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太陽の匂い

一度だけ、セーラは街へ初めてのお使いに向かう途中に迷子になってしまったことがあった。

青空が見える天気の良い日だったが、森に一足踏み入れると差し込む太陽の光がまばらになり、昼であっても夜のように暗い。

「赤杉の3本生えた大岩の下は通ってはいけないよ」母や祖母にひどく言われたことであったが、スケッチブックを片手にモンシロチョウを追いかけていると、幼かったセーラはいつの間にかその入ってはいけない場所に入り込んでしまったことがあったのだ。

苔むした岩にナメクジや、トカゲが這っている。

周りの様子に気を取られたせいもあって、追いかけていたモンシロチョウもどこかに飛んでいってしまった。

歩けど、歩けど木々が途切れることはない。

「ママ、怖いよ……。誰か助けて……」

どっちから来たのか方向も全く分からなくなってしまっていた。

ぬかるんだ泥道にグニュグニュと靴が沈み込む。

  ザァァ

川の音がした。

川の下流を辿れば、森の外に出れるかもしれないと傾斜を下ろうとした時だった。

  ズルッ! ドシャン!!

「……ったぁ!」

セーラは足を木の根っこで滑らせて右足のくるぶしを大きく擦りむいてしまった。

その時に足首を痛めたのか、歩ける状態ではなかった。

持っていたスケッチブックは泥に塗れ、グシャグシャに曲がっていた。

せっかく描いたモンシロチョウの絵も茶色く滲んでしまっていた。

泣きべそをかきながらスケッチブックをめくる。

出てきたのは、誕生日に母が作ってくれたアップルシナモンハニーパイを皆で食べた時の絵だった。

  グゥゥゥ

セーラのお腹が大きくなって、大粒の滴が笑顔を浮かべているスケッチブックの中の自分に落ちる。

その時だった。

  ガサガサ、ガサガサ

茂みの中で何か大きな生き物が蠢く音をセーラは聞いた。

(もしかしたら人喰いグマかもしれない……)

セーラは恐怖のあまり背筋が凍る思いだった。

徐々に茂みのガサゴソ音はこちらに近づいてくる。

目の前のツワブキの葉が大きく揺れた。

「お願い! 食べないで!! 私美味しくないから!」

セーラは目をキュッとつぶって、身構えた。

しかし、セーラが想像していた生き物ではないものが大きな舌を垂らしてこちらを見ていた。

ツワブキの葉にダラダラとよだれがしたたり落ちている。

その意外な生き物とは、黄金の毛並みを持つゴールデンレトリバーだった。

セーラの体よりも大きな犬は潤んだ瞳でセーラをじっと見ていた。

「レオ! いきなり走り出してなんなんだよ〜」

「助けがきた……」

人の声が聞こえて緊張が一気に解けたセーラは、目の前で大きく息を切らしている犬に驚きつつも安心から気を失ってしまった。

小麦畑でブランコに乗っている夢。懐かしくて泣き出してしまいそうな夢だった。

  ざっざっ

湿った地面を踏みしめる音歩く振動に揺られセーラが瞼を開けると、犬の背中に寝そべっていた。

幼いセーラは黄金の犬のフワフワの毛並みに顔を埋めると安心した。

お布団を干した時のような、太陽の匂いがした。

ぼやけた視界の中、少し前を歩く誰かを見た。

白雪のように艶やかな髪の男の子が犬のリードを持っている。

「君が助けてくれたの……?」

セーラの寝ぼけながらの質問は辿々しく、言葉が話せているかも怪しかった。

白髪の男の子はそんなセーラに気づくと、優しく何も言わずにセーラの頭を撫でた。

(彼からも太陽のような匂いがした)


