ふふ、当然のことをしたまでですよ。あなたは中里エネルギーサービスを担うエースの一人ですからね」


 銀縁眼鏡の奥の目尻に皺が寄る。


 ここに来てよかったと、心から思った。

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