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あの星を追いかけて  作者: 遠野さつき
第1部 3章・星間明生
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星間明生(6)

 星崎に連れられて来たのは見慣れたネオンが輝く夜の街だった。男を誘う黒服や、客を待つ夜の蝶たちが道端にあふれている。


 ここに足を踏み入れるのは五年ぶりだが、何も変わっていない。今こうしている間も偽物の夢に酔いしれている客が大勢いるのだろう。その事実に辟易とする。


「ねえ、何でこんなところに来たの? 俺が言うのも何だけど、この時間は危ないよ?」

「わかっとるわい。ええから黙ってついて来い。ええもん見せたるから」


 鼻白む星間を背にズンズン進んでいく。


 やがて星崎は一軒の店の前で立ち止まった。店員だろうか。『ホストクラブ・スターシャイニング』と派手なネオンで装飾された看板の下に一人の若い男が立っている。


「遅いですよ、先輩。悠長にご飯でも食べてたんでしょ」

「拗ねんなや。案外似合うてんで、その姿。今からでも転職するか?」


 子供みたいに頬を膨らませる後輩の姿に星間は飛び上がらんばかりに驚いた。


「星鳥? こんなところで何やってんの」


 一体どこで手に入れたのか。いつもの作業服とは正反対の、ラメ入りの黒いスーツに身を包んでいる。金色のカツラといい、胸元を大きく開いた柄シャツといい、いかにもホストといったいで立ちだ。


 星鳥は食い入るような星間の視線にもじもじと体をくねらせ、囁くように言った。


「その……潜入捜査です」

「潜入捜査ってどういう……まさか」

「アキラさん!」


 店の中から駆け出してきた男に息を飲んだ。


 アキラはホスト時代の源氏名だ。それを知っているということは、つまり――。


「お久しぶりっス! 見ましたよ、流星群の時のテレビ。転職されても大活躍みたいで何よりっス!」

「……もしかして、レン? もっと昔は尖ってなかった?」


 レンは星間を慕ってくれていた後輩で、ホスト時代はよく二人で飲みに行った。転職してからはご無沙汰だったが、まさか続けていたとは。耳にも鼻にもつけていたシルバーピアスは全て外され、表情もどことなく柔らかくなった気がする。


「アキラさんがいなくなって、俺、目が覚めたんス。ホストとして必要なことは金を巻き上げることじゃなくて、お姫様たちにいい夢を見てもらうことだって」


 レンが星間を見上げる。星崎や星鳥と同じ、まっすぐな眼差しだった。


「あれからアキラさんをボコった先輩たちも全員いなくなりました。今は残った奴らで盛り立てていこうと思ってんス。もう昔のスターシャイニングじゃないっスよ!」


 晴れ晴れとした笑みを向けられ、目頭が熱くなる。昔の知り合いと会って、まさかこんな気持ちになるとは。


 今日はよく涙腺が緩む日だ。ただ黙って頷く星間の背中を星崎が軽くこづく。


「で? あいつはどうしたんや、星鳥」

「ああ、今、レンさんの後輩さんたちが……」

「離してよ! 女一人を寄ってたかって捕まえるなんてサイテー!」


 店の中から引き摺り出されてきたのはあの女だった。長い黒髪は綺麗に巻かれ、昨日とは比べ物にならないぐらい派手なメイクで艶やかなドレスに身を包んでいる。レイが言うには、最近歌舞伎町で働き出したキャバ嬢らしい。


「丸の内の事務員っていうのは嘘だったの?」

「まだそこまで聞き出せとらんから正直わからん。でも、昼職の人間が副業で夜職しとることもあるやろ?」

「それはザラにあるけど……よくわかったね」

「仮に丸の内の事務員が本当やとしても、あんなチンピラまがいの男と知り合うなんて夜の街以外にあらへんからな。だから星鳥を潜入させて情報収集しとったんや。しっかしホストってのはコミュ力の権化やな。すぐに身元割れよったで」


