氷結の若王子
ジョセフに連れられ、セーラが馬車に乗っていると窓からフレール王国の城が見えた。
城は湖のど真ん中に聳え立っており、青い屋根に、幾つもの蝋燭のようにそびえ立つ塔が束のように集まってできた城であった。
フレール城の周りの水は真冬になると全て凍る。
フレール城の別名は『氷上の城』であった。
城壁は白い大理石でできており、城の後ろにはトンネルのような穴がいくつか空いていた。
「ジョセフさん、あのトンネルのような穴は?」
セーラは馬車の窓から見えるフレール城から目を逸らさずに聞いた。
「あれは、ゴベルーの船着場です。今では信じられないかもしれませんが、国王様なんかもゴベルーに乗って町にお忍びで買い物に来られたりしていたんです。今はもうすっかり、使われなくなってしまいましたが」
「そうなんですね〜」
唯一、城に繋がる橋には門番が厳重に見張っているのが見えた。
城が開かれ、外交も今より盛んだった頃のフレール城では、氷上スケートやホッケーなどを国民総出で競い合う祭りごとも執り行われていた。
しかし、現国王モネス・グクロフ・リスに代わった途端、門は閉ざされ民衆と王族との溝は深まっていた。
原因は国王モネスの性格の影響もあると思われるが、それ以外の要因もあると民衆の間では噂されている。外交官に毒を盛られたなど、国内に流行病がそろそろ流行るなど、それはもうさまざまだった。
ジョセフが一声掛けると、腰に銀光りしている剣を据えた門番が手際よく門を開けた。
馬車が石畳の橋の上を闊歩する。
石畳の橋の先端まで来ると、可動式の木製でできた跳ね橋が降ろされた。
ガッコン
跳ね橋が降ろされる瞬間、地響きのような振動がセーラのお尻を浮かした。
ギシギシ
馬車を引く馬たちが、跳ね橋を軋ませながら石造りの門のアーチをくぐる。
暗くなったと思えば、眩しい日差しが窓から注ぎ込む。
城の中は、より一層白く磨かれた壁に囲まれ、人を寄せ付けない冷たさと凜とした美しさを誇っていた。
「セーラさん、こちらに」
ジョセフさんに連れられ、大広間に案内される。
中には群青色のカーペットが敷かれ、天井には天使やら女神やらの絵が施されていた。
「ここでお待ちください」
ジョセフさんに勧められるがまま、白い陶器でできた青いふわふわのクッションが縫い付けられた椅子に座る。
ジョセフさんは広間を出て、どこかに急いで行ってしまった。
セーラは見たこともない陶器でできた椅子に自分の体重を載せていいのかと戸惑いつつ、座った。
椅子の縁を触ると、ヒヤリと氷のような冷たさが体に伝った。
セーラが腰を落ち着けたときだった。
セーラの髪の中に警戒して隠れるようにしがみついたノワがソワソワしはじめた。
ノワは肩から飛び降りて、絨毯の上を駆けて暖炉の上に置いてあったフルーツのバスケットを覗き込む。
セーラはノワにお昼をあげることをすっかり忘れていたのだった。
ノワは普段はおとなしいがお腹が空いた途端、周りに食べ物がないかウロチョロしてしまう癖があったのだ。
セーラは急いで、ポシェットに入れていたノワ用のクルミを出そうとする。
しかし、ポシェットのボタンが上手く外れない。
そうしているうちに、ノワはバスケットの中に置いてあった赤いブドウの一粒をもぎ取り、口の中に入れようとしていた。
セーラは慌てて、ポシェットのボタンを強く引っ張った。
「あっ!」
間に合わなかった。
ノワは満足そうに、ブドウの一粒を口いっぱいに頬張り、もう一粒を片手にワインのように半分に切ってその汁を啜っている。
ボタンは弾け飛び、コロコロと転がって誰かの靴にコトンとぶつかる。
「あらら、ずいぶんとお腹を空かせていたのですね」
セーラがハッと視線上げる。
そこには紳士そうな男性が、藍色の髪を後ろで束ね顎髭を白い手袋を付けた手でさすりながらそこに立っていた。
黒い瞳がセーラの瞳をまっすぐ見る。
イケオジと言ったら、この人を指す言葉だと思うようなオーラをまとっている。
「わたくし、ザク・ウィルソンと申します。第一王子の第一補佐になります。この度は、わたくしの部下のジョセフが助けられたということで、お礼を申し上げさせてください。ありがとうございます」
そう言うと右手を胸に当て、左手を背に回して膝を少し曲げるフレール王国伝統のお辞儀をする。
「いえいえ、私はただたまたまそこに居て、たまたま絵を描いていただけなので!」
セーラは焦って、掌をあわあわとお辞儀をする第一補佐官に見せた。
そんなセーラの様子を見た第一補佐官のザクは顔を上げるとニッっと、エクボを浮かばせながら微笑んだ。
「セーラさんに一つだけお願いがあるのですが、お願いできますか?」
「!?」
セーラのクルミ色の瞳が見開かれる。
「な、なんでしょう……」
「ジョセフが私のところにとんできて言ったのです。宮廷絵師以外で絵の上手い人に私は助けられた!と。そこで、よければあなたの絵を見せていただけますか?」
