ルイスの憂鬱(ルイス視点)
「ルイスよ。お前がこの国を導くのだ……」
父の硬くシワのある大きな手がルイスの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「はい。お父様! 僕、立派な王様になります」
そう返事をすると、父は白く長い髭を触りながら満足そうに笑う。
ちょっとだけ埃くさいローブの匂いを纏う父。
その匂いを嗅ぐだけで、ルイスはどんな時だって安心する。
大きく偉大な父は、家族と接する時間でさえ王としての威厳を大切にする人だった。
「お父様、あの子はだぁれ?」
白い大理石の柱の裏からルイスと同い年くらいの男の子がこちらを見ているのに気づいた。
「あれは、お前の兄だ」
「え……?」
「っはぁ、はぁはぁ……、っはぁ…………」
枕カバーに汗染みができるほど、ルイスは汗をかいて目を覚ました。
朝日が昇る前の薄暗い時間。
空の群青が目覚める準備をする太陽から滲み出た色に染められ始めていた。
「まただ……」
顔を両手で覆い、目をぐりぐりと刺激する。
起きるには早いが、二度寝するには遅すぎる。そんな時間だった。
片手でサイドテーブルに乗せたメガネを探す。
町の職人に作らせたメガネは冷たく、鼻の支え部分から伝わる温度は物凄く冷たかった。
(こんな日はよく、レオと散歩に行ったな……)
目を瞑れば、大きな可愛い前脚をルイスの膝に乗せてくるレオの表情が思い出せた。
ゴールデンレトリバーさながらのあの愛らしい笑顔。
「ルイス! 今日は長く散歩に行けるね!」そう言うように、レオはルイスが悪夢を見た日リードを咥えて持ってくるのだった。
「お前がいないと、こんな時どうすればいいのかわからない」
ルイスはこの日、久しぶりに悪夢を見たのだった。
起き上がり、紺色のバスローブの腰紐を結び直す。
そして引き出しに入れた、宮廷絵師に書かせたレオの絵を取り出した。
レオの絵を手に、バスローブ姿のままバルコニーに出た。
朝日が徐々に顔を上げ、湖の水面を照らす。
「おはよう」
ルイスはレオの絵を太陽にかざした。
するとレオの毛並みが生きていた時のように金色に煌めき、紙の繊維が透ける。
父がルイスにくれた特別性の外国の紙だった。
炭で描かれたレオは、随分と時間が経ってしまったせいか線がぼやけてきてしまっていた。
「お前の姿をもっと残しておくべきだった」
ルイスは丁寧にレオの絵を引き出しにしまった。
▼
執務室で隣国への手紙を書いていた時だった。
静かなはずの城に、馬車の車輪が石畳を叩く音がした。
(なんだか騒がしい……誰か来るなんてザクは言っていなかったぞ)
万年筆を置いて、執務室の窓から外を見る。
馬車から降りてきたのは、茶色い髪が見える。
その人物がザクの部下のジョセフだとルイスはすぐにわかった。
しかし、ジョセフに手を支えられ、馬車から降りてきたもう一人の人物に目がとまる。
「誰だ、あの者は……」
赤毛の髪に、いかにも平民が来ていそうな質素な布のワンピースを着ている。
(怪しい……)
ルイスはまた、ザクが自分の見知らぬところで何か動いているのだと思った。
(ザクは、また何をやろうとしているんだ……)
ザクはルイスの補佐でもあるが、ザクの始めたことにいつの間にか巻き込まれてしまうというのがいつものオチだった。
主人でありながらザクに掌で転がされているような感覚になってしまう。
机に座り、執務の続きをやろうと万年筆を握るも、さっきの人物のことが気になって集中できなかった。
我慢できず、上着を羽織って執務室から出る。
階段の下からザクと知らない人物の話し声が聞こえてきた。
広間の階段の下を見る。
ザクと話していたのは、いかにも平民の格好をした娘だった。
ふわふわの赤髪に、お揃いの色をした小動物を肩に乗せている。
「ザク、その者は誰だ」
キャラメリゼされたアーモンドのような瞳がルイスを見上げた。
その女はハッとした表情を浮かべる。
そして、ぎこちない挨拶をしワンピースの裾を掴み、腰をかがめた。
(どうしてこんな平民がここにいるんだ……)
ザクに一言言ってやろうと、口を開こうとした時だった。
「この者は例の仕事を任せようと思い、ルイス様の元へお目見えさせるところでした」
ザクの目はいつにも増して真剣な様子だった。
改まって堂々とものを言うザクの姿を見て、注意することを思いとどまった。
(そういや、宮廷絵師以外の絵師を雇うとかなんとか言っていたな……ザクがそこまで本気だったとは)
こういう時のザクは頼りになる。
ザクはルイスにとって歳の離れた兄、親友のような存在であった。
ザクは目を決してそらさず、その瞳の奥には青の炎のような強い意志を絶えずルイスに伝えていた。
(ザクにここまで言わせるとは……そうか。仕事を任せられるほどの者であるか、直々にわたしが見定めてやろう)
「そこの者、名を名乗れ」
大抵の者はルイスが発言する機会を与えても、オドオドとした態度を取り、発言できずに終わる。
ルイスは国民が自分のことを「氷結王子」と呼んでいることを知っていた。
彼の視線で見つめられると何も考えられなくなり、言葉を発せなくなるといった噂まで立っているほどだった。
「はい。わたくしセーラ・シュトロイゼルと申します」
(…………ん? この女……私が怖くないのか……?)
女の声は震えるのを抑えながらも、精一杯に無礼のないよう気を配っていることが指先や視線、髪先の揺れからさえもひしひしと伝わってきた。
何より、その女はそらさずにはいられないはずのルイスの目をまっすぐと見つめ返していた。
(ふぅん、いいだろう)
「ザク、その者に仕事をさせるのか」
「はい。この者の腕は確かであります」
ザクは、はっきりとした声で返事をした。
「ふんっ。また絵なんてくだらないことを……お前の仕事もこれで最後になるかもしれないな、ザク。私の手を煩わせないように」
(絵なんぞで、王族と国民の溝が埋まるとは到底思えないが……そんな日が来るとすれば、わたしの手もきっと……まっさらのままだろうか……)
ザクに向かって皮肉めいたことを言いながら、群青の闇に呑まれた心の淵に一筋の光が見えた気がした。
「かしこまりました」
ルイスは踵を返し、下りかけた階段を再び上り直す。
(見ものだな……)
ルイスの口角は少しだけ上がっていた。
申し訳ありません、大変遅くなりました!
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