5-16 小さくたって、お姫様
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。
瑳矢丸……緋凰の世話役。刀之介の三男
真瀬馬 弓炯之介 義桐……鳳珠の護衛。刀之介の長男
真瀬馬 輝薙之介 澄桐……刀之介の次男。
「瑳矢丸!」
真瀬馬の屋敷の外門をくぐって、二人が玄関に向かって歩いていた時、庭の方から声がかかった。
向こうから歩いてくるその姿を見た緋凰は、
「刀先生だ!」
嬉しくなって走り出すと、ぱっとその男の腕に飛びついた。
「刀先生! 遊びに来たよ〜……あれ?」
笠をずらして見上げた緋凰は、にこやかに笑う相手の顔に、何か違和感を受けた。
「違う違う! 緋凰、その人は父上ではない!」
追ってきた瑳矢丸が、慌てて緋凰を引き離す。
——ふむ、この子が凰姫様か。
先の言葉で、輝薙之介は目の前の子供が、弟の主だと知った。
「……ほんとだね。刀先生よりずっとお若い方だった。飛びついちゃってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて、緋凰は自分の非礼を詫びる。
その姿を見て、スッと優雅に緋凰の前で膝を折ると、輝薙之介は微笑んで笠の中の緋凰と顔を合わした。
「大丈夫ですよ。貴方様のような愛らしい方に触れていただけるなど、とても嬉しく思います」
そう言って、精悍な顔の輝薙之介がさらにニコリと笑うので、
(わああ! すんごいカッコいい人だぁ。しかも私、強そうな格好しているのに、可愛いって言われた♡)
緋凰のボルテージが一気にぐ〜んと、爆上がりした。
「初めまして、凰姫様。私は、真瀬馬輝薙之介澄桐と申しまして、刀之介の次男でございます。どうぞ、お見知りおきを」
(そっか、瑳矢丸のお兄さん。刀先生も若い時はこんな感じだったのかなぁ)
緋凰は胸をドキドキさせながら、若かりし日の刀之介を妄想すると、
「瑳矢丸にはもう一人、お兄さんがいたんだね」
横を向いてすこし興奮気味に、瑳矢丸へ声をかけた。
——まずい。輝薙兄上に興味を持ってしまったか?
どうして『まずい』と思ったのか。
自分でも不思議と内心で戸惑いながらも、さらに補足を加えた。
「輝薙兄上は普段、婿養子先で暮らしていてここにはいませんから、知らないのも無理はないですね」
(あ、お嫁さんがいるのね)
それに気がついた緋凰のボルテージが、しゅ〜んと、一気にだだ下がりをした。
スン……となった緋凰の顔を見て、瑳矢丸は不思議に思う。
——あれ? 何故か兄上に興味が無くなった?
この時代は死があまりにも身近な為、身分の高い者であるほど、一人でも多く子を残さなくてはならなかったり、政略だったり、側室を娶る事が普通なのである。
ゆえに、独り身である人なら、相手に伴侶がいる場合、側室を狙ったりもする。
そんな背景から、瑳矢丸は緋凰の輝薙之介への関心がなくなった理由が分からなかった。
輝薙之介は、緋凰の身なりをさり気なく確認する。
「本日は道場からへのお戻りの途中でございますか?」
「うん……じゃない。はい、そうです」
輝薙之介を立たせながら、緋凰は頷いた。
「凰姫様のお噂は、かねてより伺っております」
(どんな噂が⁉︎ いやな予感がするぅ〜)
なんとも言えない顔をした緋凰の脇に、冷や汗がにじむ。
「武術にとても優れていらっしゃると」
(やっぱりそこ……。私、もうお嫁にいけないんじゃない〜)
「私も武術はとても好きなのです。あの、もしよろしければ今からひとつ、稽古をつけていただけないでしょうか?」
(ぎゃああ! 終わった……)
チーンと自失している緋凰の横から、瑳矢丸が慌てて口を挟む。
「兄上! 凰姫様は武術など——」
好きでやってはいない、と言いかけた所で、
