そう最後に愛の呪いを
あの日伝えられなかった想い。
すれ違ったまま過ぎてしまった時間。もう一度、一度だけでいいから会えたなら。
君に伝えるはずだった言葉が喉の奥に引っかかって、曲が転調するかの如く、くるりと変わっていった日々。ずっと同じ、飽き飽きとする一日一日を繋ぎ合わせた一生でも良かった。
君が傍にいてくれたら。
目が回るような速さで時間が過ぎて行く。
その中で一人取り残されている感覚。
戻りたい。そう何度も願った。
あの日、素直に伝えられていたら、今頃どうなっていたのかな。引き止められていたら。
ろくに話せないまま過ぎた一年。
あの日が最後だった。
君と会えた、最後の日。
僕に触れたその手は、冷凍庫から出したばかりのアイスクリームのように冷たかった。
君は震えた声で「温めてよ」
その日は極寒で雨も降っており、気温はマイナスにもなっていたと思う。僕は「ごめん」そう言って君を突き放した。君は顔を俯かせ暫く経った後、「そう」それだけ残して背を向けた。
彼女の流した涙は、小雨の中に紛れて消えていった。
翌朝、教室に遅刻ギリギリで入ると、あの姿がない。この時間に彼女がいないなんて。二年連続皆勤賞、学年一の優等生だ。毎朝一番に登校してきては先生の手伝いをしているという彼女。
何かあったのか。彼女の親友のサクラが眉を寄せて、心配そうに話している。
そうしていると予鈴が鳴った。
担任が珍しく遅れて教室へ入り、何やら緊張感に満ちた顔で話し始めた。その話の内容に、それまで少し騒がしかった教室内が静まり返った。
「……これ以上詳しくは話せないが、どうかそっとしておいてやってくれ」
「は」
「嘘……」
沈黙が続く。
「そんなの、なにかの間違いよ!くだらないこと言ってんじゃないわよ!」
「ユリに会わせて!そんなの信じない!」
そう叫ぶサクラを落ち着かせるように担任が抱きしめる。
「嫌。嘘でしょ、置いていかないでよ」
サクラは過呼吸になり震えが止まらない様子で、保健室へと運ばれる。
「皆、今は混乱していることだろう。なにか悩みがあるならすぐに誰かに話しなさい。そしてサクラ、あの子を一人にしないであげてほしい。」「そう遺書に書いてあったそうだ。」
それからは呆然と、何をすることも出来ずにいた。そんな僕を見かねた先生が、早退を勧めてきた。昨日まで共に授業を受けていた生徒が亡くなるのは衝撃的だろうと。
先生、そうじゃないんだ。
「ああ、なにもかも間違えたんだ。」
あの笑顔が好きだった。百合の花が咲いたような。その名前がよく似合う女の子。僕の初恋。
「僕、好きだったのか。あの気持ちも全て、君のことが好きだったから……?」
それがあまりにもおかしくて、笑いが込み上げてくる。
「会いたいなあ」
今更理解しても遅いのに。今更愛の言葉を吐いても遅すぎるというのに。あの時、冷たい手を僕の手で温めてあげたら良かった。涙の理由を聞けば良かった。君は僕に、助けを求めてくれていたのに。なんて情けない男だ。僕はいつも遅すぎるんだ。君はいつもヒーローは遅れてやってくる、なんて言っていたけど、遅すぎたら意味がないのにね。
あの時、なにかを隠すように笑った君を忘れられなくて。弱みを見せてもらえなかったことが悔しくて。ずっと目を背けていた。
いっそ逃げて、君を忘れてしまえば楽になれると思ったから。僕はずるくて汚い人間なんだ。君はそんな僕に、生きる意味を与えてくれたというのに。僕の醜い部分も、全て笑って吹き飛ばしてくれたのに。
「君はどうして、こんな僕を思ってくれていたのかな。」
また泣かせちゃった。私が死んでも泣き虫は変わらないね、ハルくん。ごめんね。
「君も私も弱いから…。二人とも弱かったら弱さなんて気にせずにいられると思った。」
「それに、もっと大きな理由があるの。君のことが、好きだった。そこに説明はいらないでしょ?私たち、何事にも理由を求めすぎていたと思うの。そんなの、いちいち探さなくても良かったのに。」
まぁこんなこと言ったって君に聞こえる訳でもないんだけど。吹っ切れたら良かった。遺伝と環境、両方だと思う。私は元々気分の上がり下がりが激しい方で、躁の時は鬱なんて感じさせないほど元気で、なんでもできる気がしてた。鬱の時はいつも死ぬ選択が頭の片隅に、いや、ど真ん中にあって。嫌なことが少しでも続けば死んでしまいそうだった。
そんな私に生きる希望を与えてくれたのが、ハルくんだった。家庭環境が悪く、性格も暗くて友達も多くない、そんな私をいつも新鮮な気持ちにさせてくれていた。勿論、友達と過ごす時間もすごく楽しくて、サクラは私を温かい気持ちにする天才だった。
でも、ハルくんと過ごす日常は初めての感情だらけ。
好きだった。確かに恋をしていた。
いつも不安定な私を支えてくれた。弱みを見せられていた。あの日までは。
大声を出して、助けを求めたいのに声が出ない。自分はこんなにも非力だったのかと絶望した。あの男に触れられた唇の感触が、肌の感じが、逃げられない恐怖が忘れられなくて、君を避けるようになった。
君の目にうつる私が汚く見えて。弱みを隠すようになった。嘘でもいいから、君の目にうつる私だけは、さいごまで綺麗でいてほしかった。同情なんていらない。ただ、気高い百合の花のようになりたかった。それが偽りだとしても。
自分自身薄々感じていた。
「これから先長くないんだろうなぁ。」
だからこそ、さいごまで花の名前に見合う自分でいたかった。それが私の最初で最後の、生涯唯一の見栄だった。私が死んだあと、君に同情されることだけは死んでも嫌だった。もう死んでるんだけどね。綺麗なひとだったと、そう何年も引きずっていてほしいから。
「サクラ、ハルくん、ごめんね。また会えたら沢山お話しようね。だいすき。」
私以外に好きな人が出来ても、もっと綺麗な花に出会ってしまっても、それでも、私を忘れてしまうほどではありませんように。
そう最後に愛の呪いをかけて、私は消えた。