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冬海の鐘楼  作者: 北のなまら
第1章 海楼に魅する石
2/4

2.ビイフシチウ

 大正浪漫に憧れて、異世界を足したらどうだろう。

そしてミステリーという考えからの妄想書きです。

時代的な整合性はあまり気にせずに読んでいただけると有り難いです。


 一階ラウンジへ降りると船室とは違い、意外にも広い空間で纏わり付くような湿気が軽減したような気がした。

照明は相変わらず薄暗いままだが、ほのかに漂ってくるバターの香りを嗅ぎ取るのに障害にはならない。

ラウンジの奥には小さいながらもバーカウンターがあり、まるで西洋のパブを彷彿とさせる。

カウンター内には、グラスを磨く壮齢の紳士といった風体のバーテンダーがこちらに気づき会釈をした。


 「お客様、こちらの席へどうぞ。」


私達はその手の促されるままにカウンター席についた。

空のマグカップをカウンターに置いて一息つき「これはご丁寧に」と言うバーテンダーの言葉の後にマグカップが下げられ、渡された品書きを眺める。

 見聞きしたことのない文字の羅列に面食らっていると、横に座った彼が言う。


 「食事をしたいんだが、品書きはどこにあるんだい。」


バーテンダーは「これは失礼しました」と申し訳無さそうに続けた。


 「お客様には大変申し訳ないのですが、この店で本日提供出来る料理の品目は一つしかありません。」


バーテンダーの示した(てのひら)をなぞるように視線を向けると、カウンター横にある小さな立て看板には大きな文字で“本日 ビイフシチウ”と書かれており、その下には料理の説明が書かれている。

 牛肉と野菜を特製のブラウンソースで煮込んだ一品と書かれており、室内に漂う香りはこの料理が原因なのだろう。

 しかしながら品書きに書かれているもの全てが、食べ物ではないというのには驚いた。そもそも”カクテル”とは何なのだろうか。

目を白黒させている私を尻目に彼はビイフシチウを二皿注文し、バーテンダーが「かしこまりました」と奥の厨房に消えた。


 「そこに書かれているのは昨今出始めた欧米流行りのアルコールだよ。私の好みではないがね。」


 「もしかして、また顔に出てましたかね。」


少々不機嫌な声音で言うと、彼は慌てて取り繕った。

 

 「私は君の身なりからてっきり”モボ”だと思っていたのだが、世事には疎い人だったのか。」


 「これは帝都で揃えた一張羅です、普段は襤褸(ぼろ)の長着ですよ。できれば田舎に引き篭もって家業を継ぎたかったものでして。」


それは紛れもない本心だった。

 見知った土地

 見知った顔

 見知った香り

つい2ヶ月前の出来事が、今では遠い過去の様に郷愁を纏ってしまった。


 「たしか、君の実家は綿作農家だったな。両親は健在か。」


 「健在ですよ。そうでなかったとしても、働かなければ生きていけないのが今の世事でしょう。」


彼は、顎に手を当てて何か考え込むと。


 「そうか、しかし以外だ。事勿(ことなか)れ主義者の様に振る舞いながらも、進取果敢な態度も取る。そんな君が今、この船に乗っているのが不思議でならないな。」


冗談混じりの言葉とは裏腹に、彼のその瞳は真っ直ぐと私の眼を見据えていたのが、私をひどく後ろめたい気持ちにさせ「それは自分が一番感じていますよ」と素っ気ない返事をしてしまう。

 そうこう話している間に料理が運ばれて来た。

立ち昇る湯気のベールに包まれた茶褐色の肌は、凝縮した野菜の旨味を表し、そこに氷山が如く浮かべられた牛肉は人類に眠る野性を呼び起こす。


 「こ、これがビイフシチウですか。」


 「お熱い料理ですので、舌を火傷しない様によく冷ましてお召し上がりください。」


 スプーンの包みを取りビイフシチウを掬い上げると、幾度か息を吹き掛けてゆっくりと口に含む。

絶妙に組み合わされた調味料の香りが鼻孔を通り抜けていき、長時間煮込まれたであろう牛肉がホロホロと舌の上で解けていく時、野菜の旨味が全てを包み込み静かに食道へと流れていく。

今まで味わったことの無い風味と感動が、脳裏に焼き付いていく様は控えめに言ったとしても絶品だった。

 暫くその余韻に浸っていると、いつの間にかラウンジには他の乗客も集まり、バーテンダーが指示を出して、従業員が忙しなさそうに配膳をしており、皆一様にビイフシチウに舌鼓を打っている。


 「とても美味しいです。お世辞ではなく。これは貴方が作った料理なんですか。」


バーテンダーは私の言葉に感謝で答え頷いた。


 「わたくしは元々、帝都で洋食屋を営んでおりましたので料理には多少自信があるんです。今はもう店を畳んでしまいましたが。」


 「もったいない。これ程の味ならば帝都一、いや朱羅(あすら)一の名店になれたのに。」


横で一心不乱に料理を口に運んでいた彼が少々興奮気味に言う。


 「時代の流れには逆らえません。今の帝都は、朱羅(あすら)政府のお墨付きが無ければ店を構える事すら(まま)なりませんから。代々続く老舗の店ならいざ知らず、田舎出身のわたくしは外様の身、立ち行かなくなるのは火を見るよりも明らかでした。」


あっけらかんとし掛ける言葉の見つからない私は、ただ料理を見つめる事しかできなかった。


 「あんたはそれでも自分の意思を貫き通そうとしたんだろう。やはりもったいない。行きつけの店が出来た、と同期に自慢したかったのだがな。」


彼のざっくばらんな物言いに、バーテンダーは目を丸くし声を漏らして笑い「少々暗い話でしたね」と私に頭をさげた。


 「それでも今は充実しています。どんな形であれ、わたくしが作った料理を振る舞い、こうして皆様の笑顔を見る事が出来るのですから。ですので遠慮なく召し上がって下さいね。」


私はビイフシチウに向き直り、一口一口またいつ食べられるか分からない逸品を堪能していくと、バーテンダーがペンを取り、小さな紙に何やら書き込んでいた。その紙を私のもとへ差出してくる。


 「これから向かう島“藍ヶ島(らんがしま)”で長期のご滞在でしたら、こちらを訪ねてみて下さい。二凪(になぎ)の紹介と伝えて頂ければ分かると思います。」


 「貴方は、二凪さんと言うのですね。」


彼は静かに頷いた後、厨房に向かい従業員に指示を出し仕事を進めていった。

 私達は充実した時間とともに空腹を満たし船室に戻ろうと席を立つと、ラウンジの入り口から肩で息を切らせた若い船員が入ってくる。

先程の到着の遅延を知らせてきた者だ。


 「ラウンジのお客様の中に“白上(しらかみ)様”と“矢方(やがた)様”はいらっしゃいますでしょうか。」


 突然の名指しに驚き、彼と私は目を合わせた。

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