(真瀬馬の人達には、とんでもなくお世話になってるから、これくらい、何でもないよね)
気を取り直した緋凰が瑳矢丸を制して、輝薙之介へ向き合った。
「大丈夫、ありがとう瑳矢丸。……私でよろしければ是非、お相手を務めさせて下さい」
笠を上げて微笑みながら承諾した緋凰を見て、純粋に喜んだ輝薙之介は、
「ありがとうございます。では、こちらへ——」
笑顔で庭の方へ案内を始める。
二人の後ろを、瑳矢丸は不安な顔でついてゆくのであった。
ーー ーー
「姫様には少し幅が広うございますね。どうぞお手を——」
飛び石が埋め込まれている場所で、輝薙之介は緋凰へそっと手を差し出す。
「ありがとうございます」
にこりと笑って礼を述べると、臆することもなく緋凰はその手に自身の手のひらを軽く重ねて、品よく歩いていく。
——ちゃんと姫君らしく振る舞えているな。
礼儀作法の師として、瑳矢丸はおおいに満足した。
程なくして開けた空間に出る。
そこには、カカシのような物が立っていたり、小さな武器庫があったり……。
(あ、きっと訓練所だね。岩踏先生のお屋敷にもこんな所があったもの)
緋凰が辺りを見回していたら、瑳矢丸が武器庫から木刀を取って走ってきた。
「ほんとにいいのか?」
「もちろん。真瀬馬の人だから特別だよ♡」
そう笑って、緋凰は腰の刀を瑳矢丸に預けると、木刀を受け取った。
向こうで輝薙之介も木刀を片手に対峙する。
瑳矢丸が屋敷の縁側の方へ下がっていった。
「それでは、お願い致します」
「はい、お願いします!」
輝薙之介と緋凰が互いに礼をとる。
そして——。
木刀を前にスッと出し、片足を後ろに下げつつ腰を落として、輝薙之介は構える。
顔の真横に木刀を握り、片足を前に伸ばして腰をグッと落とし、緋凰は構えた。
ところが。
(あ、——今日は晴れているけど、真瀬馬のお屋敷内ならいいよね)
「すみません、ちょっと待ってください」
そう言って緋凰は木刀を地に置くと、急いで笠を頭から取りはらった。
「⁉︎」
輝薙之介は一瞬、息が止まった——。
笠からこぼれ出た、その結い上げられている髪と、愛らしい顔についている両の瞳が、陽の光を浴びて美しい瑠璃色に輝いている。
「こ、こら! 凰姫! 晴れているのに、笠をとっては駄目だ‼︎」
瑳矢丸が慌てて叫ぶので、
「え? 真瀬馬のお屋敷でも駄目なの?」
と、緋凰は目をぱちくりさせた。
瑳矢丸が輝薙之介を見てみると、やはり大きく目を見開き、口もわずかに開けて驚いている。
その姿に一抹の不安がよぎった。
「あの! 笠かぶった方がいいですか?」
どうしようか迷った緋凰は、とりあえず輝薙之介に聞いてみた。
その声にハッと我に返ると、
「あ……、私は、そのままでも……」
動揺しながらも、輝薙之介は何とか言葉を絞り出す。
——そうだった。あの瑠璃色、神社の祭礼で見た事はあったが、こんなに間近で見るのは初めてだ。……なんと美しい。
ついじっと瑠璃色を眺めてしまったが、緋凰がもう一度木刀を構えたので、輝薙之介も慌てて気を引き締める。
「では、参ります!」
言うなり緋凰は駆け出すと、間合いへ瞬時に入り、木刀を後ろ手に回して下段から振り上げた。
——早い!
輝薙之介は咄嗟に片足を引きながら、手のひらを返すようにして、木刀で攻撃を受け止める。
緋凰はさらに重ねられた刀身を、相手の刀身に沿わせるように半回転させて返すと、そのまま突きを入れた。
ハッとした輝薙之介は、片手を木刀から離し、咄嗟に避けた反動で後ろ手に一回転をすると、もう片方の手で木刀を上段から振り下ろす。
片足を引いて、身をおもいきり屈めながらその攻撃をよけた緋凰は、斜め下に向いていた木刀を再度振り上げた。
——これは! 素晴らしい、予想以上だ!
