5-12 父のフリ見て我が身を見直す
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。八歳
真瀬馬 包之介 元桐……隠居した二の丸御殿の料理人。元重臣。
瑳矢丸……緋凰の世話役。包之介の孫。
うつらうつら……。
包之介は二の丸御殿の自室にて褥の中、夜の眠りに誘われようとしていたが……。
部屋の灯りがなかなか落ちないので、寝転んだまま首を横に向ける。
目線の先では、座っている瑳矢丸の背中が浮かび上がっていた。
文机に兵書を広げたまま、瑳矢丸は頬杖をついてぼんやりと考えている。
身体の横には、『孫子』『呉子』『闘戦経』などなど、これまたいくつかの兵書が積まれていた。
——誰かが言っていた『恋の駆け引き』ってやつも、戦の調略に当てはめられるのだろうか? ……分からない。
軽く書物に目を落として、小さくため息をつく。
——考えてみれば、銀河さんを好きにはなったけど、嫁にできるわけがないと諦めていたから、振り向かせようといった努力なんてしなかったな。
一緒に仕事をしたり、何気ない言葉を交わしたり……。
ただただ、それだけで嬉しくて満足していたのだった。
あ〜っと嘆きながら、卓上の書物を『孫子』に切り替えて、幾つかの項目を復習してみる。
——己を知らざれば……。
『雰囲気はごりごりに父上の方だが……』
急に輝薙之介の言葉が頭に響いた。
——俺って……父上(刀之介)に性格が似ているのだろうか?
瑳矢丸は、父の刀之介を思い出してみる。
規則正しく生活をし、仕事でも何でも真面目に取り組む人。
自身にも他人にも、とにかく厳しい。
子育てに関しても、子供が不作法をすれば叱咤をぶん投げ、くだらぬ兄弟喧嘩をしようものなら、両成敗で張り手や拳が飛んでくる。
またその拳も、『これぐらい避けろ』と訓練を兼ねてくるので、首がもげるんじゃないかと思うほどの勢いでくるという、無茶苦茶なものであったりする……。
ただ娘には、叱りはしても手はあげない。
「…………」
瑳矢丸は小さく首を振る。
——いやいや。俺はあんな、鬼のごとく厳しくないし……。凶暴でもないから。
今までの緋凰とのやりとりを思い出して鑑みてみる。
『もう! 瑳矢丸ってば、何で毎日そんなにおこるのさっ!』
『貴方が怒られるような事をするからでしょう。ちゃんとして下さいよ!』
『ふ〜んだ! 礼儀作法の鬼ぃ! 豆でも投げるよ、べ〜っだ!』
『はたきますよ』
『そ〜んな攻撃、当たらないもんね〜』
ヒュッ。(試しに瑳矢丸が軽く腕を振る)
スカッ。(緋凰がよける)
『へへ〜んだ。べんべろべ〜』
『…………(イラッ)』
ドタドタドタドタドタドタ——。
[緋凰が逃げて瑳矢丸が追い回す音]
「…………」
——やっている! 俺、やっているよ! 父上と同じ事ぉ‼︎ 全く一緒だし!
気が付かなかった己の中にある刀之介の性質を認識して、ガシガシと頭を掻く。
——ああ、マズい。輝薙兄上も言っていたけど、父上は色恋が苦手な人だ。
若い時、自身を巡って人が醜く争うのを目の当たりにして、人嫌いになった時期もあったという。
『あの歳であれ程の美貌があるのにも関わらず、いまだに一人として側室を持たない人だぞ。お前も性格が似ているから色仕掛けなど、できやしまい』
輝薙之介の言葉が、時間差でグサっと心臓に衝撃を与える。
——あ〜もう……どうしたらいいんだ。なんか……めんどくさくなってきた。
いっそ投げだしてしまおうか、とも思うが、
『お前は敵として緋凰と対峙できるのか?』
煌珠のその一言が、瑳矢丸の心を繋ぎ止める。
——駄目だ……。今やめたら、確実に凰姫は『若虎』に連れて行かれる。だって、あんなに喜んでいたのだし……。
瑳矢丸は今日の昼の出来事を思い出す。
ーー ーー
「失礼致します、凰姫様。西国からのお届け物になります」
「え? じゃあ若虎だね。ありがとう!」
部屋の入り口で小さな包みを受け取るや否や、緋凰はウキウキワクワクしながらそれを広げた。
中からは、愛らしい淡い桃色の飾り紐と文がでてくる。
「わあ! 可愛い‼︎ こういうのすごい好き♡」
緋凰は満面の笑顔になって、同封していた文を読んでみると——。
(え! うそ⁈ 若虎が——)
次第にドキンドキンと、緋凰の胸が大きく高鳴ってくる。
