不良な王室付き料理人見習い
麻袋から飛び出たジャガイモが四方八方に床に散らばった。
散らばったジャガイモの一つがルイスの靴に当たる。
「ご、ごめんなさい……私が前を見ていなかったせいで」
ルイスは膝をつき、床に転がったジャガイモを拾い上げる。
白衣を着た青年は目だけ見開いたものの、表情をほぼ崩さなかった。
「いえ、大丈夫です……」
低音の声でボソボソと話す使用人を見るのは、ルイスは初めてだった。
戸惑いながらも、申し訳ないと思い地面に転がしたジャガイモを無愛想な青年と一緒に拾う。
ルイスは拾ったジャガイモを青年に手渡す。
「どうも……」
何度ジャガイモを手渡しても同じ返事を繰り返す青年をルイスは不思議に思った。
最後の一つを拾い上げた時、裏を見ると緑の芽が出ていた。
「これ、芽が出てる……もう食べられないですね」
青年はルイスの手からジャガイモを受け取る。
今度は「どうも……」とは言わなかった。
青年はジャガイモを撫でるようにして、芽を取った。
「芽を取れば、まだ食べられる……芽が出ても、植えればまた食べられる」
そう言って、青年はそのジャガイモを麻袋に入れた。
麻袋の口を絞って、青年は麻袋を片手で担ぐ。
細身ながらも鍛えられた腕は、ヒョロヒョロのルイスの腕とは全く違った。
青年は白衣の胸ポケットからタバコを出し、口に咥える。
そしてズボンのポケットに入れていた銀のライターで火をつけた。
城内で堂々とタバコを吸う使用人なんて、街中でエルフの商人と遭遇するレベルで珍しかった。
その堂々ぶりは甚だしく、ルイスの父である国王が見ればきっと彼は酷い目に遭うだろうとさえルイスは思った。
あっけに取られながら、見た者が自分であったことに少しの安堵を抱いたまま、ルイスは聞いた。
「……あの、すみませんアザゼルさんを見かけなかったですか?」
「アザゼル……見てないな」
煙を吹かしながら答える青年。
「そうですか」
ルイスが立ち去ろうとした時だった。
「どこ行くんだ」
「え?」
ルイスが振り返る。
「見てないとは言ったが、いそうな場所は見当がつく」
「本当ですか!」
「ついてきな」
タバコを吸い終えた青年は、吸い殻を革で作られた携帯灰皿に入れる。
ルイスはタバコの匂いを纏った青年の後をついて行った。
▼
「あの……あなたのお名前は……?」
ルイスが話しかけても、振り返る素振りすらなく彼は一定のリズムを刻み歩く。
聞こえていないのか、青年は答えずに歩き続ける。
城の裏口から出て、ルイスがあまり来たことがない西塔近くまで来た。
西塔を横切り、外階段を降る。
西塔は誰も寄せ付けないような異様なオーラを放っている。
階段を降りると、南西塔が顔をだした。
南西塔そばの一部区画から、城の西側一階までが使用人の作業場や生活スペースとして利用されている。
高台になった城の西側一階では主に王室付きのメイド達が生活をし、南西塔そばの城の麓には、城で働く使用人たちとその家族が生活をしている。
環境としては食堂や学校、病院といった最低限の設備とその周りに畑や果樹園、豚や牛、鶏、馬、羊などの畜舎が設備されていている。
すれ違う農夫や、庭で剪定中の庭師が第一王子のルイスがこの場所に居ることに気づき、作業を止めてこちらを見ているような気もした。
使用人の子供たちが果樹園でかくれんぼをして遊んでいるのも見える。
ルイスたち王族が過ごす東側とは違って、田舎のような時間が流れている場所だった。
果樹園そばの小道を通り、小さな池の橋を渡り、芝生を踏みしめて進むと無言だった青年が立ち止まり口を開いた。
「……ここだ」
そこは先ほど降りてきた石積み階段の下だった。
目の前に古そうな木製の扉が佇んでいて周りの石壁の隙間からは雑草が飛び出し、つた植物が絡みついている。
いかにも蛇が好んで住み着きそうな場所だった。
青年は壁にはめ込まれた古い扉を開くと、足元に石製の小さな階段が現れた。
石畳の階段は足の幅しかなく、踏み外したら暗闇に勢いよく転げ落ちそうだった。
青年が扉を開けたと同時に、井戸を覗き込んだときのような冷ややかな風がルイスの首に触れていった。
(こ、こんなところに……?)
