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あの星を追いかけて  作者: 遠野さつき
第1部 2章・星崎直輝
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星崎直輝(7)

 窓の外には雲一つない青空が広がっている。


 これだけ快晴なら気球は無事に飛んだだろう。いつもなら星崎もあの空の上にいるところだが、今日は午前休をもらったからまだ地上にいる。


 平日の昼間にしては喫茶店は混み入っていた。


 先日、鈴宮と入った駅ビルの喫茶店だ。奇しくもあの時と同じ席についている。


 本を読みながらコーヒーを飲んでいると、玄関のドアベルが鳴り、息せき切った様子の鈴宮が駆け込んできた。また書店周りをしていたのだろう。両手に紙袋を抱えている。


「ごめん、遅くなっちゃった」


 鈴宮は挨拶もそこそこに向かいの席に座ると、近くにいた店員にアイスティーを注文した。ついでに星崎もお代わりを頼む。


「ねえ、メッセージ見たけど、あいつが来たって本当なの。大丈夫だった?」

「おう。後輩が追い返してくれた。次来たら同期と後輩がボコボコにする言うてるわ。まだ東京におるかはわからんけど」


 薄い唇からほっと息が漏れる。一応、顛末はメッセージで報告していたのだが、星崎の口から聞くまでは安心できなかったらしい。


「鈴宮は大丈夫やったか?」

「大丈夫。俺のところには来てない。……今後も来ないと思う」

「何でそう言い切れんねん。俺が言うのも何やけど、あいつめっちゃ執念深いぞ」

「実は……あいつを辞めさせたの俺なんだよね」


 予想外の返答に言葉が出てこない。星崎の視線に気づいた鈴宮が気まずそうに目を逸らす。


 五年前のあの日、鈴宮は星崎が殴られているところをスマホで撮影したのだそうだ。そして星崎が退職したと聞かされた後、佐藤を辞めさせなければその動画を然るべきところに提出すると上層部に迫った。


 上層部は会社の評判と佐藤を天秤にかけ、佐藤を放逐することに決めた。一連の件で、いつまでも旧態依然のままではいけないと身に染みてわかったのだろう。それを機に会社の体制が変わり、以前より遥かに働きやすくなったという。


「ごめん。本当なら星崎が辞めずに済むよう動くべきだったのに、利用するみたいな形になって」

「いや、何も言わんと辞めたんはこっちやからな。結局、会社や佐藤との交渉も弁護士が代行してくれたし、むしろお前のことを見捨ててもうて本当に悪かったと思うとる」


 心からの気持ちだった。深々と頭を下げる星崎に鈴宮が「やめてよ」と慌てて返す。


「星崎は優しすぎるよ。もっと自分を大切にして」

「しとるわ。だからここにおるんやろ。俺だってたまには仕事サボってもええって、ようやく気づいたんや」


 星みたいに丸くなった目を見て自然と口角が上がる。こうして思えるようになったのも佐藤が襲来してきたからだ。五年前の遺恨が完全に消えたわけではないが、それだけは感謝してもいい。


 いくつか世間話を挟んでいるうちにお互いの飲み物が届いたので、いよいよ本題を切り出す。


「この前の返事なんやけど」

「うん」

「ありがたい話やけど、やっぱりやめとくわ」


 星崎の顔を見た時点である程度予想していたのかもしれない。少しの沈黙の後、鈴宮は静かに頷き、寂しそうに微笑んだ。


「そっか……。でも、理由を聞かせてもらっていい?」

「今の職場、結構好きやねん。それに新しくやりたいことができたんや」


 脳裏に浮かぶのはまだまだ尻の青いヒヨッコの姿だ。


 星崎がどれだけのことをできるかはわからない。案外あっさりと追い抜かれるかもしれない。けれど自分にまっすぐに向けられるあの目を、二度と曇らせたくはないと思った。


「やっぱりなあ。そう言うと思った。星崎、お兄ちゃんだもんね」

「何でやねん。別にお兄ちゃんは関係ないやろ」


 優しく目を細め、鈴宮が椅子から立ち上がる。星崎もそろそろ出なければいけない時間だ。残ったコーヒーを飲み干し、連れ立って席を後にする。


 ふと、五年前もよくこうして深夜のファミレスで一緒にいたことを思い出した。鈴宮も同じだったのだろう。肩越しに振り返り、照れくさそうに笑う。


「ありがとう。星崎がいてくれてよかったよ」

「おう。俺もお前がいてくれたから頑張れたんや。あんまり無理しすぎんなよ」

「それはこっちのセリフだよ」


 また会うことを約束し、晴れ晴れとした気持ちで喫茶店を出る。


 足取りはとても軽やかだ。まっすぐに事務所に戻ると、駐車場に採取用の黒いワンボックスカーが停まっていた。今日も無事に成層圏から戻ってきたらしい。


 玄関の前に足を止め、日差しを浴びて輝く看板を見上げて微笑む。


 きっと星崎は父親のようにはなれない。けれど、それでいいのだ。星崎は星崎らしく、自分の色を塗り重ねていけばいい。


 最初は違和感が拭えないかもしれない。激しい雨に打たれ、すぐに塗料が剥がれてしまうかもしれない。偽物だと非難されることもあるだろう。


 それでも諦めずに塗り続けていれば、いずれそれが本物になるはずだ。


「差し当たっては、今日もしっかり働かんとな」


 ズボンのポケットから両手を出し、ドアノブに手をかける。そのまま玄関を開けた途端、耳をつんざくような金切り声が響いた。


「あの人を出してよ!」


 目の前には必死で女を押し留めている星野と、今にも泣きそうな顔をした星鳥がいた。

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