「わ、わかりました」
セーラは握りしめていたスケッチブックをザクさんに手渡した。
ザクさんはセーラの隣の席に座って、黙々と絵を見始めた。
セーラは今朝描いた、ノワのマッスルポーズなどを描いていたことを思い出す。
父のように、また「くだらない」と言われてしまうと思い、ザクさんがページを捲るたびにセーラの喉の奥がキュッとしまっていった。
息を呑み、両手を膝の上に置いて待っていると。
ザクさんのページを捲る手がピタッと止まったかと思うと、「プッ」と小さく吹き出した。
お腹を大きく膨らましたノワが、呑気にザクさんの手元に覗き込むように近づく。
「やぁ、君ってリスなんだろうけど、動きに表情があるね」
そう言って、ノワの額をチョンチョンと人差し指で撫でた。
ザクさんが視線をこちらに移す。
「セーラさん、あなたの絵は素晴らしいです。こんな風に世界が見えたなら、フレール王国は再びあの頃の活気を取り戻すかもしれません。よければ、宮廷で絵を描きませんか?」
セーラは一瞬何を言われたのか分からなかった。
「絵を? ここで描いていいんですか?」
「はい。ぜひセーラさんがよろしければ」
「もちろんです! お願いします!」
セーラは「絵などなんの意味も無い、くだらない。そんな時間があるなら、裁縫でも母の仕事を手伝ったらどうだ」と毎晩のように言われてきたことを思い出し、涙を流した。
「それでは一緒に来てください」
セーラはザクさんの後ろを着いて行き、階段の広間に来たときだった。
「ザク、その者は誰だ」
階段の上には、白髪の髪に銀のスクエアメガネ、白銀の布に金の刺繍が施されたチュニックを羽織っている第一王子のルイス・グクロフ・リスが立っていた。
メガネ越しに光る鋭い目付きは、噂通り見たものを凍らせると言われるほど厳しい目つきだった。
国民の中には彼のことを『氷結の若王子』と隠れて呼ぶ者もいた。
ザクさんは、素早く地面に片膝をつく。
セーラも見様見真似で、ワンピースの裾を両手で持ち膝をついた。
「この者は例の仕事を任せようと思い、ルイス様の元へお目見えさせるところでした」
「そこの者、名を名乗れ」
氷柱のような目つきがセーラを凝視する。
「はい。わたくしセーラ・シュトロイゼルと申します」
声が震えるのを必死に抑えながら、セーラは答えた。
「ザク、その者に仕事をさせるのか」
「はい。この者の腕は確かであります」
「ふんっ。また絵なんてくだらないことを……お前の仕事もこれで最後になるかもしれないな、ザク。私の手を煩わせないように」
王子の言葉はセーラの柔らかい、心を氷柱で突き刺した。
「かしこまりました」
しかしザクさんは、表情を全く変えなかった。
コツコツと靴音を鳴らしながら、ルイス王子は奥に消えていった。
王子が行ってしまうのを音で確認してから、ザクさんは膝を地面から離した。
「よかったのですか?」
セーラはザクさんを心配そうに見つめ、聞いた。
「ルイス王子は、口はお厳しいですがお優しい方なんです。さっきも仕事を任せてはダメだとは言わなかったでしょ」
「……そうですね」
セーラは「絵はくだらないと」父親と同じ事を言うルイス王子に対して、どうしても優しいとは思うことはできなかった。
バチんと両手で頬を叩き、セーラは気持ちを入れ替えようとした。
ザクさんはセーラの急な行動に、少し驚いている様子ではあったが、何も言わなかった。
「例の仕事とは、どのような仕事なのですか?」
セーラはザクさんに聞いた。
「セーラさんには、宮廷絵師では描けない絵を描いて欲しいのです」
「宮廷絵師で描けない絵とは、どのような絵でしょうか?」
「宮廷絵師は基本的に、王族からの要望に合わせて仕事をするのです。王族の肖像画や、宮廷の壁画を担当したりするのです。しかし、絵の必要な仕事はそれだけではありません。国民には字を読めるのは一握りです。彼らに王宮からの知らせを民衆に伝えるには、字を読める者が伝え聴かせるか、絵で伝えるしか手段がないのです。
宮廷絵師はプライドが高い者が多いので、そういった仕事は引き受けないのです。そこであなたのような人物を探していたところ、ジョセフが興奮した様子でわたしの部屋に駆け込んできたのですよ。セーラさん、わたくし達に力を貸していただけないでしょうか?」
セーラの頭の中に家で働く母の姿がよぎった。
きっと母は、反対はしない。
むしろ応援してくれるだろうと思った。
「私の気持ちとしては、絵を仕事にできることこの上ない幸せでございます。ただ、両親に一言報告させてはいただけないでしょうか」
「かしこまりました。セーラさんの、お望み通りに馬車を手配させましょう。今日はもう遅いので、部屋を用意させましょう」
「ありがとうございます」
外はすっかり暗くなり、晴天の月が卵パンケーキのように湖に浮かんでいた。
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