第5話 そりゃそう
ヴィオレッタが立候補したことは、その日中に学園内に広まった。彼女のクラスが一番候補者を決めるのが遅かったらしく、授業が終わった後中庭に貼り出された広報紙であっという間に拡散されたのだ。
おそらくだけど、ヴィオレッタは他薦を断っていたんだと思う。それでクラスの人たちが困っていたところにいきなり立候補してきたんだから、そりゃあ理由が気になるわよね。
サラはアーモンド型の上品かつ華やかな目でその名前を睨んでは、私に気にすることはないと言っている。
「大丈夫よ。誘ったのは私だもの」
「それが問題だって言ってるの…!」
聞けば、ヴィオレッタと殿下の間柄を怪しむ声は私が思うより大きな話題として広まっていたらしい。
それを知る人々は、私がヴィオレッタに宣戦布告をして、ヴィオレッタがそれを買ったと思っているんだって。中庭に全然人がいなかった理由がようやくわかった。私が3番棟に呼び出しに行って、「表出ろや」「上等じゃ」的な状態で、ギャラリーは密かに多くいたってことね。はいはい。
おおよそ狙い通りだけど、私たちの仲が悪いわけでは決してないから、そこが残念ではある。いつの時代もそうよね。人々は受け取りたいように情報を受け取るんだから。
変なところで現代との共通点を感じていると、サラは神妙な面持ちでこちらを見た。
「平民クラスは貴族クラスよりも1割人数が多いわ。変に感化されないといいんだけど」
「でも、私やヴィオレッタが代表に選ばれない可能性だってあるわけでしょう?」
「あるわけないわよ。ヴィオレッタはともかく、貴女の成績を見て誰が推薦しないと言うの?」
「成績で決まるなら、ヴィオレッタもきっと大丈夫よ」
「……もう。なんでこんなに楽観的なのかしら」
諦めたように肩を落として、サラは迎えの馬車に乗り込んだ。手を振っているとサラがぎょっとした顔をする。後ろを振り向くと、すぐに理由がわかった。
「殿下」
「フリージア。一緒に帰りましょう」
「…え、ええ」
彼は微笑んでいるものの、完全に怒っていることが伝わってきた。迎えの馬車がまだ来ていないからと、先日一緒に授業を受けた部屋に通される。扉を閉めると、変な緊張感が漂った。
「フリージア、ヴィオレッタに立候補するように言ったのは貴女なのですか?」
「ええ、そうですわ」
「どうしてそんなことを?」
「え、えーっと……」
殿下に聞かれた時の答えを用意していなかった。協力するとは言ったものの、これはこれで怪しすぎるか…?
「…君の立場が危うくなることも承知で?」
「そ、それは…ええ。もちろんです」
「……僕、いえ。国王の立場も危うくなることは?」
「え?」
「君が彼女を誘って、彼女がそれを受けた。それでは噂を肯定しているも同然ではないですか」
「あ…」
殿下ははあーっと大きなため息をつく。こんな様子の彼を見るのは初めてだ。後悔よりも先に、怖いという気持ちが胸をよぎる。
「……でも、殿下は…」
「殿下、フリージア様。お迎えにあがりました!」
ノックと同時にレオナルドの元気な声が扉越しに響く。私たちは気まずい空気のまま部屋を後にした。
◇◆◇◆◇
確かに私の考えは軽率だったのかもしれない。
怒られたという気持ちが先行してしまっていたけれど、彼はあくまでも1年後に私との婚約を解消すると言ってくれて、それまでの生活は保証するって言ってたし……。
「だったら軽率な行動をしたのはそっちでは!?」
「!?」
わたしの独り言に、目の前で掃除をしていた女生徒たちがびくっとこちらを見ては去っていく。
1年間、わたしに婚約者としての行動をさせるなら、そっちだって1年間は他の女性にちょっかいをかけるのをやめるべきだ。
そもそも、私とヴィオレッタに良くない噂が立ったのは、殿下が彼女と一緒にいるのを見られたからだし。
「フリージア様」
「あ、う、ヴィオレッタ。ごめんなさい、また今度ね!」
「えっ…」
彼女が私に話しかけるたび、どこかでひそひそと声がする。私もはじめは気にしていなかったが、この奉仕活動をしている2週間ずっとそうだったのだ。
彼女はもちろん悪くないし、私だってその点は気にしていない。でも。
「うう、また見てる……」
その度に殿下からの視線を感じる。
お城に戻った時にまた何か言われるんじゃないかって気になって、ここ3日はヴィオレッタを避けてしまっている。
