第三回 ー蒼の涙ー
朝靄が、静かに殿堂を包んでいた。
夜の光が去り、蒼い空気だけが、
薄く残っている。リュカは一人、
“記憶の泉”
の前に立っていた。
前夜に砕けた鏡の光は、もう跡形もない。
ただ、泉の表面がわずかに波打ち、
その奥から淡い蒼の光が滲んでいる。
彼は、そっと手を伸ばした。
だが、泉は沈黙していた。
「……昨日は、見せてくれたのに。」
声は、水に吸い込まれていくように消えた。
どれだけ覗いても、何も映らない。
まるで理そのものが
彼を拒んでいるようだった。
「……俺は……何を見たんだ……?」
リュカは膝をつき、
泉の水面に映る自分の顔を見つめる。
そこには、確かに
“恐れ”があった。
けれど、その奥には小さな決意の火もあった。
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「……リュカ。」
背後から優しい声がした。
振り向くと、アリアとレアが立っていた。
アリアの手には、白い布が握られている。
その布は
“鏡の破片”
を包んでいるようだった。
「もう……無理はしないで。」
レアがゆっくり歩み寄り、リュカの隣に膝をつく。
「昨日のあなた……怖かった。
まるで、別の誰かみたいだった。」
「……そう見えたかもな。」
リュカは苦笑した。
「でも、見たんだ。
“俺じゃない俺”を。」
アリアがその言葉に反応し、静かに首を横に振る。
「理は、誰の記憶も否定しない。
けれど、見るべき時があるの。
あなたは、まだ
“その時”ではない。」
「……“その時”……?」
「ええ。理は常に選ぶ。
人を、場所を、
そして――
“瞬間”を。」
レアはアリアの言葉を聞きながら、
リュカの肩に手を置いた。
「あなたが信じられないなら、私が信じる。
だから、今は休んで。」
その言葉に、リュカはほんの少し笑った。
「……ありがとう。」
⸻
静寂の中、もう一人の足音が響いた。
「……ここにいたか。」
セイルだった。
彼は少し眠そうな顔をしながらも、泉の前に立つ。
「この泉……おかしい。」
セイルが呟く。
「昨夜までは、
“記録”
が流れていたはずなのに、
今はまるで――
眠っている。」
「眠ってる……?」
レアが問い返す。
セイルは頷き、泉の縁に手を触れた。
「……確かめる。」
そう言って、彼もまた水面に手を伸ばす。
波紋が静かに広がった。
すると――
空気が一瞬、変わった。
風が止み、殿堂全体が淡く光を放つ。
そして、水面の奥から――
重く、深い声が響いた。
『……継承者たちよ。』
全員が息を呑んだ。
その声は、水の底から届くような響き。
同時に、どこか懐かしい温かさがあった。
『記憶は、流れの果てに在る。
止まるな――
まだ、見ぬ理の彼方へ。』
声が途切れると、泉は静かに光を失った。
セイルが手を離し、深く息を吐く。
「……今のは……」
アリアが小さく呟く。
「――“水竜アクルス”の声。」
リュカとレアが顔を見合わせる。
セイルは泉を見つめながら、
その瞳に微かな震えを浮かべた。
「理が、俺たちを導こうとしている。」
リュカは立ち上がり、再び泉を見つめた。
もう何も映らない。
けれど、その沈黙が確かに
何かを語っている気がした。
「……行こう。
あの声の意味を、確かめに。」
三人は静かに頷き合い、殿堂を後にした。
霧の向こうには、まだ見ぬ
“蒼の理の核心”
が待っていた。
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