攻撃をぎりぎりかわした輝薙之介は、舌を巻く。
縁側のあたりからその様子を見ている瑳矢丸は、
——すごい……。緋凰の試合は何度見ても面白い。俺も後で相手を頼もうかな? 『今日はもうやだ』とか言われるだろうが。
自分も打ち合いたくなってうずうずしていた。
やがて、長く打ち合った末に——。
「あ! ……参りました」
緋凰が一本取られて、ようやく勝負がついた。
スッと木刀を引いた輝薙之介が、屈託のない笑顔を見せる。
「さすがです! 実にお見事、とても学ばせて頂きました。ありがとうございます」
「こちらこそ、勉強させて頂きました! ありがとうございました!」
双方に肩で息をしながら、最後に頭を下げた。
「すごい、すごい! とっても綺麗‼︎」
不意にきた歓声に、緋凰達が振り向くと——。
館の縁側で、花桜がすごい勢いで手を振っている。
その横には、刀之介の末息子である幼い剣竟丸が、すげぇ〜っ、とぴょんぴょん飛び跳ねており、妻の奈由桜も、瑠璃色の緋凰を見て、少し涙ぐみながら微笑んで立っていた。
「お〜い!」
嬉しくなった緋凰は、手を振りかえして三人の元へ走っていく。
「花桜ちゃん、あそぼ〜。奈由桜おばさんこんにちは! 剣竟丸くんも元気?」
縁側まできて見上げた緋凰に、花桜はしゃがむと大興奮で瑠璃を眺めている。
「凰姫様の瑠璃色ってすっごい綺麗〜♡ あ〜、うらやましい〜」
「ありがとう! でも自分じゃ全然見えないんだよね〜、これ」
「あ、そっか。それは残念だね。すごい、すご〜い、綺麗なんだよ! ねぇねぇ、触ってもいい?」
「どうぞ〜」
そっと花桜が瑠璃色の頭を撫でた時、隣にいる剣竟丸がにゅっと手を伸ばすと、ぎゅーーっとポニーテールの毛先を引っ張ってしまった。
「ぎゃーーーー‼︎」
と、緋凰が悲鳴をあげ、
「これ! やめなさい‼︎」
と、奈由桜が驚いて叱り飛ばしたので、
「わぁ〜」
と言って、剣竟丸はぴゅーーん、と逃げていった。
その後、緋凰と花桜はヒソヒソと何やら笑い合うと、同い年の二人は手を繋いで、パタパタと部屋へ走っていく。
奈由桜はゆっくりと、茶菓子の確認に台所へ向かったのだった。
待っている間にどこで羽根を伸ばそうか、と瑳矢丸も縁側へ上がろうとした時。
「おい、待て」
輝薙之介に呼び止められて、瑳矢丸はその場に留まった。
「何ですか?」
振り向いた瑳矢丸の真横にきた輝薙之介は、その顔をじっと見ると、
「お前、まだ凰姫様を落とせていないであろう」
と何やら確認をする。
「まあ、そうですけど……」
口を尖らせる瑳矢丸に、輝薙之介はよし、と言った顔で満足すると……。
「では、その殿の命、俺に代われ」
「は?」
目が点になった瑳矢丸は、一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「あの……どう言う事で——」
「好みだ」
「はあ⁈」
驚く瑳矢丸をよそに、片手を腰に当てて、輝薙之介は意味ありげに笑う。
「あの方は良い。無邪気ではあるが、生まれながらの凛とした品がある。かと言ってそれを鼻にかける事もなく親しみやすいお人柄で、気配りもできる。それでいてあの強さ! 素晴らしい」
「まあ、強いのは認めるけど、凰姫が『気配り』だなんて……」
しょっちゅう口喧嘩をする事もあって、瑳矢丸はその言葉が信じられない。
輝薙之介はやれやれといった感じで息をつく。
「お前は人を見る目がないな。……先程の一戦、凰姫様は本気を出されていない」
「え⁉︎」
「初めての手合いな上に、お前(弟)が見ていたから、俺の面目を立てたのだろうな」
「そんな! 考え過ぎですよ。輝薙兄上だって、とても強いではありませんか」
言いながらも、瑳矢丸の背筋に冷たいものが伝う。
「さあな。……だが、凰姫様の容姿もまた、愛らしくて俺の好みだ。瑠璃がまた……美しかったな」
先程の『瑠璃姫』の緋凰を思い出して、輝薙之介はわずかに微笑む。
——クッ、こんな短い間によくここまで人を見通せるものだ。何と言うスケこまし——いや、洞察力!