◇◆◇◆◇
いろいろあったものの、ascaコンクールの代表者は4名に絞られた。
貴族クラスからは私と殿下。平民クラスからはヴィオレッタと、もう一人。
「16時15分…」
呼び出された私たちは、これまた広い部屋の中心に座り、男性側のもう一人の代表者を待っていた。集合時間をもう15分ほど過ぎているが、誰も何も言わなかった。
先ほど血相を変えた従者が必死に謝りにきて、殿下の「大丈夫ですよ」の一言で講師陣まで何も言えなくなってしまったのだ。
「ご機嫌よう!」
突然大きな声が響いたかと思えば、ノックもせず男が入ってきた。黒髪に褐色の肌、赤色の瞳は珍しい。なにより、こんなに目立つ見た目なのに、いままで学園内で見たことがないことにびっくりした。出番をこの時にとっておいたのかもしれないな。
「ダルトワ公爵令嬢!」
普段名前でしか呼ばれないからピンと来なかったが、彼の目がまっすぐ私を見て、おまけに手のひらを上に向けて差し出していることからようやく気づく。
「は、はい」
返事をすると、そのまま流れるように私と殿下の座っている間にどかっと腰掛けてしまった。この距離感、本当に久しぶりでびっくりするが、遠慮のない彼の振る舞いが嬉しくもあった。
「噂には聞いていましたが、本当に可愛らしいですね!」
「は…はあ、どうも」
「失礼」
固まった私を助けたのは、向かいに座っていたヴィオレッタだった。背筋をしゃんと伸ばして、私の左隣に座った彼を見つめている。
「ご挨拶はされましたか?」
「失敬。私のことはどうぞオルハンとお呼びください」
オルハンはテーブルとソファの間に跪いて、私を見上げた。どうしたらいいものかと周りを見ると、隣で冷たい目をしているノワール殿下と目が合う。
「あははっ。困っていらっしゃるのか」
彼は笑って私の左手をすくい取り、手の甲にそのまま口づけた。
はっと周囲が息を呑む音が聞こえる。こんなのむちゃくちゃだ。だけど、こういう人こそファンタジー!
密かにテンションが上がっている私を見抜いたのか、冷たい声で殿下は「オルハン」と名前を呼ぶ。
「おやおや! 殿下! 何も話さないから随分似た置物かと思いましたよ!」
あはは、と笑いながら彼は殿下の背中をばしばし叩く。さっきの私への挨拶とは違って、みんなは特に咎めるような空気ではない。おそらく旧知の仲なんだろう。
もしくはとんでもない強心臓の持ち主か、貴族を脅かすぐらいに財を成した家なのか。
「オルハン。いい加減にしてくれ。大体こんなにそっくりな置物があるはずないだろう」
そこなんだ。
「東の職人を舐めたらいけませんよ、殿下。大体水害でおじゃんになった調度品を3日で買い集めたのは誰とお思いで?」
この人もこの人で真面目に返すなあ。おしゃべりな人だと思ったら、案の定商人らしい。調度品の話はおそらく私の部屋のものだろう。
「その節のお礼は十分したはずだ。それに、不用意にフリージアに触らないでくれ」
「と言われましても。こんなに素敵なお嬢様方がいるのに、よくそんな冷たい表情でいられますね?」
「よく人懐こい表情だと言われますが?」
ニコッと微笑む。たしかに殿下のお顔は美人だけど、いつも口角が上がっていて話しかけやすいかも。
「あはは! 内面が滲み出ておられますよ!」
痛烈な一言だったが、誰も何もツッコめない。ツッコめるわけがない。今度はヴィオレッタのほうに行くが、彼女はすくっと立ち上がって1人がけのチェアに座ってしまった。かしこい。
ということで私と殿下、その向かいにオルハンが豪快に座り、1人がけチェアにヴィオレッタといった変な構図で話は進んでいく。
投票は3日後、全生徒によって行われる。一人一票で、投票時の不正は不可。それ以外は特に規則がないらしい。
モノクルをつけた紳士がエヘンと咳をする。
「この…なんでしたかな……そうそう。ascaコンクールの男女の優勝者にはそれぞれ特典があります」
記念品に加え、この学校が有する聖の泉に行けるんだそう。
そこは年に一度、創立記念日にしか立ち入りが許されないんだけれど、今回はその聖の泉のさらに奥にある祭壇に行ける。そこは学園長が変わるタイミングでしか行けないから、一般市民は実質このascaコンクールにチャンスが限られている。