 怒涛の展開でついていけない。呆然と星鳥に目を向けると、可愛い後輩は照れくさそうに鼻の下を擦った。


「さて、姉ちゃんの仇討ちやとしてもやりすぎとちゃうか。ええ加減、何か言うたらどないや。中岡律さんよ」


 一瞬、時が止まった気がした。


 心の奥底で蓋をしていた感情が一気に解き放たれ、唇からうめき声ともつかない音が漏れる。まさか、と何度も呟きながら、誘蛾灯に引き寄せられる虫のように一歩足を踏み出した。


「中岡って、君、奈津子さんの……」

「その名前を呼ばないで!」


 星間の声を遮り、律がキッと顔を上げた。


「何がやりすぎよ! 姉さんはそいつのせいで死んだのよ! ホストなんかに貢ぐために体を売って、最後は……薬で……」


 その先は言えないようだった。


 うう、と漏れる嗚咽に胸が引き裂かれそうになる。中岡奈津子は星間の太客だった女性だ。星間が不幸にしてしまった女性。今、こうして向かい合っていても信じられない。姉妹というには、律に奈津子の面影はどこにもなかった。


 咄嗟に手を伸ばしそうになり、拳を握り締める。星間にその資格はない。


 奈津子の件はすでにレンから聞いているのか、星崎と星鳥は冷静を保っている。一人狼狽える星間を見て、今まで黙っていたレンが声を荒げた。


「だから、それが言いがかりだっつってんだ! アキラさんはのめり込みすぎるなって、何度も忠告してたよ。それを聞き入れず、金に目が眩んだ先輩に唆されて風呂を選んだのも、辛さに耐えかねて薬に手を出したのも、あんたの姉さん自身だ!」


 当時の情景が目の前に広がった。


 夢を見るように自分を見上げる奈津子の姿。代わりに沈めてやったから感謝しろと酷薄に笑う男。自分を取り囲む男たちに食ってかかって返り討ちにされた夜。


 降り注ぐ雨の中、路地裏の据えた匂いと、視界の端を走っていく肥えたネズミを今も忘れたことはない。差し出された傘の優しさも。


「だから何よ!」


 記憶の海に沈む星間を引き上げるように金切り声が響く。イヤイヤをする子供みたいに、律が髪の毛を振り乱して首を振った。


「姉さんは血の繋がっていない私を本当の妹として可愛がってくれた! あんな死に方していいわけないでしょ! ホストなんて嫌いよ! 夜から抜け出せないあんたたちも、夢から醒めない愚かな女たちも、みんないなくなればいいんだわ!」


 血を吐くような叫びだった。


 沈黙がその場を支配する。星間はもとより、レンも唇を噛んで俯いている。さすがの星崎も何も言えないようだ。


 その中でたった一人、星鳥が「そうかな」と首を捻った。


「俺、ほんのちょっとしか接してないけど、少なくともレンさんたちと話しているお客さんは楽しそうに見えたよ。レンさんたちだって、お客さんたちを楽しませようと一生懸命だった」


 自分で自分の言ったことに納得したのか、うん、と頷く。


「君のお姉さんの話を聞いた時、俺も最初は怖い世界だなって思ったよ。でも、仕事に夜も昼もないだろ。どんな仕事だって綺麗な面と汚い面があるし、生きるのに必死なのはみんな一緒だよ」

「そんなの綺麗事よ! あなただって、私と同じ目に遭えばわかるわ」

「そうかもしれない。でも今は星間先輩を信じたい。俺の大事な人だから」


 律は黙って星鳥を見つめていたが、やがてふっと息を漏らして唇を歪めた。


「情に訴えても無駄よ。何を言われたって私はそいつを許せない。必ず姉さんと同じ恥辱を味合わせてやる」


 ネオンを反射する黒い瞳の中に、事務所を立ち去る際に見せた炎が揺らめいている。


 律は本気だ。星間を日向から追い落とすまでは絶対に引き下がらないだろう。


 ――もういい。もうこれ以上、俺のせいで自分を傷つけないでくれ。


 そう口にしようとした時、片手でスマホをいじっていた星崎がニヤリと笑った。


「それなんやけどな。うちの社長を甘く見たらあかんで」

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