その様子を見て、瑳矢丸の心に緊張が走った。
「もう! 変な冗談はやめて下さい! 遊びたいならもっと他に——」
「遊びではない」
「へ?」
「本気で娶りにいく」
真面目な顔で言い放つ輝薙之介の言葉に、瑳矢丸は息が出来ぬほど狼狽した。
「はぁぁぁぁぁぁ⁉︎ 正気ですか⁈ 相手はまだ八歳の子供ですよ⁈」
「今子供でも、四、五年もすればいい女になる。なんならその間に、完全に俺好みの大人に育てるのもいいな」
そうニヤリと笑ったので、瑳矢丸はカッとなった。
「ふざけるな! 人を何だと思っている‼︎ そもそも、私たちの身分では凰姫様を娶る事などできません!」
気色ばんで喚いてくるのを、輝薙之介は冷静に言葉を返す。
「お前の身分ではだろう。だが俺は違う。分家とはいえ、継ぐ家があるのでな。上手くやれば御神野の姫であっても娶る事はできる」
「……無理だ。凰姫は国一番の姫君。殿がお許しになるものか!」
スッと肝が冷えてくるが、精一杯、輝薙之介を睨みつけて、瑳矢丸が否定をしている所へ——。
「ふざけすぎだ。輝薙之介」
低く押し出された声が聞こえてくる。
その声に瑳矢丸は驚いて、輝薙之介は何の気なしに振り向くと。
そこには、静かに怒りをたたえている長兄の弓炯之介が立っていた。
実は、緋凰と輝薙之介が打ち合っている時から、庭先にいたのである。
「ふざけてなどいないが?」
ニッと笑って挑発するかのように言ってくる輝薙之介に、弓炯之介の目がスッと細くなる。
「ふん、この阿呆が。お前ごときでは凰姫様に全くもって相応しくない」
「ほぉ。姫様から飽きられてひがんでいるのか? クソだな」
罵り合いながら、二人はじりじりと互いに近寄ってゆく。
「もともと姫様は私に興味など持っておらぬわ。さっさと帰って、嫁の尻に敷かれてろ、このボケが」
「あぁ? どっちがだよ。ってか、てめぇみたいにつまらない男では、義姉上にだって飽きられてんじゃねぇの? カスだな」
二人は目の前に立つと、弓炯之介は腕を組み、輝薙之介は両手を腰に当てて、やばいくらい顔を近づけて睨み合いを始めた。
瑳矢丸がサッと青ざめてオロオロし始める。
——ひいい! やばい! この二人が喧嘩を始めたら、俺では手に負えない!
昔から年が近いせいか、この二人の喧嘩は常に激しい。
元は、大人しい性格の弓炯之介なので、他人とも喧嘩自体、あまりしないのだが、輝薙之介は反対に血の気が多い。
ゆえに、ほとんどの喧嘩の原因は輝薙之介にあり、だいたいが取っ組み合いにまで発展する。
そして最後には、刀之介あたりが『両成敗』の名の下に、二人を蹴散らして終わるのだった。
「馬鹿め。いかに凰姫様であろうと、俺の手にかかれば容易く落ちる」
……なぜだろう、と後に瑳矢丸は不思議に思った。
自分の主が馬鹿にされたように感じたからか。
それとも——。
その輝薙之介の言葉に、瑳矢丸は逆上すると、兄達の間にバッと入り込む。
そして、輝薙之介の胸ぐらを思い切り掴むと、
「お前なんかに! 凰姫はやれない‼︎」
と叫んだのだ。
場が一瞬にしてし〜ん……と静まる。
……ハッとなった瑳矢丸は、急に我にかえると、
——え⁈ 俺、何してんの⁉︎
慌てて手を離して自分の行動に呆然とする。
「……父親か? お前は」
輝薙之介も不意にきた思わぬ迫力に、しばし呆気に取られていた。
すると——。
クスクスと弓炯之介が笑い出す。
「——まあ、良い。輝薙之介の好きにしろ。どうせ『今』のお前では凰姫様を振り向かせる事などできぬからな」
自信ありげな態度に違和感を覚えながらも、輝薙之介は襟を正すと、
「そうか、では好きにさせてもらう。後で吠え面かくなよ」
そう言い残して去っていったのであった。
不安な顔をして見送っている瑳矢丸に、弓炯之介は頭をぽんぽんと撫でた。
「本当に凰姫は、輝薙兄上に惚れてしまわないでしょうか?」
瑳矢丸は眉を下げたまま、弓炯之介を見上げる。
「ああ、心配ない」
「どうしてですか?」
その問いに、弓炯之介はふふっと笑う。
「お小さくはあっても、凰姫様は気高き御神野一族の姫君であられる。……それに、もう私に興味がないであろう」
「え? ……はい……」
「だから、大丈夫なのだ」
「?」
そう言い残して行ってしまった弓炯之介の背中を、瑳矢丸はずっと解せぬ顔で見送ったのであった。
その後。
こんなにも精悍な容姿で、モッテモテの色男である輝薙之介が、どんなに甘い言葉を使っても、どれほどに優しい態度を示しても、
[この人はもう『他人(嫁)の者』]
と認識している緋凰の心が、輝薙之介に向く事はなかったのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




