最終話
コンコン……
「雨、いい?」
「うん」
その夜、帰ってきたツグミは自分の部屋に行く前に玄関からそのまま私の部屋を訪ねてきた。
「……ノック出来るじゃん」
私は机に向かったまま振り返らずに言った。ツグミは扉を閉めると、その場で私の背中に向かって話し始めた。
「今日さ、なんであの遊園地にしたの?」
「……ツグミの引き出しの缶の中」
「見たの?」
「うん。こないだ接着剤探してた時に……」
勝手に缶のフタを開けたことを怒られるかなと思ったけど、ツグミはそのことには全く触れなかった。
「なんであれがかすみと行ったやつだって分かったの?」
「日付がかすみさんと付き合ってる時だった。友だちと行っただけならあんな大切にとっておくわけないし、ツグミは彼女いるのに他の誰かとそんなとこ行ったりしないだろうから」
「……そっか」
私はイスを回転させてツグミに向かい合った。ツグミは、悪いことをして見つかってしまった子供のような表情をしていた。
「ツグミ、本当はかすみさんのこと初めからずっと本気で好きだったんでしょ?」
「…………」
「私には分かるよ」
「なんで?」
「だって、ツグミが好きになる人はいつも私と同じだもん。はるかちゃんのことだって、本当は結構好きだったくせに」
「……別にそんなことないけど」
ツグミは私から視線をそらし、自分の右肩を左手でぎゅっと掴んだ。いつもすかしてばっかりのツグミに珍しく分かりやすい動揺が見えた。
「やっぱり」
「そんなことないって言ってんじゃん」
「でもめちゃくちゃキョドってるじゃん」
「……まぁ……あの子は普通に可愛かったけどね……」
観念したツグミはやんわり認めた。
「かすみさんのことだって涼しい顔して『初めから好きじゃなかった』とか言ってたくせにさ、一緒に行った遊園地の半券なんか大切に缶に閉まっちゃってんだから。強がっちゃって」
「……そんなこと、今まで誰にもなかった。かすみにだけだった……」
「……そんなに好きなのになんで私に譲ろうとするかな。そもそも私がかすみさんのこと好きなの、いつ分かったわけ?」
「家庭教師始まってすぐくらいかな」
「私なんかした?」
「顔見てれば分かるよ。だから参った。雨がかすみのこと、どんどん本気で好きになってってたから……」
「………」
「……かすみから雨とキスしたって聞いた時、本当はすごいショックだった。頭ん中真っ白になって、正直、一瞬かすみにも雨にも怒りを覚えた。……だけど、感情を落ち着かせて考えてみたら、二人とも悪戯に私を裏切ったわけじゃないよなって思った。そこまでするほどの、それぞれの想いがあったからなんだろうなって……」
「…………」
「そう思ったら、私が引くべきだなって結論に達して……」
「なんで?」
「雨はかすみが好きだし、かすみも雨といる方が私といるより笑顔でいられると思ったから。……かすみは、私といるといつも私のこと疑ってばっかりだった。『好き』って言われて『私も好き』って返しても、『ツグちゃんの好きは私とは違う』って信じてくれなかった。特に百々花のことをすごく気にしてて、百々花は妹みたいなもんだからって話したけど、それすら信じてくれなくて……。かすみは私といても悲しい顔ばっかりしてたし、私はかすみに、好きな人に信じてもらえないことが何よりも辛かった。だからあの時、これを機にもうここで終わらせた方がいいって思って『別れよう』って言った。別れなきゃって……」
「……それで、あえてかすみさんが特に気にしてた百々花さんに彼女役を頼んだんだ?」
「なんで知ってるの!?」
「……いや、そうかなって思っただけ。百々花さんて明るくていい人だけど、ツグミのタイプとは違うから」
つい口にしてしまった私の知るはずのない事実を、百々花さんに迷惑がかからないよう、本心を混ぜつつ上手くごまかした。
「……いっそ、かすみが私のこと最低だと思ってくれたらいいって考えた。かすみに心底嫌われたら、私自身も未練を捨てて忘れられるかもしれないと思ったし、かすみにもちゃんと自分の本当の気持ちに気づいてほしくて……」
「自分の気持ちって?」
「かすみが私に執着するのは、私のことを心から好きだからなわけじゃないってこと」
「なんでそんなふうに思うの?かすみさん、どう見たってツグミのことすごい好きそうだったじゃん」
「つき合いたての頃、私のこと好きになったきっかけは顔だってはっきり言われて……。たまたま顔の好みが合致しただけで、それ以外に好きになってもらえるようなもの、私は何も持ってないから………」
ツグミの話を聞いて、確かにかすみさんが『ツグミの顔が好き』と嬉しそうに語っていたことを思い出した。
常にひょうひょうとしたツグミでも、誰かの一言がずっと心でくすぶってしまうこともあるんだと初めて知った。
「……だから、雨のことをもっと知れば、私よりも雨のことを好きになるだろうなって普通に思ってた」
