マナー
「アザゼル兄さん、僕はここにいるべきでは……」
そう言いながら後ろを見ようとした時だった。
頭を両手で押さえられ、前を向くように促される。
「ルイス様はここにいるべきお方です」
「だって! この席だってもともとはアザゼル兄さんの……」
「いいんだ。自分の立場を理解しているから、わたしは君の隣に立っている」
そう言うと、アザゼルは食台の端から椅子を運んできた。
「ミナの言ったことは気にしなくていい。あの子はまだ、子供なんだから」
ルイスの席の隣に椅子を置き、アザゼルはそこに座った。
「ルイス様、なぜミナが基本もままならないと言ったのかお分かりでしょうか?」
「いや……僕はただ、スープとキッシュを食べただけで……」
「かしこまりました。それではテーブルマナーについてお教えいたします」
すると、ルイスは背筋を伸ばして座り直した。
「まずは、ナプキンの使い方です。ナプキンは、飲み物が注がれてから手に取り、二つ折りにします。そして折り目が自分側にして膝に置きます」
アザゼルはお皿の上から白いナプキンを手に取って、実際に膝に置いてみせた。
「なるほど……」
ルイスもナプキンを広げ、二つ折りにする。
「お次はカトラリーを使う順番についてです」
「順番があるんですか?」
「あります。例えば、先ほど飲まれたインゲン豆のスープ用のスプーン、えらく小さいとは思いになられなかったですか?」
「確かに、思ったけれど……」
「あれはデザート用のスプーンだったのです。今晩のメニューでは、クレームブリュレが出されるはずだったので、小さめのスプーンが用意されていたのですよ」
「そうだったのか……。だからミナはあんなに怒って」
ルイスはしまったと頭を抱えた。
「大丈夫です。ルイス様、カトラリーを全て元の位置に戻していただけませんか?」
「えっ! 白いテーブルクロスが汚れてしまう……」
インゲン豆のスープの赤いシミがついてしまうことをルイスは心配した。
「お気になさらず、アザゼルが後のことはなんとかしますので」
「……いいのか」
「はい。お任せください」
ルイスは恐る恐る、既に使用済みのスプーンを元の位置に戻した。
「これでいいのか……?」
「はい。ルイス様、カトラリーの置き場所は出されるお料理によって決められるのです。出されたお料理を思い出してみてください」
「インゲン豆のスープに、ベーコンと卵のキッシュ……次はわからない」
「次は、園庭で育てられた特別な鴨肉のコンフィーでした。コンフィーをいただくために必要なのは……?」
「ナイフとフォーク」
「その通りです。ところでルイス様、キッシュを食べていた際にナイフとフォークが扱いづらくはなかったですか?」
「確かに、大きすぎて使いづらかった……」
「そうなのです。あのナイフとフォークは本来、今夜のメインディッシュのカモのコンフィー用のものだったのです」
するとアザゼルはお皿を中心として、挟むように最も離れた位置にあるナイフとフォークを取った。
「本来であれば、こちらになります。お皿を中心として挟み、最も離れたカトラリーから使っていくルールなのです」
「そんなこと、僕が知るわけないじゃないか……」
ルイスは不貞腐れたように俯いている。
食べかけのキッシュがまだお皿に残ったままだった。
「ルイス様……」
「え……?」
ルイスが隣のアザゼルを見た時だった。
空のカップにポットから紅茶を注ぎ入れ、顔を近づけ香りをかいだ。
そして、口をカップにつけるのではなく、再びテーブルに置く。
自由になった右手はスープの付け合わせのパンの山に手が伸びる。
しかしその手は逸れて、そばに置かれていたバターが入った小鉢を掴んだ。
(バターをどうするんだ……?)
ルイスはそのままアザゼルの行動を見ていた。
アザゼルはバターをパンにつけるのではなく、小鉢に入っていたバターを全てドポンと紅茶の入ったカップに入れた。
ズゾゾゾゾゾゾ
そして、アザゼルはティーカップに入った紅茶を物凄い音を立てて飲む。
「ふは〜」
満足そうな表情を浮かべるアザゼルと僕は目があった。
「はしたないでしょう? これ父の前じゃ禁止されているんです。内緒ですよ」
意外すぎる行動にルイスは呆気にとられていた。
「これは私の母が生きていた時に、ミナ含めて三人でよく飲んでいたバターティーというものです。こんな風に音を立てて飲んだ方がなぜか美味しく感じるんですよ」
そう言って、アザゼルにもカップを差し出してきた。
「グビッと、どうぞ」
ルイスは内心、紅茶にバターを入れるだなんて恐ろしい味になると思った。
しかし、勇気を出してアザゼルと同じように音を立てて口に流し込む。
ズゾゾゾゾッゴッッホッ
慣れない飲み方をしたせいで、ルイスは咳き込んだ。
「大丈夫ですか!?」
「ッハ、ヴッッハ、だ、だいじうぶ……」
苦しいあまりに言葉も辿々しくなってしまった。
優しくルイスの背をさすってくれるアザゼル。
その顔は悪いことをしたと言わんばかりに、ものすごく不安そうな目をしていた。
口いっぱいにバターのコクと紅茶の軽やかな香りが広がる。
「美味しいねこれ……!」
そう言うと、アザゼルは今まで見せなかったような年相応の無邪気な笑顔を見せた。
「そうでしょ!」
「変な飲み方だけど!」
「うるさいな〜!」
ルイスは笑った。
「僕も!」
そして、食べかけのキッシュを手に取り、全てを一口で入れてしまった。
ルイスの両頬がリスのように膨らむ。
もっちゃもっちゃ。
噛むたびに音がする。
「わたしの特技、ほおばルイス!」
アザゼルはそのルイスの行動に、思わず吹き出してしまった。
その瞬間ルイスとアザゼルは血の繋がっていない弟と兄としてではなく、同郷の親友のような絆が生まれた。
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