アザゼルが本当にこんな場所に居るのかと青年を疑う気持ちと、先の展開が見えない恐怖でルイスの心はいっぱいだった。
「俺の名は、ザク・ウィルソンだ」
ルイスが臆病になっていることをよそにザクは何食わぬ様子で中に入っていく。
ザクは右壁の窪みに置いてあるランタンにライターで火をつけ、明かりを片手に暗い階段を降りていく。
ルイスは置いていかれるまいと後ろをついて行った。
漂う空気が階段を降りるたびにひんやりと冷たさを増していくことを肌で感じた。
「寒い…」
「フレール城の周りは湖だからな。常に冷蔵庫の中にいるようなものだ」
螺旋階段を二周して降りたところで、広場に出た。
するとザクの持っていたランタンの明かりが消え、真っ暗になってしまった。
ザクはすかさず持っていたライターを取り出す。
小さな灯がザクの手元を照らしている。
「ちょっと待ってな。替えがあるから」
「わかりました」
ライターの小さな灯が離れていく。
バタンという扉が閉まる音と共にライターの灯が奥に消え、ルイスは一人になってしまった。
天井から滴り落ちた水滴がルイスの首に触れる。
「うわぁっ!」
情けない声を出すルイスの声が地下で反響する。
驚いた反動で、ルイスは後退りをして真っ暗な部屋の中並べられた水瓶をひっくり返してしまった。
「うわっ! つめたっ‼︎」
驚いて後ろを振り返ったルイスの目に映ったのは、ルイスに限界まで顔を近づけてくる左右に目の離れた肌色の怪物だった。
猫が警戒するように反射的に飛び上がったルイスは、木製のテーブルに思い切り背中をぶつける。
ぶつかった衝撃で壁掛けフックにぶら下げられていた肉切り包丁が落ち、ルイスの右手首を掠めた。
「ヒィ!」
右手首が切れていないか左手で触って確認する。
手首は切れていなかったものの、掌が濡れている感覚があった。
暗闇で何も見えない。
顔に掌を近づけ見ようとする。
ツンと鉄分の匂いがした。
「血だ……‼︎」
掌の水分が血であることに気づいた時、暗闇に目が慣れたせいか急に周りがぼんやり見えるように視界が開けた。
ぶつかったテーブルを振り返ると、切り刻まれた肉や肉塊が散らばり、腸がぶら下げられていた。
「これって……!」
ルイスは自分の運命を悟った。
(ここにいたらまずい……!)
ルイスの鼓動は周りの全ての音を飲み込む洪水のように頭の中で鳴っていた。
「ルイス?」
聞いた事がある声がルイスの理性を現実に呼び戻した。
アザゼルの声だった。
「?」
冷静になると同時に、ついに肉塊からアザセルの声が聞こえるようになってしまったと思った。
肉塊をまじまじと見るルイス。
「アザゼル……?」
「いや、こっち」
ルイスが声のする後ろを振り返ると、人影のような黒い影が見えた。
「アザゼル‼︎」
ルイスは両手を前に出し、暗闇でアザゼルの手を掴んだ。
「ずっと探して……。ん?」
手触りがなんだかモサモサした。
(あれ? こんなに毛深い人だったっけ……?)
モサモサ、モサモサ、ルイスは手で感触を確かめた。
(これって……)
ルイスがアザゼルの顔を見上げると、大きな口のクマが今にもルイスの頭を飲み込もうとしていた。
「!?」
ルイスは驚きのあまり声も出ずにその場で腰を抜かして、倒れ込んでしまった。
奥の扉が開き、ランタンの明かりがルイスを照らした。
森の暗闇に紛れるほど真っ黒な体毛の大きなクマが目の前に立っている。
体長2メートル以上は確実にある。
「すまんな。待たせた。って何してる」
ランタンを掲げたザクが訝しげな表情でこちらを見つめる。
「ザクさん、クマが……! 逃げて」
ガタガタと歯を鳴らしながら、ルイスは渾身の声を振り絞った。
ザクは面倒くさそうにため息を吐いた。
「おい、アザゼル」
「?」
「ぷっ、ぷっは〜‼︎」
腹を抱えて笑い出すクマ。
クマは自分の頭をもぎ取ったと思うと、下から汗だくのアザゼルの満面の笑みがこぼれ落ちた。
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