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あの星を追いかけて  作者: 遠野さつき
第1部 3章・星間明生
23/49

星間明生(5)

 非常灯だけが灯る事務所の中で頭を抱える。


 周りには誰もおらず、物音一つすら聞こえない。


 今日はとても仕事にならないので、同僚たちは後ろ髪を引かれながらも揃って退勤していった。中里も早々にどこかに出かけ、まだ戻ってはこない。くれぐれも思い悩まないようにと言われたものの、とても素直には頷けなかった。


 脳裏に浮かぶのは夜の闇の中でギラギラと光るネオンだ。あれからもう五年も経つのに、まだあそこから抜け出せていないのか。


「何で今更、過去が追いかけてくるんだよ……」


 こぼれた言葉に答えてくれるものはいない。


 星間は神奈川県の横浜市に生まれた。とはいえ高級住宅地ではなく、簡易宿泊所などが立ち並ぶ辺りだ。物心ついた頃にはすでに父親はアルコールに溺れ、母親は男を作って家を出ていた。


 今思い出しても地獄のような生活だった。


 毎日のように父親に殴られ、泣けばうるさいと外に放り出される。当時の担任は大学を卒業したばかりの新人で星間みたいな子供に対処できる能力はなかったし、近所の住民もとても誰かを助ける余裕などなかった。


 それでも、いつも泣いている子供が気がかりだったのか、何度か児童相談所の職員が様子を見にきたが、父親がものすごい剣幕で追い返すと次第に足が遠のいていった。


 不運なことに、星間は福祉の手のひらからこぼれてしまったのだ。


 とにかく家にいると殴られるので日中は図書館で過ごし、夜になれば空腹を満たすためにホームレスに混じってコンビニの廃棄弁当を漁った。


 惨めだった。悔しかった。けれど、どうすることもできなかった。


 気づけば星間は父親と同じ目をするようになり、本心を誰にも見せなくなっていた。


 そんな生活が十年ほど続いたある日、星間はいつもの如く彷徨っていた夜の街で一人の若い男に声をかけられた。


 男は髪を見事な金色に染め、全身を煌びやかに着飾っていた。歌舞伎町のナンバーワンホストだと知ったのは、連れて行かれた店で分厚いステーキをがっついている時だ。男は星間の容姿を褒め称え、お前も同じ店で働かないかと誘った。


 当時の星間は十八歳。高校には行けなかったので、何のしがらみもなく家を出て働ける。躊躇することなく、星間は男に頷いた。どれだけバイトをしても、稼いだ金を容赦無く酒代に注ぎ込まれるので懐具合は常に寂しかったからだ。


 幸か不幸か星間は要領が良かったので、客あしらいのコツを覚えるとあっという間に男を追い抜かし、ナンバーワンにまで上り詰めた。少しでも金を稼ぐために身につけた柔和な物腰の演技が女性たちに受けたのだろう。非情な店の方針に逆らって、客を夜の街に沈めなかったのも理由なのかもしれない。


 しかし、目立つものが打たれるのは世の習いだ。星間はたちまち男に目をつけられ、薄暗い路地裏で殴る蹴るの暴行を受けた。そこを中里に拾われたと言うわけだ。


 転職して初めて、星間は安心して夜を越えることができた。父親とも完全に縁を切り、これからは過去を封印して新しい人生を歩んでいこうと心に決めたのだ。


 ――なのに、ようやく手に入れた居場所をこんなことで失うのか。


 うめき声を抑え込むように両手で顔を覆う。


 不意に、事務所の電気が灯った。


「何、わかりやすく打ちひしがれとんねん」


 玄関に立っていたのは星崎だった。左手にコンビニの袋を下げている。


「……帰ったんじゃなかったの」

「こんな時に同期を見捨てられるほど俺は人でなしちゃうぞ」


 いつものように隣に座って袋をまさぐる星崎に、力無く笑みを向ける。


「まだ同期だって思ってくれるんだ」

「は? 当たり前やろ。寝ぼけとんのか」

「だって元ホストだよ? 嫌じゃない?」

「何でやねん。元ホストなんて珍しくもないやろ。まあ、今と正反対のギラギラさにはびっくりしたけどな」


 小さな唸り声が漏れる。チキンナゲットの容器に付いている爪楊枝を取ろうとしたが、上手く取れないらしい。代わりに取り出して差し出す。「おう、おおきに」と関西弁丸出しの礼が返ってきた。


「普通のサラリーマンやったて言われるより、むしろ納得したわ。普段から気ぃ利くし、あれだけ女にモテんのもわかるっちゅうか」

「別にモテたくてモテてるわけじゃないよ。みんな俺に都合のいい夢を見てるだけ。優しくしているのも全部演技だって。その方が楽だし、本当の自分を見せて嫌われるのが嫌なだけなんだ」


 チキンナゲットを頬ばっていた星崎が星間を見る。


 星鳥に散々目つきが悪いと言われる三白眼。じっと見据えられると怒られているような気分になる。けれど、その中の光はとても優しかった。星間にはないまっすぐな瞳だ。


「初めて星を取りに行ったん、覚えてるか」


 唐突な話題に戸惑いつつも答える。


「当然でしょ。まだボケる歳じゃないよ」


 そう。忘れられるわけがない。激しく吹き付ける偏西風も、初めて見た青い夜明けも、今も星間の目に焼きついている。


「せやな。俺も覚えとる」


 星崎は空になった容器を机の上に置くと、静かに星間に向かい合った。


「あの時の俺、星鳥みたいに一つも取れんかったよな。でも星間は俺に呆れることもなく責めることもせんと、コツを教えてくれたやんけ。あれも演技やったんか?」

「いや、それはさすがに演技じゃないよ。取れないものは仕方ないじゃん。俺も言うほど取れなかったし」

「俺の元上司なら絶対に許さんかった。きっと一日中怒鳴られるか、殴られるかしとる」


 星崎の元上司については、つい先日星崎自身から聞いていた。あまりにも酷い所業に星鳥と一緒に憤慨したのを覚えている。


 そして――星崎も星間と同じ痛みを経験しているのだと知った。


「ほれ」


 二の句を継げない星間の手にコンビニのおにぎりが押しつけられた。具は星間の好きなツナマヨだ。次いでお茶のペットボトルも袋から取り出し、星間の机の上に置く。


「どうせ何も食うてないんやろ。残してもしゃあないから食え。姐さんに叱られんぞ」


 星間がおにぎりに口をつけたのを見届け、星崎も別味のナゲットに取りかかる。


 静まり返った事務所の中にお互いの咀嚼音が響く。やがて星崎は完食したナゲットの容器を全て足元のゴミ箱に投げ捨てると、独り言のように呟いた。


「お前はええやつや。俺が保証したる」


 ぶっきらぼうな励ましに、思わず笑みが漏れた。


「それは心強いね。さすが中里エネルギーサービスのエースだよ」

「おう。それはそうと、モテるのは否定せんのかい」

「仕方ないよ。事実だもん」


 星崎が鼻に皺を寄せる。近くでスマホの振動音が聞こえた。星間のは設定する気力もなくそのままだから星崎のだろう。


「おう、首尾はどないや。上手くいったんか?」


 相手は星鳥らしい。いくつか言葉を交わした後、いつもの仏頂面が嘘のように顔を輝かせる。


「喜べや。うちのヒヨッコがでっかい星捕まえたで」

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