童貞魔王と第四皇女:その4…畑に種蒔きゃ芽が出るもので(3)
シルフィアは木陰からエフィリとデモイラを観察した。
周囲には2人以外に誰もいない。恐らく情報が拡散しない為に護衛も付けていないのだろう。話し声は遠くに聞こえるのだが、残念ながらその内容までは聞き取る事が出来なかった。
(…うん、まぁ、想定内の組み合わせかなぁ…)
シルフィアの出身国である帝国と仲の悪いエフィリの連合、そして正妃を狙うデモイラが手を結ぶのは当然と言えば当然である。想定していたとはいえ、それを目の当たりにすると少なからず衝撃を受けた。
(さて、この場で取り得る行動は2つ、いや3つか?)
シルフィアは素早く頭の中で考える。
このまま消えるか、知らぬ顔をして登場するか、腹を割って話し合うか、この3つが選択肢となるだろう。このまま消えれば裏でどのような計画が進むか判らなくなる。かといって知らぬ顔をしても誤魔化されるだけだろう。もし暗殺などを企てられていたのなら、この2つは悪手となる。
マクシムに助けを求める事も考えたが、帝国を守る為に連合と有力貴族を敵に回せば魔王国内だけでなく戦争の火種になりかねない。
(一番優先するべき事項はなんだ?…うん、やっぱりそう考えるよね…)
シルフィアは溜息を静かに漏らすと、スクリと立ち上がって2人の前に歩を進めた。
「やぁ、お2人さん。密談なら密室の方が良いと思いますけどね?」
「…!」
「し、シルフィアさん!」
こちらを向いた2人の顔は同様に驚いていた。
それもそうだ、聞かれてはいけない密談の、その話の中心たる人物が表れたのだから。その虚を突くタイミングでシルフィアは先制防御を仕掛ける。
「密談なんかしなくても、私は地位も愛もいらないの。私が欲しいのは安寧…この腹の子を守れるなら、マクシムの元からだって消えるわ。これで許してくれない?」
シルフィアが最優先するのは、腹の中の子供の命だ。
最近では胎動しはじめ、その小さな動きに涙してしまった。この命を守る為なら、全てを手放す覚悟はできている。
身重の身体では逃げる事は出来ない。ならば虚勢を張って前に出るしかないのだ。
「魔王国を出るまでの身の安全まで保障してくれれば、あとは自由に生きるわ。子供の出生も秘密にするし、お金も援助も要らない。大丈夫、私はこれでも雑草のようにしぶといのよ?」
娼館時代、客には欠伸も出さずに子供を育てた母や先輩を見てきた。彼女たちは笑いながら男に抱かれ、子供の為に身を削って生きていたのだ。自分だって子供の為なら身体を売るし、嘘だって吐くし、演技だってしてやる覚悟はある。女は子供の為なら鬼にだって神にだってなれるのだ。
恐らく自分が地位を退く事で、この密談は意味を成さなくなる。
そうなれば2人は顔を見合わせ、対応を協議するだろう。少なくとも意思疎通をしなければ何も行動できないはずだ。あとは2人の協議に割り入り、2人が納得する結末へ辿り着けば良いだけだ。
しかしシルフィアの予想と違い、突然にエフィリが走り出した。
もしかすると自分を亡き者にしようと事前に話が固まっており、あとはタイミングを計っていただけなのかもしれない。何ならエフィリの下手な隠密行動が、実はシルフィアを誘き寄せる為の演技かもしれなかったのだ。
エフィリに武装らしき物は見えない。ただ両手を突き出し、シルフィアに駆けてくるだけだ。この状況で想定しうる最悪の攻撃は両手で肩を捕まれ、膝蹴りで胎児を打撃される事だ。
シルフィアは咄嗟にお腹だけを防御した。四肢を砕かれようが、頭が割れようが、腹の子を殺されるよりはマシである。
しかし両眼を瞑って衝撃に備えたが、ただ肩を掴まれただけで何も起こらなかった。
「そ、それではコッチが困るんですぅ!」
シルフィアが眼を開けると、泣きそうなエフィリの顔が間近に見て取れた。
「えっと、こちら、デモイラさん、マクシムさんの許嫁です。そしてこちらがシルフィアさん、マクシムさんの子供を身籠っています」
「こ、こんにちわ~…」
「………」
あの後3人は東屋に座り直し、エフィリの仲介で2人の初対面が行われた。シルフィアは引き攣った笑いで頭を下げ、デモイラは羽扇子で顔を隠しながら頭を下げる。
しかしそれで会話が始まる訳でもなく、3人の間に気まずい沈黙が流れた。仕方なくシルフィアが口火を切る。
「えっと…2人は何を話してたの?……って、聞いて正直に話してくれる訳もないか…」
「いえ、あの、実はこの後、シルフィアさんに繋ぎを取ろうと思ってたところで…ちょうど良い所に来てくれました」
「……何なのよ…私の暗殺とか企てていた訳じゃないの?」
シルフィアは敢えて強い言葉を使った。それで相手が口を割れば良し、でなくてもその反応で内心を読む事も出来る。
しかしシルフィアの策は見事に外れた。なんとデモイラがポロポロと涙を零し始めたのだ。
「…あの~、シルフィアさん?何か物騒な勘違いをしているようですが…」
