星崎直輝(6)
背後からの声に、財布を掴んだ手がびくりと震えた。
「こんな朝早くから何やってんですか? せっかくのお休みなのに」
「……お前こそ、何やってんねん」
何とか声を絞り出した星崎に、近寄ってきた星鳥が得意げに胸を張る。
「見てわかるでしょ。ランニングですよ。星を取るのは体力勝負って先輩が言ったんじゃないですか」
「わかるか! どう贔屓目に見ても夏休みのガキやないか」
星鳥はランニングウェアではなく、白シャツに半パンという出立ちだった。早朝だからいいものの、そうでなければ通報されているところだ。正直なところ、こんな状況でなければ並んで歩きたくない。
「お前、いつもそんな格好で走っとんか。テレビにも出たんやから、もうちょっと気ぃ使えよ」
「だって、お金ないし……。ところで、この方はどなたですか?」
視線を向けられた佐藤が体を強張らせる。
人懐っこい雰囲気とは裏腹に星鳥は結構ガタイがいい。見るからに体育会系の若い男に詰め寄られて反射的に恐怖を覚えたのだろう。
それを見た瞬間、星崎は自分の中の恐怖心が綺麗さっぱり霧散していくのを感じた。
――何や、こんな男を今まで怖がっとったんかい。
「アホらし」
「ああ?」
佐藤が噛み付く。それに負けじと睨み返す。散々目つきが悪いと言われてきたのだ。その効果は十二分に発揮したようだった。佐藤の喉仏が上下に動く。
「確かにあんたには迷惑かけたんかもしれん。何も知らんペーペーを抱えて仕事を回す大変さはようわかるわ。でもな、こっちはそれ以上の迷惑かけられとんねん。あんな示談金じゃ足らへんわ。慰謝料払うべきはあんたの方やろ!」
「な、な、お前……!」
顔を真っ赤にして震える佐藤を訝しげに見ていた星鳥が両手をポンと叩いた。
「わかった。あんた、流星群の時に居酒屋の前で俺たちのことを見てたやつだろ? 事情はよくわかんないけど、先輩を困らせるのはやめてくれよ。俺、この人がいないとやっていけないんだから」
星鳥の言葉は星崎のひび割れた体の奥にまで染み渡るようだった。
今聞いたことが信じられないとでもいうように、呆然と星鳥を眺めていた佐藤が皮肉めいた笑みを浮かべる。
「随分と懐いとるみたいやけどな。こいつはお前が慕うような男やあらへんぞ。仕事も責任も全部放り出した挙句、のこのこ逃げよったんや!」
星鳥には転職組だとは伝えていたが、心身を壊して辞めたとまでは言っていない。
顔を伏せた星崎を尻目に、星鳥は心底よくわからないといった様子で首を傾げた。
「だから?」
まさかの返答に佐藤が絶句する。
「確かに俺は昔の先輩のことは知らないよ。でも、俺は星から身を挺して庇ってくれたこの人を信じてる」
星鳥は力強く頷くと、一歩前に足を踏み出した。まるで星崎を守るように。
「わかったら、もう帰ってや! あんまりしつこくするんやったら警察呼ぶで!」
犬を払うように追い立てられ、佐藤が舌打ちをして踵を返す。
徐々に遠ざかっていく背中は、五年前と同じ人間とは思えないほど小さく見えた。
「ホンマかなわんわ――って感じですね」
ふん、と鼻を鳴らした星鳥が満面の笑みで振り向く。
「どうですか。俺もなかなか頼りになるでしょう」
毒気など欠片もない笑みに釣られて、ふっと息が漏れた。
「何やねん、お前。ヘッタクソな関西弁使いよってからに」
「その方が迫力出るかと思って。それにしても何だったんですかあの人。知り合いっぽかったですけど」
「知らん。過去の亡霊かなんかちゃうか。お彼岸が近いから化けて出たんやろ」
「やめてくださいよ。俺、怪談とか嫌いなんですから」
不意に表情を引き締めて星崎に向き合った星鳥が、もじもじと体を揺らす。
「あの……昨日はごめんなさい。俺、先輩に甘え過ぎてました。これからはもっと自分の頭で考えて動くようにします」
どこまでもまっすぐな後輩に肩の力が抜ける。
今までずっと自分が頑張らなくてはいけないと思っていた。けれど辛い時は誰かに甘えてもいいのかもしれない。星崎には頼りになる仲間たちがすぐそばにいるのだから。
「……いや、俺も悪かった。最近、寝つきがようなくてイライラしとったんや」
目の前にいるのはあの日の鈴宮ではない。
――そして、星崎自身も。
星崎よりも高い位置にある頭を見上げ、しっかりと後輩に向かい合う。
「自分の頭じゃわからんことがあったら、星間でも俺でもいいからすぐに頼れ。そのための先輩や」
星鳥の顔が輝く。しかしすぐに不安そうに眉を下げ、探るように星崎を見下ろした。
「それって、これからも一緒に星を取ってくれるってことですよね?」
星間と同じで何かを感じ取っていたらしい。
星鳥の問いには答えず、手を伸ばしてその広い背中をあやすように叩いた。
「朝飯食うたか? 俺まだやねん。よかったら付き合ってくれや」
「あ、じゃあラーメン行きましょうよ。早朝からやってるとこ見つけたんです」
「朝からよう食うな。ま、ええわ。今日は気分ええから奢ったる」
「やった! 早起きは三文の得ですね!」
どちらともなく肩を並べて歩き出す。
胸の中のモヤモヤは、今日の天気のようにすっかりと晴れていた。




