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冬海の鐘楼  作者: 北のなまら
第1章 海楼に魅する石
4/4

4.噂と信仰と

 大正浪漫に憧れて、異世界を足したらどうだろう。

そしてミステリーという考えからの妄想書きです。

時代的な整合性はあまり気にせずに読んでいただけると有り難いです。

 古ぼけた階段のザラザラとした手摺(てすり)を触れて降りていく。

 途中、彼は「少し調べたい事がある」と何処かに行ってしまい、一人残された私は中佐の言った"彼等の嘘"という言葉の言い知れぬ不安感が、頭の中を(まわ)り続けた。

 どちらにせよ、例の"噂"について話を聞けば、この好奇心にも似た不安感は解消出来るかもしれないと思うと、足取りは軽い。

 もはや見慣れたラウンジの扉を開くと、そこには数刻前の賑やかさは無く、祭りの後の様な錯覚に陥った。

テーブル上の食器を片付けていた二凪さんがこちらに気付き。


 「お早いお帰りですね。今は御一人で散策ですか。」


柔和な微笑みに先程の不安が嘘のように感じ、私は安堵した。


 「彼なら調べたい事があるといって、どこかへ行ってしまいましたよ。」


 「そうでしたか、それでしたら珈琲でもお淹れましょう。暖房が効いているとはいえ、船内はよく冷えますから。」


確かに、あれほど歩き回り汗まで少し掻いたというのに、体の末端は驚くほどに冷えていた。


 「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます。」


 「分かりました。直ぐにご用意いたしましょう。」


厨房へと消えていく背中を見ながら、私は前回と同じ席に腰掛けた。

カウンター内に戻ってきた二凪さんは、手早く用意を済ませ、コーヒーミルに豆を入れて回し始める。

粉砕音が小気味良く響き渡り、蓄音機から流れる音色に包まれ、穏やかな静寂が室内を満たす。


 「実は私、珈琲を飲み始めたのはごく最近なんですよ。」


話し始めた私の言葉に彼は頷く。


 「最初の頃は、独特な匂いを放つ黒い液体に戸惑っていたんですけど、彼が、矢方中佐があまりにも美味しそうに飲むものですから、思い切って飲んでみると、その奥深さに魅了されてしまったんです。」


取り留めの無い話に、彼は数度頷いて「わたくしも珈琲を淹れる様になったのは、この船で働くようになってからなのですよ」と、挽かれた珈琲豆を入れたネルにお湯を注ぎながら話す。


 「当時は自分の店の営業時間が終わると、わたくしは夕方から夜にかけて別の店で働いていたのです。珈琲の淹れ方はその店の店主から教わったものです。この船に乗船した際、必要な道具が揃っていましたから、使わないのはもったいないかと思いまして。」


