第75回 把握
自分でもわかるくらい大きな足音を立てながら、執務室へ乗り込んだ。
予想通り、酒を飲んで女と遊んでいるナーサがいた。
薬を断ってから、代わりに酒に頼るようになっているのだ。
私の登場を予期していたかのように、ナーサが口角を上げた。
「きたきた」
「ナーサ、どういうつもり」
「だから言ったじゃん。戦争しようよ。戦争戦争」
やはりこいつ、戦争を熱くしたくてたまらないんだ。
どこまでバカなんだ。曲がりなりにも皇帝だろう?
母親から譲り受けた国を、民を、なんだと思っている。
まてよ……。
「向こうの幼子が死んだのって……」
「くくく」
「キサマッッ!!」
思わず胸ぐらを掴んでしまった。
ナーサと遊んでいた女たちが逃げ去っていく。
それでも、ナーサの表情から余裕は消えない。
こいつだ。こいつが犯人の青年を利用し、向こうの幼子を殺したんだ。
どうけしかけたのかは定かではないが、この笑みがそうだと自白している。
「この国を壊す気か!!」
「そうだよ。それがクレイピアの望みだったんだよね」
「……」
「全部聞いたよ、キリアイリラ様から。クレイピアが、あのポルシウスの娘だって。どんな目的があったのか、どんな最後を迎えたのか、全部」
キリアイリラが、教えた?
全部って、じゃあ、まさか、私が殺したことも?
「ならわかるでしょ。クレイピアは私たちの敵だった。あのポルシウスの復讐のためにナーサに近づいたんだよ。シーナの子供ならーー」
「でも!! 私を理解してくれたのはクレイピアだけだった!! お前も、リューナさんも、私の苦しみなんかちっとも理解してくれない。クレイピアが、私のすべてだった!!」
私の手を振り払う。
その眼差しは、溢れる憎悪を漂わせときのシーナに似ていた。
「よくもクレイピアを殺したな。許さない。復讐してやる。アオコの大事なこの国、めちゃくちゃにしてやる!!」
「……罪もない人間を巻き込むのに」
「だからなに? 嫌いなら私を殺せば? クレイピアにやったみたいにさあ!!」
「ッ!!」
突発的にナーサの頬を叩いた。
このガキ。本当に殺してしまおうか。
無理だ。本物の殺意こそあれど、実行できない。
シーナの娘なんだ。面倒を見ると約束してしまった。
可愛かった時期も知っている。
嫌いだし、顔も見たくないけど、殺せない。
「そんなに戦争したいのか」
「うん。みーんな死んじゃえばいいよ」
「わかった」
踵を返し、執務室からでる。
一つ、気になることがある。
ナーサはキリアイリラからすべてを聞いた。
真実を知り、ナーサがどう出るが、予想できない女じゃない。
そもそも、いくらナーサの差金とは言え、留学生風情が王族の幼子に接近できるわけもない。
協力者がいる。
ナーサの憎しみを利用している人物。
戦争をして、得をする者。
十中八九、キリアイリラ。
ナーサを使って、カローを侵略する口実を得たんだ。
ルルルンさんの葬儀のために、呼んでもないのにわざわざカローに来たのは、このため。
いつ、どこでナーサに暴露したかはわからないが、そのために来たのだ。
皇帝が敗戦を願っているのなら、軍は崩壊したも同じ。
実際このままでは、進軍を抑えきれずに敗北する。
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家に帰り、荷物をまとめる。
私が出向くしかない。
国内の政治は、いまの元老院たちなら任せられる。
「はぁ……」
守らないと。
国を、民を、ライナとシーナが望んだ平和を。
リューナの部屋に入り、ベッドで本を読んでいる彼女を抱きしめる。
心はまだ回復していなくても、話せるくらいには回復していた。
「アオコ……さん?」
「ごめん、少しの間でかけてくるね」
「また、ナーサが問題を起こしたんですか?」
「……リューナは気にしないで大丈夫。必ず帰ってくるから」
唇を重ねる。
ライナのことが忘れられない。けれど、私はリューナを愛している。
この子を、これ以上不幸にはさせない。
私が笑顔にしてみせる。
昔のように。
「行ってくるね」
殺ってやる。
ナーサ、それがお前の望みなら従ってやるよ。
私が、湖の国をブチ殺す。




