大鹿様
ミナがセーラのスケッチブックを開く。
開いたページはノワが胡桃やベリー、どんぐりのへそくりを一生懸命シロマツに開けた横穴の中に詰め込んでいる姿だった。
「まるで東洋の裸の戦士みたいな佇まいね」
ミナはクスリと微笑みながら言った。
「東洋の裸の戦士?」
「そう、よくお祖父様がお話ししてくれたの。裸の戦士が戦う時に、掌を前に突き出して相手を突き飛ばすんだって。ツッパリ?って言ったかしら」
ミナも手を前に突き出して、こんな感じだよとセーラに教える。
「こんな感じ?」
「多分?」
チラリと見ると、ノワも拭いてもらったガーゼを立たせて、相手と見立ててツッパリの真似をしている。
「……」
二人とも顔を見合わせ、見たことない戦士の真似っこをするのが可笑しくなって、フッと吹き出した。
ミナは笑いながらページをめくる。
そこには鹿の絵が描かれていた。
その鹿の頭には、花や草木が芽生えている。
角は木々の枝のように分かれ、緑、赤、黄の鮮やかな色の葉に加え、枯れ葉までもを角先に纏っていた。ツタが角に巻き付いているのがアクセサリーのようになっている。
「この鹿って……」
さっきまで笑っていたミナが何か驚いているような表情をしていた。
「これは、私のおじいちゃんが教えてくれたお伽話に出てくる鹿なの……」
ミナは引き出しからシルクの紺色のハンカチを取り出した。
鹿の横顔を中心に雪の結晶と、その周りを草花の刺繍がぐるりと囲っている。
ミナが見せたのはフレール王国の紋章だった。
「テキーラは、この鹿と会ったの!?」
それを見せながら、ミナはセーラをじっと見つめそう言った。
「ううん、おじいちゃんが話してくれた鹿のお話が好きで、どんな姿だろうって私が想像して描いたの」
「そのお話聞かせて! テキーラ!」
ミナがセーラの膝に乗せていた手を両手でギュッと握る。
「わかったわ」
「これは私のおじいちゃんが狩人だった頃のお話
私のおじいちゃんは、村一番の狩人だったの。
おじいちゃんの妻、私のおばあちゃんは昔から体が弱かったのね。
雨が降るたびに高熱を出し、肌も弱く、太陽にあたれば火傷のように爛れてしまったの。
おばあちゃんが28歳の誕生日の時におじいちゃんにお願い事をしたの。
「海の見える、ひまわり畑に連れて行ってほしいって」
おじいちゃんは迷った挙句、おばあちゃんの手を引いて連れて行ったの。
おばあちゃんは大変喜んだそうよ。だけど、家に帰って倒れてしまったんだって。
雨も降ってきて、高熱に肌の火傷。お医者様からも、もう助からないかもしれないとまで言われてしまったんだって。
おじいさんは猟銃を片手に、この国に伝わる鹿を探しに行ったの。
その鹿は森の精霊であり、守り神。
その鹿神の名は、大鹿様と呼ばれ、人の一生のうちに一度だけ心の底から助けを求めた時にのみ現れるという、高貴な存在だった。
その角の先にはさまざまな草花が咲き誇るという。人によって姿形が変わり、その草花は見た人の本質が鏡のように映され、時には幻影を見せるという。
大鹿様の葉は角先から離れた瞬間、黒く色を失いボロボロになって地面に葉が触れる前にこの世から消えてしまう。
大鹿様は人に救いを与える時にのみ、角先に青く輝く葉をつけ、それを渡しに人の前に現れるのだという。
おじいちゃんは大鹿様を川のほとりで見つけたらしいの。
ちょうど水を飲んでいたところに、おじいちゃんは銃を構えたんだって。
引き金を引こうと指をかけた時に、鹿の影から小さな子鹿と人間の子どもが見えたらしいの。
その子どもは大鹿様が育てているように見えたと、おじいちゃんは言っていた。
白髪の春を呼ぶような笑顔を浮かべる、特別な乳飲み子
おじいちゃんが引き金を引くことに躊躇した瞬間、大鹿様がこちらを見たの。
大鹿様は自らの身体で、子鹿とその子どもを隠すようにされたらしいの。
そして茂みの中に隠れていたおじいちゃんに近づいて、青い葉を一枚ソッと地面に置いたんだって。
そして何かを語るようにしばらくおじいちゃんの目を見ると、引き返して子鹿と子どもを連れて、森深くへとゆっくり歩いて行ったらしいわ。
おじいちゃんはその場にへたり込んでしまって、全く動けなかったそうよ
それからおじいちゃんは、大鹿様からもらった青い葉を持ち帰って、煎じておばあちゃんに飲ませたんだって。
するとおばあちゃんは重体だったことが嘘かのように元気になって。
一緒に、身体が弱いのも治って動けるようになったの。
おじいちゃんはそれから毎日のように、大鹿様にお礼がしたいと何度もお供え物を持って行ってたわ。
村のみんなは、おじいちゃんが変わり者だって噂していたけどね。」
「セーラはそのお話を聞いて、この大鹿様の絵を描いたのね」
「そう。おじいちゃんは幾度も山に入り色んな動物を狩っていたけれど、大鹿様と会ったその時だけ引き金が引けなかったって言っていたわ」
「この花はなんていう花なの?」
ミナがスケッチブックを指差して聞く。
「このお花は桔梗という花。おじいちゃんは、大鹿様の頭に咲いていた花の名を知らなかったらしいの。だけれど、その花の名を元気になったおばあちゃんに教えてもらったんだって。
花言葉は「誠実」「変わらぬ愛」「永遠の愛」。おじいちゃんがおばあちゃんを救いたいって気持ちを大鹿様が読みとって、頭に咲かせたんだろうって、おじいちゃんは笑っていたわ」
「ねえ、テキーラ。私をその森に連れて行ってくれない?私、大鹿様に会いたいの」
「それは……」
セーラは言葉を詰まらせた。
森近くに住む村人の中でも大鹿様の姿を見たのはセーラのおじいちゃん、たった一人だったからだった。
今日森に行って会える保証などなく、奇跡が起きない限りあり得ないことだった。
「会えるかわからないよ……、大鹿様は精霊で神様だから」
「うん、いいの! いいから連れて行って!」
ミナの必死な眼差しに、セーラは断ることができなかった。
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