そして、
「わぁーーーーーー‼︎」
思わず叫んでしまった。
部屋の中で様子を見ていた瑳矢丸がビクッとする。
あわあわと狼狽てから、緋凰はズザッと瑳矢丸の前にくると、
「ど、どうしよう‼︎ 若虎がこの国に来るって! あわわ‼︎」
フンフン鼻息荒く、大興奮で報告している。
「ふ〜ん。いつ来られるので?」
緋凰とは反対に、瑳矢丸は真顔で冷静に問いかけた。
もう一度、文に目を落とすと、
「えっとね、『如月の望月の頃』……来月だね。あはは。この文面、西行法師みたい」
頬をほのかに赤くして、緋凰は目をきらきらさせながら確認した。
「え? 西行? じゃあそいつ、死ぬんですか?」
「はあ⁈ いきなり、何を言い出すの⁈」
瑳矢丸の発言に緋凰が目をむく。
「では、その西行法師の歌を全文、詠んでみて下さい」
「え? ……分かんない。忘れちゃった」
むぅ〜っと考え込む緋凰へ、瑳矢丸は淡々と正解を詠む。
「『願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃』ですよ」
[願わくば二月十五日ごろ(旧暦、釈迦の命日)、満開の桜の下で春、死にたいなぁ]
「…………」
一瞬、緋凰は目が点になるが、
「なんでそんな事いうの⁈ 瑳矢丸の意地悪ぅ‼︎」
「えぇ⁉︎」
盛大に瑳矢丸へブチ切れたのであった。
ーー ーー
——別に、本当の事を言っただけなのに怒られたし。
瑳矢丸は思い出しムカつきをするが、すぐにふぅ〜っとため息をつく。
もう一度、机に頬杖をつくと、左手の人差し指をトントン小さく、広げられている兵書に打ちつけながら思案してみる。
その時、妙な疑問が浮かんできた。
——そう言えば。俺は何で今度の密命がこんなに嫌なんだ?
『好かれろ』と言われているのであって、『嫌われろ』ではない。
——凰姫の事、俺は別に嫌いではない。根は優しいから好感も持っているし、自分の主で良かったとも思う……。
くだらない喧嘩をしてしまう事もあるが、平時、緋凰は瑳矢丸にさり気なく気を配る。
また、基本的に主従の関係ではあるのに、緋凰は自身を上に見せない。
まだ幼いので身分の何たるかを分かっていないのかもしれない。
それでも、『友達』としてだろうが、瑳矢丸を大切にしているのであろう事を、随所で感じたりする。
それもまた嫌ではなかったし、むしろ嬉しくもあった。
なのに……。
——凰姫になら、別段、好かれてもいいはずだ。なのになんで、こんなにも気持ちがモヤモヤするんだろう。やりたくないと思うのか……。
人差し指をピタリと止めて、グッと深く考えてみるが、
——分からない。
眉根を寄せたまま目をつぶる。
その時。
ふと、真横に人の気配を感じて、瑳矢丸は目を開ける。
すると、いつの間にか包之介が隣に来ていて、積まれた兵書の中から一つを引き抜くと、卓上に乗せた。
「それを読むなら、これも一緒に。古いものではあるから、考え方が今とは違う所もあるだろうが、その書と表裏になっているものだ」
事情を知らない包之介が、真面目に兵書のアドバイスをする。
瑳矢丸は、一旦、密命の事を考えるのをやめようと思い、包之介に話を合わせた。
「そうなのですね。他には何かありませんか?」
問われた包之介が、積まれた兵書を簡単に確認して、スッスッと幾つか引き抜いた。
「そうだな……。この辺りは読むのもいいが、私の経験上、あまり役には立たなかったように思う」
「実戦……」
瑳矢丸の好奇心が疼いた。
「お祖父様。またお祖父様が出陣された戦の話をいろいろ聞かせて下さいませんか?」
「ん? そうか、構わない」
可愛い孫の頼みに、包之介はその琥珀色の瞳の目尻を下げると、立ち上がって褥に向かい、ゆっくり横になった。
「今宵の伽話は、古傷が痛みそうだな。さあ、灯りを落としてこちらへ来なさい」
冗談を言って微笑むと、包之介は隣の褥をポンポン叩いて促した。
それを見た瑳矢丸は、急いで書物を片付けると、灯りを消して、包之介の隣に滑り込んだのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
不定期更新で申し訳なく思います。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




