童貞魔王と第四皇女:その4…畑に種蒔きゃ芽が出るもので(1)
「う~~ん…」
神聖キールホルツ帝国の第四皇女であるシルフィア・キールホルツは、今、困惑の渦中にいた。
枯れ葉も落ち暖炉が必要な時期だというのに汗が止まらない。大事をとって長めに睡眠を取っているのに眠気が強く、疲労感で椅子から立ち上がるのも辛い。こまめに水分を補給したり果実の塩漬けを齧ったりと気を付けてはいるのだが、それでも改善する様子が見られないのだ。
しかもそれだけではなかった。
「ふむ……ッ…」
自分で自分の胸を揉んでみる。
生理前の張りとは違う感覚があり、そして少しだけ痛んだ。しかし石のようなシコリはない。
「………試してみるか……」
シルフィアは目の前のテーブルに置かれた呼び鈴を持ち上げ、軽く2回鳴らす。
すると呼び鈴が鳴り終わるよりも早く、私室の扉が開いてメイドが顔を覗かせた。
「御呼びでしょうか、シルフィア様」
「お願いがあるの…軽く摘まめる食べ物で甘い物、塩気の強い物、辛い物、酸っぱい物、苦い物など、色々な種類を少量ずつ持ってきてくれない?あと口直しの水もお願い」
「かしこまりました、少々お待ちください」
できれば調味料があれば一番判りやすいのだが、それをすると周りに気付かれる恐れもある。ここは大事を取り、あえて間食を用意してもらった。
半刻とせずにシルフィアの前には小皿に乗った様々な料理が並べられた。ケーキ、果実の塩漬け、辛子の練り込まれた焼き菓子、レモンの蜂蜜漬け、薬膳パン…どれも上品に、2口ほどの大きさで小分けされている。
シルフィアはそれらを手に取ると半口ほど齧り咀嚼する。それこそ舌の先から根元まで行き渡るように丹念にだ。そしてその味を確認すると飲み下し、水で口の中を清浄する。これを全種類に行う。
「………ほぼ確定かな……とりあえず…マクシムには言っておくか……」
「陛下、人払いをお願いいたします」
「……そうか……人払いだ……」
魔王マクシム・ゴウディンは側使いを一瞥し命令した。
5人いた執事やメイドは無言で頷くと、シルフィアの私室から出ていく。扉が閉まった途端にマクシムはオロオロとし、シルフィアの元に駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫か?まだ熱があるのか?食べたいものはないか?医者を呼ばれたくないと言っていたが、やっぱり呼ぼうか?」
シルフィアは数日前からマクシムの交合の誘いを断っているのだが、その原因が体調不良だと知ったマクシムはずっとこの状態だった。今は交合の事など頭にはなく、シルフィアの事で頭が一杯な様子なのだ。
「落ち着いてマクシム、まずは座りましょう」
普段なら水平チョップが飛んでくるタイミングなのだが、代わりに掛けられた優しい口調にマクシムが戸惑う。上座を勧められたマクシムは素直に長ソファに腰を下ろした。
シルフィアは反対の一人ソファに座ると、意を決して口を開く。
「多分、妊娠した」
シルフィアは『妊娠』という言葉を口にした途端、自分の鼓動が跳ね上がると共に、赤黒い過去の光景が幾十も思い出された。娼館時代、先輩達がこの言葉を口にすると必ず問題が起こり、ほとんどの場合が悲しい結果で終わったのだ。
自分はマクシムを信じている。
マクシムはこの報告に小躍りし、破顔して自分を抱き締めてくれる。そして国を挙げての大パレードでも画策するのだ。私はそれに水平チョップでツッコミを入れる。そんな光景を想像していた。
『妊娠』という言葉を出すまでは、心の底からそうなると思っていた。
しかし実際、シルフィアはマクシムの顔を見ることが出来ないでいた。
眼が勝手に泳ぐのだ。そしてそれを正そうという勇気も出てこない。
自然と手に汗が滲む。喉が渇く。肩から後頭部にかけて鈍い痛みが走る。
不意にマクシムが立ち上がる。
シルフィアは咄嗟に自分の腹を両手で守った。
「……………か」
「…か?」
「懐妊だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァッ!!!!!」
