無言の彼女
蒼馬が彼女の存在を意識し始めたのは、入会して数回目のことだった。
ランニングマシンに乗っていた蒼馬の視界の端に、いつも決まった時間に現れる女性がいた。
黙々とストレッチをし、フォームローラーで丁寧に身体をほぐしてから、淡々と筋トレを始める。
「目立つ」のに、「馴染まない」。
それが彼女の第一印象だった。
見るからにモデルのような体型。高身長で、姿勢がいい。
派手すぎないが整った顔立ちで、ポニーテールが揺れるたびに、周囲の視線をさらっていく。
でも、彼女はそのどれにも無関心のようだった。
(……また来てるな、あの人)
蒼馬は心の中でそう呼んだ。
――名前も、声も、知らない。
だけど目が離せない存在。
もちろん、彼女に声をかける男たちは絶えない。
週に何度かは、ウェイトエリアで話しかけている男を見かける。
その日もいた。
白Tシャツにブランドもののジャージを羽織った、某俳優に似た“雰囲気イケメン”。
おそらく、高級車で送り迎えするようなタイプだろう。
「最近よく来てますよね? パーソナルトレーナーとか興味ないんですか? 僕、知り合いに──」
声は馴れ馴れしいが、沙耶……いや、“あの人”は、顔色ひとつ変えず、わずかに首を横に振った。
そしてフォームローラーを脇に抱えると、スッとその場を離れた。
(……まただ)
その場面を遠目に見ていた蒼馬は、少しだけホッとしたような気持ちになっていた。
それと同時に、自分とは釣り合わないと分かっていながら、なぜか目を離せない自分にも気づく。
(関係ない。他人のことなんて……でも、気になる)
彼女の周囲には、いつも少しだけ空気の膜のようなものがある。
触れようとすれば、そっと拒絶されるような、張り詰めた空気。
でもその硬質な雰囲気の奥に、ふと見え隠れする“疲れ”のようなものに、蒼馬の胸はざわついていた。
この時の蒼馬はまだ、
“その人”の名前も、声の響きも、笑った顔すら知らない。
ただ、「何かを背負っている人」だということだけは、なぜか分かる気がした。
ようやくヒロインを出せました