「そんなことあるわけないじゃん!同じ顔ならツグミがいいに決まってるのに!」
「なんで?」
「なんでって……事実、みんなそうだったし……」
「……私は全くそう思わない。雨はすごいよ、いつでも自分の心にまっすぐで、なんでも一生懸命で人にやさしいし。いつも自分の心を隠してばっかりで何にも向き合わない私とは全然違う」
突然すごく自然に褒めてきて、気恥ずかしさにちゃちゃを入れようとしたど、ツグミの顔が真剣過ぎたからやめた。代わりにまたイスを元に戻し、背を向けて話を続けた。
「……だけど、かすみさんは私じゃだめだった。かすみさんは私の前でもいつもツグミしか見てなかったよ。酷い時なんて隣にいる私の存在を忘れちゃうくらい……。それが何よりの証拠でしょ?かすみさんはツグミの顔だけを見つめてたわけじゃない、全部ツグミじゃないとだめなんだよ」
一向に返事が返ってこないので様子を伺おうと少しだけ振り返ると、私の気持ちを想って素直に喜べないのか、難しい顔をして黙りこんでいた。
「ほんとバカだよね!ツグミもかすみさんも。好きなら好きだってもっと言葉で伝えればいいのに。簡単に伝わらなかったとしても、何度も何度も伝え続ければいいのに。たったそれだけのことなのにさ。二人とも頭はいいくせに、そうゆうとこ全然ダメなんだから。勝手に人の気持ちを自分で決めつけて、諦めて、でもやっぱりまだ好きとか……。ほんとバカだよ……」
「……うん、そうだね。バカだった……」
「……でもそんなところが二人ともよく似てる。だから合うんじゃない?」
また何も言わなくなったツグミに、私は全く別の話をした。
「ねぇそう言えばさ、もう一個教えてよ。あれは何なの?もう一つの宝物」
「なんの話?」
「引き出しの缶の中にあった赤いリボン。あれも誰かとの思い出じゃないの?それとも、あれもかすみさん?」
「……覚えてないの?あれは、雨がくれたやつじゃん」
「え?」
「小学校の時、運動会の50メートル走でぶっちぎりのビリになってさ。情けなさ過ぎてその夜一人で部屋で泣いてたら、雨が突然入ってきて、自分が獲った一等賞の赤いリボンをくれたんだよ」
「……そうだったっけ?」
「雨、まだ一年生だったし覚えてないか……」
ツグミは仕方ないというふうに笑った。だけど、その顔は力なく、悲しそうに見えた。本当のところ、ツグミの話を聞いておぼろげな記憶が少し舞い戻っていた。だけど、私は忘れたふりを続けてしまった。
「あれくれる時、雨が私になんて言ったか覚えてる?」
さすがにそこまでは本当に覚えていなかった。
「そんなの覚えてるわけないじゃん」
「……私のことね、世界で一番のおねえちゃんだって言ってた」
「そんなこと言った?!」
「言った。……だから私、その日からずっと、雨の一番でい続けたくて何でもかんでも頑張ったんだもん。でもその結果、どんどん雨には嫌われてったけどね……」
「別に嫌ってたわけじゃ……」
「完全に嫌ってたじゃん。近所ですら一緒に出かけてくれなくなったし、機嫌悪いとすぐ無視するし。あの頃は『おねえちゃん』て呼んでくれてたのに、今じゃいつのまにか呼び捨てにされてるしね……」
少しいじけたように、何かの含みを持たせるように言う。
「……なに?おねえちゃんって呼んでほしいの?」
「うん」
一点の曇りもないような真顔で答えるので、意外なその返事に私の方が恥ずかしくなった。すると、あからさまに照れる私を見て、ツグミは大きな口を開け、おなかに手を当てて笑い出した。
こんなツグミは久しぶりに見る。
ツグミが笑ってるのも悪くないなと思った。
「……てゆうかさ、百々花さんだって妹みたいなもんなんでしょ?」
「何?突然。もしかして雨、嫉妬してんの?」
「は!?よく自分からそんなこと言えるね?」
「安心しなよ、妹《《みたい》》と、妹は違うから」
ツグミは構えることなくさらっと言った。気恥ずかしさの中に、やっぱり悔しさが少しだけ混じる。
「……かすみさんにさ、ツグミから家庭教師断っておいてよ」
「えっ……」
「当たり前じゃん。家庭教師だけは続けてもらうとかあり得ないでしょ」
私はあえて笑いながら言ったけど、ツグミは言葉に詰まっていた。
「それにさ、こんな近くに優秀な人材がいるわけだし」
「……私でいいの?あんなに嫌がってたのに」
「その方が気使わないもん」
「私はかすみみたいに優しく教えたりしないよ?」
「私だって大人しく座ってないよ」
「いや、座るくらいはしなよ」
目が合うと私たちは我慢出来なくなり、どちらからともなく思わず吹き出してしまった。
今はまだ絆創膏で隠しただけの傷がいつか本当に綺麗に治ったら、その時はまた「おねえちゃん」て呼んであげようと思う。
きっと大丈夫だ。
はるかちゃんとだって笑い合えたんだから……。
大好きな二人が幸せでいてくれるなら、私もきっといつか、心から笑えるはずだ。
おわり




