第二回 ー記憶の鏡ー
鏡の前に立つと、空気がわずかに震えた。
リュカの胸の奥で、
鼓動が水面のように波紋を広げる。
「……触れてみなさい。」
アリアの静かな声が響く。
リュカは息を整え、
ゆっくりと手を伸ばした。
指先が鏡の水面に触れる瞬間、
蒼い光が広がる。
冷たく、それでいて優しい。
そして――
世界が反転した。
⸻
白い霧の中に、
炎が燃え上がる音が聞こえた。
「……ここは――」
リュカが息を呑む。
目の前に広がっていたのは、かつての
“焔の国イグナリア”。
紅い空。燃え崩れる王都。
そして、
涙を流す少女――レア。
彼は見ていた。
あの日、自分が誓いを立てた瞬間を。
紅竜ヴァルドの咆哮。燃え上がる炎が、
すべてを焼き尽くしていく。
「……これは、俺の――
記憶……?」
「そう。
理は、あなたの
“誓い”
を映している。」
アリアの声が遠くで響く。
リュカはその場に立ち尽くした。
自分の剣が炎に包まれる。
レアが叫んでいる。
そして――
その手の中で、誰かの光が消える。
「……やめろ……!」
リュカは叫んだ。
だが、記憶の中の自分は動かない。
『誓いを果たすためなら、
何を失っても構わない。』
それは彼自身の声だった。
だが、それを覚えていなかった。
リュカの瞳が大きく揺れる。
「そんなこと……
俺は、言ってない……!」
炎が一瞬、形を変えた。
紅から、白へ。
光が反転し、世界が揺らぐ。
⸻
新しい光景が映し出された。
見覚えのない場所。白い空間。
無数の
“竜の紋章”
が浮かび、その中央に、
少年の影が立っていた。
――それは、間違いなく
“リュカ自身”だった。
しかし、その瞳は冷たく、
まるで感情が消えたように空を見つめている。
「……これ、は……?」
リュカの声が震える。
『理を繋ぐ者は、
感情を捨てなければならない。』
少年が呟く。その声は、
今のリュカのものではなかった。
もっと幼く、もっと
“虚ろ”だった。
炎も、水も、光もない空間。
ただ“理の記号”
だけが漂っている。
『誓いも記憶も、
理の外には存在できない。』
その声を聞いた瞬間、
リュカは頭を押さえて膝をついた。
「やめろっ……
やめてくれっ!!」
鏡が激しく波打つ。
レアが駆け寄ろうとするが、
アリアが腕を伸ばし、静かに制した。
「……これは彼自身の
“内の記録”。
外から触れてはいけない。」
レアの瞳が揺れる。
「でも、このままじゃ――!」
セイルが低く言う。
「理が彼に
“真実”
を見せているんだ。」
リュカの目に、最後の映像が映る。
白い光の中、自分の手が
“絵本”
を閉じる。
そしてその向こうに、見覚えのない
“女性の影”
が立っていた。
『もう一度、理を――
やり直すの。』
その声が響いた瞬間、鏡が砕けた。
蒼い光が弾け、リュカはその場に崩れ落ちる。
⸻
静寂。
光が収まった後、リュカは両手を見つめていた。
震えている。何を見たのか、
何を思い出したのか、自分でもわからない。
「……俺……は……」
レアがそっと膝をつき、その手を握った。
「大丈夫。
理が見せたのは、きっと
“これからのため”。」
リュカはうなずこうとしたが、
その瞳にはまだ恐怖の色が残っていた。
アリアが静かに歩み寄る。
「“鏡”は、
真実を映すもの。
けれど時に、それは
“心が見たくないもの”でもある。
あなたが何を見たのか、
それはまだ――
理が語る時ではない。」
その言葉を残し、
アリアは鏡の破片を拾い上げた。
「……だが確かに見えた。
紅でも蒼でもない、
“白の光”が。」
セイルが息を呑む。
「それは、俺も見た。
やはり、
“白の理”は実在する。」
リュカはうつむいたまま、
小さく呟いた。
「……じゃあ、俺の中の
“空白”は……」
レアが彼の肩に手を置く。
「今は思い出さなくていい。
この国で、理が教えてくれるはずよ。」
リュカは、かすかに微笑んだ。
だがその笑みの裏に、
深い怯えと決意が同居していた。




