第13話
その日は、出掛ける前にお母さんがケーキを用意していてくれていた。休憩の時間になりその事を伝えると、甘いものが大好きなかすみさんは とても喜んでくれた。
「今持って来ますね」
「私も手伝うよ!」
二人でリビングへ向かうため部屋から廊下に出ると、ちょうど玄関から入って来たツグミと例の後輩の人と鉢合わせた。
息を飲む三人の空気に気づかない場違いなテンションで、後輩の人が口を開く。
「桐山先輩!こんにちは!」
「こんにちは……」
かすみさんは、今すぐ逃げ出したい気持ちに耐えているように見えた。そんなかすみさんにきっと気づいているくせに、知ったこちゃないと言わんばかりのツグミに頭に来た。
「雨ちゃんも!改めましてはじめまして!私……」
「そんなのいいから!百々花、戻るよ」
「え!?ちょっとツグミちゃん!!」
その人が私に向かって自己紹介を始めようとしたところで、ツグミは強制的にそれを終わらせ、その人の腕を引っ張るようにして自分の部屋へ連れて行った。
「なんか、変わった感じの人ですね。ツグミがああゆう感じの人好きになるなんて意外……」
思わず口から出た失言にハッとして、隣に立つかすみさんを見た。黙ったまま、二人が消えていった部屋の扉を見つめている。
「……ごめんなさい、変なこと言って」
私が話しかけると、かすみさんは扉からやっと視線を外した。
「ううん全然!」
リビングに着くと私はお湯を沸かし、紅茶の用意をした。その間にかすみさんは、冷蔵庫から出した箱から丁寧にケーキを取り出しお皿に乗せていた。
「わぁ!レアチーズケーキだぁ!美味しそうだね!」
私はチーズケーキを、かすみさんは紅茶を乗せたお盆をそれぞれ持って、リビングを出た。廊下に出てツグミの部屋の近くを通った時、先を歩いていたかすみさんが突然ピタッと立ち止まった。
「どうしたんですか?」
私が聞いてもかすみさんは何も答えない。背中を向けているのでその表情も分からない。かすみさんの元へ近寄ったその時、部屋の中から繰り返しツグミを呼ぶ、あの人のいやらしい声が聞こえた。
「ツグミちゃん……!ツグミちゃんっ!!」
「百々花、さすがに声大きすぎるって」
「精一杯なのに細かいこと言わないでよ」
「百々花ってエッチの時そんな感じなの?」
淡々と尋ねるツグミの声が聞こえると、かすみさんの持った紅茶の水面が波立った。
「もう行きましょう!」
私は立ち尽くすかすみさんを強引にその場から連れ去った。部屋に戻った私はまだ黙ったままのかすみさんになんて声をかけたら分からず、ただその名前を呼ぶことしか出来なかった。
「かすみさん……」
すると、うつ向きがちに一点を見つめていたかすみさんが小さな声で呟いた。
「わざとかな?……ツグちゃん、私が来てること分かってて、わざとあんなことしてるのかな……」
私はなんとかして慰めてあげたかったけど、何も出来なかったし何も言えなかった。
「……どうして……私がいるのにあんなことするんだろう………」
かすみさんはついに泣き出してしまった。
どんなに切なくても、かすみさんといれる時間を守りたいと思っていた。だけどその涙を見た時、私はもっと守りたいものがあることに気がついた。
「……かすみさん、わがまま言ってごめんなさい。もう、いいですから……。家庭教師、辞めても……」
かすみさんは涙を拭いながら、そう言った私を見つめる。
「こんなかすみさん見てられない。かすみさんをこれ以上、傷つけたくない」
「……だめだよ、約束したんだから。もう辞めるなんて言わないって」
かすみさんは無理をしていた。
込み上げる悲しみを私に見せないようにと、口を堅く閉じて肩を震わせている。私は我慢できずにその体を抱きしめた。きつく、きつく、胸の痛みをぶつけるように。
「無理しなくていいんです」
「無理なんかしてない」
「してるから」
「してない!」
「私には分かります」
かすみさんが濡れた瞳で私を見上げた。
「そうだね……私、無理してたのかもしれない……」
「……だからもういいんです。かすみさんには笑っててほしい……」
「やだよ、私、家庭教師は続けるから」
「もういいですから!」
「雨ちゃんが忘れさせてくれるなら私、がんばれるから……」
「え……」
幻聴のような言葉に、かすみさんの体をきつく抱いていた腕の力が緩んでするっと外れてしまった。するとかすみさんは、私のその手を拾い上げるように掴んで涙を拭いた。下唇を少し噛んでから潤んだ瞳で私を見つめ、辿々しく言葉を吐く。
「今からじゃ……もう遅いかな……?」
私の心臓がバクバクと音を立てて乱れ打ち始める。
「雨ちゃんが、私のことをそんなにも好きでいてくれるなら、私、やっぱりその気持ちに応えたい……」
「……本当……ですか?」
うなづくかすみさんを、まばたきせずに見ていた。
「 ……でも、今さらそんなの都合が良すぎるよね……。あんなふうに断って雨ちゃんを傷つけたくせに……」
「そんなことありません!」
私は叫ぶように言った。
「私が、かすみさんの中のツグミを消します」
「でも私、ただ雨ちゃんに逃げてるだけかもしれないよ……?」
かすみさんは誤魔化しきれない罪悪感を正直に告白した。その言葉に傷つかないわけじゃなかった。けど、そんなの分かってたことだ。
「……だとしても、逃げてきた場所が私のところで嬉しい」
私が痛みを堪えて笑うと、かすみさんは私を引き寄せて、二回目のキスをしてくれた。
それは、いつか見た白昼夢のようだった。