「懐かしい……」

あの犬も、彼の名前もわからないまま、暗い森から助けられた思い出だけを確かにセーラは覚えていた。

お祖父さんが布をかけたガラス細工を奥の部屋から出してきた。

「お祖父さん、この犬のガラス細工売ってくださいませんか?」

セーラは自分の財布に入ったお金で買えるかはわからなかったが、そのゴールデンレトリバーのガラス細工から目を離すことができなかったのだ。

「すまんのう、お嬢ちゃん。そのガラス細工は特注の品でな、売ることはできんのじゃよ」

「そうですか……」

セーラのがっかりした声に、お祖父さんは頬を掻きながら言った。

「まだ店を閉めるまでは時間もあることじゃし、今日それを取りに来るお得意さんが来るまで見ていくといい」

「本当ですか……!? スケッチしても?」

「よかろう」

「ありがとうございます!」

セーラの目がガラス細工が反射するように、ぱぁぁっと輝いた。

近くにあった木のスツールをゴールデンレトリバーのガラス細工の目の前に移動させ、膝にスケッチブックをのせサラサラと紙に線を引いていく。

お祖父さんは他のガラス細工に磨きをかけている合間に何度か後ろからセーラの描く絵を覗き込んできては、「ほぅ」と呟くのだった。

セーラがゴールデンレトリバーの彫刻をスケッチブックに模写し終えた後のことだった。

  カラン、カラン

ガラス細工店の入り口の戸が開いた。

ノワが音に驚き、セーラの髪の中に隠れる。

黒いマントのようなコートに黒い帽子に、革の鞄とステッキを持った紳士的な男性が入ってきて、おじいさんに話しかけていた。

「注文の品をお願いします」

おじいさんは頷くと、白い手袋をつけてこちらに近づいてきた。

コートの男性と目が合う。

「お嬢さん、いいかな」

セーラは渋々、ゴールデンレトリバーのガラス細工の前からスツールを動かした。

後ろからコートの男性が不思議そうにこちらを見ていたが、話しかけては来なかった。

夕陽に照らされ輝いているゴールデンレトリバーのガラス細工は丁寧におじいさんに梱包されて、コートの男性が持ってきた丈夫そうな革の鞄にしまわれた。

(バイバイ、私の小さな王子様)

セーラが心の中でつぶやいた瞬間だった。

コートの男性は店を出るや否や、石畳の道でつまずき転けてしまった。

  ガシャン

嫌な音が聞こえた。

形相を変え、コートの男性が踵を返して再び店に入ってきた。

革の鞄を恐る恐る開けると、さっきまでそこに微笑んでいたゴールデンレトリバーのガラス細工は見るも無惨にバラバラに砕けていた。

「すまぬが。再び同じものを作ってはもらえないだろうか」

コートの男性はさっきまでの凛々しく、自信満々だった様子とは打って変わって今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。

その言葉を聞いて、落ち着いていたお祖父さんの表情も怖がった。

二人の様子はただのガラス細工が壊れた反応ではない、そんな危機迫った雰囲気が店内に漂っていた。

唾を飲み込んだお祖父さんは、覚悟を決めた様子で言った。

「王子のご愛犬が、生きておられたときに時間をかけて作ったものなので、同じ物を作ることは二度とできないのです」

「なんということだ……」

コートの男性が頭を両手で抑え、カウンターにうなだれ込む。

何かに気づいたように、おじいさんがハッと顔をこちらに向ける。

「ちょっと待ってください」

こちらにお祖父さんが近づいてくる。

「お嬢さん、よければ先ほどの絵をあの男性にお見せしてはくれないだろうか?」

セーラは村で絵なんてなんの腹の足しにもならない、仕事をしろと言われてきたことを考えれば、村人以外の人にちゃんと絵を見せることはなかったため、気は進まなかった。

(また、くだらないと言われてしまったらどうしよう……)

そう思いながら、震える手でスケッチブックをうなだれているコートの男性に差し出した。

「これは……!!」

男性はセーラのスケッチブックを見ると否や、お祖父さんに再び勢いよく話しかけた。

「これなら再現できますか!?」

「できる」

お祖父さんはボソッと答えた。

「よかったぁ〜!」

男性は安心した声を出すと、こちらをばっと見た。

「お嬢さん、絵お上手ですね!」

「……!?」

急に話しかけられたことに言葉を失うセーラ。

その表情はあまりにも紳士そうな見た目とはかけ離れた、子供のような反応だったからだ。

「でもどうしてスケッチなんかを?」

「昔、助けてもらった犬にそっくりでしたので、つい。問題があれば処分しますが……」

「問題だなんて、とんでもない! むしろ今、私はあなたに救われました!」

驚くセーラの手を取って、「ありがとうございます!」と真っすぐ栗のように深い茶色の瞳で見つめ、男性は言った。

「私の名前はジョセフ。城にお仕えしている者です。お礼がしたいので、一緒にお城に来てくれませんか?」

思いがけない提案に不安になったセーラはお祖父さんを見つめた。

お祖父さんはこくりと頷き、「行っておいで」と一言いった。

ノワは相変わらず、セーラの髪に絡みつくように身を隠したままだった。


可能であれば火曜、金曜の週2回投稿したいと思っています。

ぜひブックマーク、評価、感想よろしくお願いします。

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