どうしてそれがいいかと言うと、とにかく運気がめちゃくちゃ上がるらしい。願いが叶うという言い伝えがあるのも、運気が上がりまくった結果かもしれない。
「ぜひ商売繁盛を願いたいものですね!」
願いがわかりやすい人が一人。
「ええ。この国のさらなる発展を願いたいものですね」
ここにも一人。
私はヴィオレッタに目線をやるが、
「!」
なんと目を逸らされてしまった。ちょっと辛い。
「それでは、結果はまた3日後に!」
◇◆◇◆◇
「なに、これ……」
「ポラト家のフライヤーでしょ」
「ポテト……!? フライ…!?」
クラスの机一つひとつに真っ赤な便箋が置かれてある。それにゴールドの羽があしらわれている。たしかに若干それっぽいけど…。
「会ったことないの? あのオルハンよ。ずっと貿易業につきっきりだったらしいけど、最近百貨店を初めて話題になってるわよ」
「へえ…」
封筒を開くと、そのお店付近の地図に、お店の館内図まで。オルハンのサインも入っているらしく、女子生徒たちはきゃあきゃあ言いながら話をしている。
「なるほどね。こうやって票を集めるのか…」
「フリージアは何をやるつもりなの?」
「え? ……特に考えてないけど」
確かに、こういう時なにをしたらいいんだろう。高校や大学時代のことを思い出してみても、今の自分にできそうなことはなかった。やっぱりオルハンみたいな広報活動をやるしかないのか。
「逆にオルハンに聞いてみようかしら?」
「…!」
サラは首を横に振って、がっしりと私の肩を掴む。だんだん彼女の私への態度が大げさになってるというか、ギャグっぽいというか……。
「ダメ! 絶対ダメよ!」
「どうして? いい人よ!」
「手が早いって有名じゃない。それに、殿下もきっと嫌な気持ちになるわよ」
「ああ…確かに」
ここ最近殿下の機嫌も悪いし、あんまり積極的に動くのは良くないのかも。
◇◆◇◆◇
放課後。私は殿下と別々に帰るべく、中庭を歩いていた。今日の朝、馬車の雰囲気に耐えられなくて「予定がある」と言っておいたのだ。
「よくできてるなあ…」
かと言って何もしないわけにはいかない。どうしたものか、とオルハンのフライヤーを眺める。一つ一つにスタンプみたいな、あの蝋のやつがされてあって、とてもかわいい。
「ダルトワ公爵令嬢」
「!?」
背後から急に腰を抱かれたものだから驚いた。手を離して落としかけた便箋を、驚かした張本人がキャッチする。
「オルハン…さん」
「オルハンでかまいませんよ! 私のことを考えていましたね?」
「すごい自信。でも、そうです」
自分で言ったくせに彼はびっくりしたような顔をして、すぐにいつも通りのにっこりと営業スマイルを浮かべた。
ずーっと頭の中で考えていたけど、彼はきっと私が作ったキャラクターじゃない。おそらく一人、殿下のライバル的な人物を作ることはメモしていたはずだから、きっとそのポジションなんだろう。男版の負けヒロイン、みたいな。
「光栄です。寂しい思いをしているなら、今すぐにでも貴女を私の馬車へお連れするのですが」
「違いますよ。フライヤーがすごくよくできてるって話で。私も何かしたほうがいいのかしらって考えていたんです」
ほら、と私は赤い封筒を見せた。
「これ、装飾もそうですけど、肝心なのは中身です。…この地図も、館内図もすべて手書きでしょう?」
それに、男子生徒と女子生徒向けにそれぞれ違ったおすすめの店紹介も。
「このコンクールがどれほどの価値か、今の私はわかりませんが…一人ひとりに対する労力が大きすぎるというか。……」
今日一日過ごしたけれど、殿下もヴィオレッタも特に何もやっていなかった。サラへ聞いたけど、去年もこんなに派手な宣伝活動をする人はいなかったらしい。
「絶対に勝たなければいけない理由があるのですか?」
「……我がポラト家の贅を尽くしただけだという可能性は?」
「もちろん考えましたよ。でも、興味があるんです」
「と言いますと?」
「こういうふうに校内のコンクールであっても手を抜かない。それが商売繁盛の秘訣だって思ってるとか」
なんにも思い浮かばなかったから冗談っぽく言ったが、オルハンは私の腰から手を離した。その代わりに手を引いて、そばにあるベンチに座らせた。
「お嬢様とならいい取引ができそうですね」
「え……なんですか。困ります」
高い壺とか買わされる?