私はその事実が意外に思い「あまりにも手際が良いので、長年珈琲を(たしな)まれていたものと思っていました」と、驚いた。


 「あの当時は何もかもが手探りの状況で始めましたから。今では良い経験になったと考えていますよ。」


 そう言って彼は、淹れたての珈琲を私に出してくれた。

一口飲むと、苦く深い味わいなのに、スッキリとした後味が爽やかに過ぎていく。私は、黒い湯面がゆらゆらと白熱灯の光を踊らせているのを眺めながら二凪さんに質問した。


 「二凪さん、ここに織田という青年は来てませんか。」


 「えぇ、いま厨房で洗い物を手伝ってもらっています。お呼び致しましょうか。」


話をさせて頂けるように頼むと、青年を呼びに彼は厨房に向かい、暫くして青年が「白上さんですよね。僕に何か御用でしたか」と、微かな甘い香りを伴って私の前に現れた。

 あどけなさの残る顔は青年というよりも少年という印象を受け、屈託のない笑みを向けてくる彼の眼差しは、(じゃ)れてくる猫のようでもあった。


 「少し話を伺いたいので、時間を頂いても良いですか。」


 「はい大丈夫ですよ、ここの仕事で今日は終わりでしたから。」


彼は私の隣の席に座ると、二凪さんがティーカップに紅茶を淹れて青年の前に出したが、一緒に差し出された見慣れない白い陶器が目に付いた。


 「二凪さん、その陶器は何ですか。」


 「こちらは蜂蜜になります。織田君は紅茶に蜂蜜を入れるのが好みなんですよ。」


青年は「ありがとうございます」と微笑むと、二凪さんは厨房へ戻っていく。

蜂蜜をスプーンで掬い、紅茶に入れてゆっくりと掻き混ぜる青年に改めて質問した。


 「島の噂についての話なんですけど、何か知りませんか。出来れば詳しく聞きたいんです。」


彼は紅茶を一口飲んで「島の噂ですか」と、しばし考え込み、何かを思い出した様子で口を開いた。


 「もしかして、()()()()()の事ですかね。」


 「伝承、という事はかなり古い話なのでしょうか。」


彼はソーサーにティーカップを戻し「僕が小さい時に祖母から聞いた話になります」と話し始める。


 「藍ヶ島は冬になると、近海で嵐が頻発する環境なんです。丁度、今もその影響で運航に支障が出てますけど。」


 「そうなんですか、私は内地出身なので海に落ちる雷は今日始めて見ましたよ。」


自分が想像し得ない自然現象と言うものが、あれほどはっきりとした恐怖に結び付くなんて、想像だにしなかったのだ。


 「一部の島の老人達は、今でもその雷鳴を海神(わだつみ)様の声に例えて崇めているんです。昔はよく、悪い事をすると"海神様が目玉を取りに来る"なんて言われて育ちましたから。」


 「つまり呼び声伝承とは、海神信仰から派生した話と言う事ですか。」


彼は大きく頷き続ける。


 「但し、島民が“呼び声伝承”と呼ぶ様になったのは、つい最近の事なんです。」


 「何故わざわざ呼び方を変えたのでしょう。元は一つの信仰なのに。」


 「さあ、それについては僕も確証のあることは分かりません。島の漁師達が"雷雲の下に幽霊船を見た"とか、"人の言葉で嵐の中に(いざな)われた"とかの与太話に結び付けたのではと思いますけどね。」


船長の竹田さん達は、その"幽霊船"を危惧していたのだろうか、或いは"誘う人の声"の方だろうか。

しかしながら、私の見たあの救難の電文は現実だ、噂や伝承などではなく物証のある事実だ。

 急に考え込んだ私に、少し躊躇いながらも織田青年は口を開いた。


 「白上さんの年齢はお幾つなんですか。」


 「私ですか、二十歳ですよ。織田さんは幾つになるんですか。」


私の言葉を聞くと、彼は表情を一層輝かせた。


 「僕は今年で十七になります。」


 「その年齢で連絡船の乗組員として働いているなんて偉いですね。私も見習わないといけないです。」


彼は照れくさそうに頭を掻いて、うっすらと頬を上気させた。


 「僕なんか大した事ないですよ、仕事も毎日怒られてばかりです。白上さんの方こそ、僕と三歳しか違わないのに軍人さんとして働いているなんて、憧れます。」


慣れない敬意に背中がむず痒くなってしまい、視線をカップに移す。

 唐突に彼は「僕の職場に白上さんみたいな歳の近い人っていないんです」と話し、おずおずとした様子で言葉を続ける。


 「白上さんが良ければなんですけど、お互いに敬語はやめて話しませんか。」


予想外の真剣な表情と眼差しに、私は可笑しくなってしまって、「分かった、そうしようか」と笑顔で応えると、最初は彼も戸惑っていたが、いつしか私達は暫し時間を忘れて、互いの身の上話や最近の帝都の流行り物等の話に華を咲かせていた。

 そして私は嬉々として話す彼の、どこか諦観にも似た他人事の様な口振りに懐かしさを覚え、不意に聞いてみた。


 「君はもしかして、島での生活が嫌いなのかい。」


 彼の目が泳ぎ、どうやら図星のようで苦笑いを浮かべていた。

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