「だって帝国と仲の悪い連合と、魔王国の有力貴族の密談よ?疑っても仕方ないでしょ?」
「シルフィアさん!いくらデモイラさんが何かを企んでるような意味深な衣装を着て、悪女っぽい無言行動をしてるとは言え、その想像は間違っています!」
「ご、ごめん……けど、トドメを刺したのはエフィリさんだからね?」
「…え?えぇっぇぇ!?デモイラさん、私、そんな事はちっとも思ってませんから!!」
嗚咽しつつベンチから崩れ落ちたデモイラに、エフィリはワタワタと釈明を続けた。
2人の話を聞くと、シルフィアも想定していなかった陰謀を企てているようだった。
現状ではマクシムは妃を娶っておらず、ただ側室を迎えただけである。たとえ子供が出来たとはいえ正妃ではないし、それに続く夫人の順位も決まっていない状態なのだ。本来なら正妃は同じ魔族であり、マクシムの即位に尽力した西方公爵の第三公女であるデモイラが相応しいのである。
しかし状況は大きく変化した。
シルフィアの割腹詐欺で評判が爆上がりし、懐妊パレードで国民のみならず貴族の中でも支持が急増したのだ。派閥でも保守派、革新派に続き、帝国融和派が台頭しているそうである。その中で保守派の西方公爵の第三公女が正妃にでもなろうものなら、逆に保守派から離反者が続出し魔王国内の勢力図が大きく書き換わる事になる。
それを危惧したデモイラは、シルフィアを正妃にするという案を思いついたのだ。もちろんシルフィアとデモイラが協力体制である事をアピールし、それを連合のエフィリが祝うという演出込みの話である。
そんな計画が成功するか怪しいのだが、実はマクシムが即位できたのはデモイラの策略があっての事らしい。デモイラは派閥の力関係を把握し、反マクシム派を煽り、12歳の即位式に政権転覆劇まで組み立て、踊った貴族をマクシムに殺させたそうだ。12歳のマクシムにそんな事が可能なのかと聞けば、マクシムは先代から受け継いだ『即死魔法』が使えるらしく、一瞥しただけで37人の貴族が倒れて死んだそうだ。シルフィアは初夜のマクシムを思い出し、そんな強いとは信じられなかった。
「…それだったらデモイラさんが正妃になって、私が協力を示した方が早くない?」
「いえ、あのですね…実はデモイラさん、凄い社交恐怖症でして…注目されるのが苦手なんです…扇子で顔を隠してないと外も歩けなくて、『大人の女性』という役を演じてないと猫背で見苦し…いえ、目を引く歩き方になるぐらいです」
「エフィリさん…貴女も大概…いえ、何も言わないわ…けど、それで政権転覆劇なんて演出できたわね?」
「…ふ、それは『悪女』を演じれば問題ないわ…」
羽扇子の奥の瞳がキラリと光る。それまでビクビクしていたデモイラは消え、まるで娼館のヤリ手ババァを彷彿とさせる狡猾さが表れた。
「実在しない黒幕を仕立て上げ、その命令書を郵送し、ありもしない後ろ盾を期待させる…そして12歳のマクシムが『即死魔法』を継承していないと噂を流せば、目の前にぶら下がる王冠に馬鹿が飛びつく…当然の流れよ?ちょっと背中を押すだけで十分だったわ」
「まぁ、連合でもその手の陰謀はよくある話ですし…ありもしない研究施設で天上人の研究をしてるとか噂を流せば、その手の馬鹿がよく釣れますね…」
「帝国は…不穏な存在は大きくなる前に消すってのが鉄則ね…かなり国民に不満が蓄積され、結果的に内乱が起こっちゃったけど……ま、そんな話は置いておいて、これだけは聞かせて?2人の原動力は何?私はお腹の子よ」
シルフィアは自分を納得させる為に2人に問いただした。この話でエフィリに得は無いし、陰謀を完遂するデモイラの意図が読み取れないのだ。
「私ですか?私は…その方が楽しいからかな?シルフィアさんの事が好きだし、その人が活躍するのって嬉しいじゃないですか?」
「……わ、私は……」
見ればデモイラは羽扇子で顔全体を隠しながら、まるで恥じらう子供の様な小声で呟いた。
「……ま、マクシムが生まれた…お披露目の時に……ひ、ひとめ……ぼれ……です…私が5歳の時……」
「……そ、そうですか……」
シルフィアはデモイラの言葉を理解できなかったが納得した。
シルフィアは幼い時から娼館で育ってきた。それ故に初恋を知る前から、男が腰を振っている姿を見てきたのだ。男に幻想を抱く事もなく、だからその本質は理解しているつもりである。
しかし世の中にそんな幻想がある事は知っている。先輩の中にもそんな幻想に狂い、年に1人は自殺者が出たものだ。その幻想はそれ程の熱量を持っているので、デモイラの原動力に納得できた。
「けどね…やっぱり、デモイラさんが正妃になるのが一番よね…次の代の事を考えれば、純粋な魔族の子の方が問題ないだろうし…」
「やっぱり血統は重要ですよね…」
「………」
3人が頭を悩ませていると、背後の茂みがガサガサと揺れた。
「お3人さん、お悩みのようですねぇ…私も話に入れてくださいな」
「「誰!?」」
3人が見つめる中、茂みから2人の少女が歩み出てきた。