「うわぁぁぁッ!」
見ればマクシムは天に両手を突き上げ、まるで女神に報告するかのように吼えた。さらに無意識なのか魔力を放出して長ソファが吹っ飛ぶ。対面に座っていたシルフィアも一人ソファと一緒に転げてしまった。幸いにもソファのクッションが厚かったので、シルフィアは大した衝撃を感じる事もなかった。
「お、落ち着けマクシム!私の話を聞け!」
「懐妊だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァッ!!!!!」
「え?キャァッ!」
シルフィアの制止する声に気付いたマクシムは、途端にシルフィアを抱き締め、さらにそのまま背負うと部屋中を走り始めた。マクシムは完全に錯乱しているようだった。
「な、このバカ魔王、落ち着けってんだぁッ!!」
「ガ、ガィ……ゴ…グ………」
「大丈夫ですかッ!?魔王様、シルフィア様ッ!!」
騒動に気付いた執事達が私室に流れ込む。
彼らが見たのは裸締めをするシルフィアと、その腕に連続タップする顔面蒼白のマクシムの姿だった。
執事達がソファを直して退室すると、改めて二人は向かい合ってソファに座り直した。
「すまないシルフィア…嬉しすぎて我を忘れてしまったようだ…」
「い、いいのよ…喜んでくれてありがとう…」
「それでパレードは何時にしよう?今から急いで指示すれば明後日には執り行えると思う。あと名前だ。早急に決めねば」
シルフィアの水平チョップの構えにマクシムが口を閉じる。シルフィアは溜息を吐きながら腕を降ろした。
「とりあえずパレードも名前も止めておいて」
「何故だ!?シルフィアは嬉しくないのか!?」
「…嬉しいよ…けど……4か月は公表しないでほしい……もし流れたら……皆が悲しむから……」
「……な、なが……何を言ってるんだ?」
「現実問題よ、普通でも10回に3回は流れるんだから…それに私とあんたは種族が違う…どうなるか本当に判らないの………だから私とマクシムだけが知っていればいいのよ」
シルフィアがまだ膨れぬ腹を撫でる。マクシムも手を伸ばしたかったが、流産と聞いて近付けなくなってしまった。シルフィアはそんなマクシムの隣に座ると、その手を取ってお腹の上に置いた。
「大丈夫よ、堕ろそうとしたって堕ちない子は堕ちないから。それに例え天に召されても、全てはこの子の運命よ。その時は『ずっと憶えていて』とは言わない、忘れないでいてあげてね?」
「……あぁ……あぁ……ここに命があるのだな……」
手の平に感じる温もりに、マクシムの瞳から涙が流れる。それは喜怒哀楽に分類できない、マクシムがこれまでに感じた事の無い感情からだった。
その涙にシルフィアは心から安堵する。冗談を言える程に心が軽くなった。
「そういえばマーマジネス海洋共和国の王女との間に子供できてたよね?あの時はこんなに喜ばなかったの?」
「いや、生まれた時に何匹…もとい、何人かは見る事が出来たが……大きな白魚のようにしか見えなかったのでな……」
「あ、うん、何となく判る…それに王女とは手も握ってないしね…」
「何と言うべきか、実感が沸かんのだ…しかしシルフィアとは427回もの思い出があるのでな…」
「なんで回数を数えているのよ!ってか記録してるの!?」
シルフィアが驚いていると、マクシムは懐から手帳を取り出した。そして指を舐め舐めページを捲り始める。
「全てを事細かに憶えられんのでな、このように手帳に認めている。一番最初の交合は7ページにも及ぶ大作であるぞ?あのシーツを破く勇ましき姿は、今でも鮮明に思い出せる…いずれは自叙伝にするつもりだ」
「いちいち記録するんじゃな~~~~~~いッ!!」
シルフィアは手帳をもぎ取ると、私室の暖炉へ投げ込んだ。投げ込まれた手帳はあっという間に燃え上がり、影も形も無くなってしまった。
「あぁ………我が愛のメモリーが……」
落胆するマクシムの姿にシルフィアは満足した。
しかし燃やされた手帳はあくまで記録用であり、内容はマクシムにより清書され、すでに3冊目に突入している事をシルフィアは知る由もなかった。