「まあまあ」
「私はいま殿下の懐からしか物を買えないんですからね」
「あはは! 面白いことをおっしゃる」
オルハンは手を叩いて笑った。彼の動きは大袈裟だから、その度ピアスが揺れてかわいい。
「その殿下は、貴女のためならいくら使ってもいいと」
「それは引っ越す前の話でしょう」
彼は片眉を上げた。そうかな?とでも言いたげだ。変に答えたらボロが出そうな気がする。話を変えるべきだろう。
「とにかく。私はいま選挙期間にどうすべきか考えてる
んですから」
「もし優勝できたら、お嬢様はどんな願い事をするんですか?」
「私は……」
特に考えてなかった。フリージアが幸せであればいいと思っているし、もし優勝したらそう願うだろう。
だけどそれは秘めておくべき願いで。ここで答えるなら、
「この国のこと、は無しでお願いしますよ」
「困ります。そんなの意地悪だわ」
くくくっと悪戯っぽく笑う。普段のカラッとした笑い方もいいけれど、こうすると子犬みたいだな。
例えるなら殿下が猫、オルハンが犬だろうか。殿下はちょっとつり目っぽいし、オルハンはその反対だから余計にそう思えるのかもしれないな。
「お嬢様。決まりましたか?」
「…うーん、この国のことって言うのがダメなら、お友達がいっぱい欲しいかもしれないですね」
「お、………お友達?」
拍子抜けしたような顔に、今度は私があははっと声をあげて笑ってしまった。はしたない、と頭の中のエミリーが私を叱って、すぐに咳払いする。
まだ驚いた顔のままの彼に、わたしは続けて話した。
「殿下と結婚したら、きっと気のおけない友人なんか限られてくるでしょ。今もそうだけれど……私の言葉を、なんの意味も持たない、ただの言葉そのままに受け取ってくれる人が必要なの」
「色々な噂に悩まされているわけですね?」
私は曖昧に笑って誤魔化した。
「オルハンはそう思わないの?」
「私は…そうですね。友人こそ、長く付き合ってくれる顧客ですから」
へえ、と私は感嘆の声を漏らした。現実世界でも自分が商売に向いているとは思わなかった。オルハンみたいな、それを家業としている人たちに取材で会うことはあったが、そのたび「自分にはできっこない」と痛感していたし。
「素敵ね。大事にしてるんでしょう? その友人を」
「もちろん」
「…殿下のことも、大事にしてくれてるでしょう」
「それは……まあ。昔からの付き合いなので」
途端に歯切れが悪くなった。それでもわたしは大きく頷く。
一国の王子だから。普通なら真っ先に出てきそうな考えなのに、彼はそう言わなかった。
本当はそう思っていたとしても、私の前でそう言わない品性に全てが現れている気がした。この人もきっと、公の発言ができる人だ。
「お嬢様の友人は?」
「今のところ、サラ、エミリー、それにヴィオレッタ。……そして、たった今、候補が一人増えたところ」
「へえ?」
オルハンはにやりと笑った。
「オルハンは……どうかしら? お友達になってくれる?」
私は彼の目を見つめた。赤い、闘争心に満ち満ちている。オルハンははっ、と軽く笑って私に手を差し出した。
「やった!」
差し出された手を両手で握ったその瞬間、風がさああっと吹き抜けた。
デジャヴのように感じられたのは、きっとヴィオレッタの体験があるからだろう。
「…あ…」
この感じを、なんとなく覚えている。なにか、決定的なシーンのとき、私はよくこの表現を使っていたから。
でも、……今のところは知らないふりをしていよう。
パッと手を離して、風で乱れた髪の毛を手櫛で整える。
「そ、それじゃあ私。そろそろ迎えの馬車が来るから…」
「お嬢様」
途端に気まずくなって、すっと立ち上がった私の手を彼が引き止める。
「名前で呼んでも?」
「もちろんよ」
「ありがとうございます。フリージア様」
「フリージアでいいわ。ヴィオレッタは癖でそう呼んでるけど…」
自分でそうは言いつつも、これは悪手かもと思った。だけど、オルハンはやはり頭の回る人だ。
「それはいけません。あらぬ噂をされたら、フリージア様に迷惑が」
「ありがとう」
彼の提案をのんで、私は一人1番棟へ帰るのだった。
誰にこの中庭での出来事が見られているか、そんなことも考えずに。
評価、コメントをいただけますと今後の糧になります。
評価は後からでも変更可能らしいので、
とりあえずでもつけていただけるとすごく嬉しいです!
ぜひよろしくお願いいたします!