5-10 学んだ事は、応用しよう
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○この回の主な登場人物○
瑳矢丸……緋凰の世話役。刀之介の三男
真瀬馬 輝薙之介 澄桐……刀之介の次男。瑳矢丸の兄。
鷹千代……主人公の従兄。
平助……鷹千代の小姓。
「鷹千代様のお気に召しておられる方は、どのように素敵な方なのでしょう」
二の丸御殿へ立ち寄るから、と弓炯之介がその場を辞したので、向かいにすわっている三人の少年達を見て、輝薙之介はゆったりと座り、穏やかな顔で問いかけた。
「え〜っとぉ、その人はねぇ〜。目がぱっちりしていてとっても愛らしくて、優しい雰囲気でね! お琴が上手で、あ、声もかわいいから歌声も良くてね、それから——」
長々と続く鷹千代の褒め言葉に、瑳矢丸と平助はぼう然と聞いている。
やんわりと鷹千代を制しながら、輝薙之介は再度問いかけた。
「本当に素敵な方なのですね。その方の困った所(短所)はどういったものでしょうか?」
「ないよ」
鷹千代が平然と言うので、
「えぇ⁈」
と、瑳矢丸と平助が驚いた。
「芙蓉ちゃんに悪い所なんてあるわけないでしょ」
キラキラとした瞳で断言する鷹千代に、その場の全員が『盲目』という言葉を思い出す。
「では、次に平助殿の意中の方はどのような?」
気を取り直して、輝薙之介が問いかけたが、
「あ、私にはまだそういった人がいないので、いつかの為に聞いておこうかと……」
不特定多数にでもモテたい、と言う理由は隠しておいて、平助は頭を掻きながらへへっと笑う。
「そうですか。では、瑳矢丸。お前が気になる方の良いところは?」
輝薙之介の言葉に、鷹千代と平助が意外な顔で目を向けた。
「瑳矢丸って好きな人がいるの? え〜、だれだれ?」
「い、いえ。好きというか、気にしているというか……。まだ、人に言うほどではないので……」
事情が言えないので、瑳矢丸はボソボソとはぐらかしながら、問いかけを考えてみる。
「えっと……。一応、優しい——かな?」
「一応か……他には?」
「う〜んと……」
瑳矢丸は懸命に緋凰の事を思い出してみるが、ふざけていたり、ダラダラしている様子ばかりが頭に浮かんでくる。
人というのは、共に生活をする近しい人ほど、その人の長所を意識しにくいものであるようだ。
「では、その人の困った所はあるのか?」
輝薙之介が少し呆れて聞いてみると。
「そうですね……。ほんと、だらしないんですよ。朝も全然起きないし、お膳を召し上がる時もお喋りにすぐ夢中になって……。物を片付けないから散らかすし、ダラダラしてばかり——」
延々と続く瑳矢丸の愚痴に、隣の鷹千代と平助は、
——それって、ほんとに好きなの?
と、あっけに取られていた。
軽く手を上げて瑳矢丸の言葉を制すると、輝薙之介は質問を変えた。
「今度は鷹千代様と瑳矢丸、自身の人より優れている所を言ってみて下さい」
二人は顔を見合わすと、う〜んと唸った。
「僕……何かいい所あったかな? 武術は緋凰みたいに強くないし、勉強だって祥兄上(延珠)ぐらいなんて出来ないし……」
「私も別に……そんなに取り柄があっただろうか……」
鷹千代と瑳矢丸は、問われて急に自分に自信が無くなってきてしまった。
「そんな事ないでしょ? お二人にはいい所がいっぱいありますって」
平助が応援しても、二人は眉根を寄せて首を捻るばかりだ。
輝薙之介はふぅっとため息をつく。
「駄目です。鷹千代様も瑳矢丸もそれでは上手くいきません」
「ええ⁈ どうして? 僕、こんなに芙蓉ちゃんが好きなのに」
鷹千代が納得いかない顔をする。
「そうですね……。鷹千代様と瑳矢丸に分かりやすい例えを使うならば、恋も戦と似たようなものです」
「全然、ちがうんじゃない⁉︎」
澄ました顔で言う輝薙之介に、三人は口をあんぐり開けてしまう。
「どちらも人の心を動かす、という点で通ずるものがあります。瑳矢丸、『孫子・謀攻』の結文は?」
急な学問での質問に、え? となった瑳矢丸は、サッと背を正してそらんじる。
「彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」
[敵の実情を知り、己の実情を知っていれば、百回戦っても敗れることがない。敵を知らず自分ことのみを知っている状態なら、その時次第で勝ったり負けたりする。敵を知らずに自分のことも知らなければ、戦う度に必ず敗れる危険がある](『孫子』現代語訳より)
さすがだな〜と、平助は感心する。
「その言葉通りだろう。好かれたい相手の事をよく知らないで、自分の良い所すら分からないで、どう自分に相手の心を惹きつけられるのだ? 戦場で策もなしに敵陣に突っ込むつもりか? 愚かな」
瑳矢丸はハッとした。
そして、輝薙之介は鷹千代にも質問をする。
「鷹千代様。世碩(中国、春秋戦国時代の人)の思想は学びましたか?」
「……『性有善有悪説』(人は善悪の両方を持っているよといった思想)の事?」
「左様でございます。そのお相手の方とて同じ『人』なのですから、良い所だけではなく困った所もあるはずです」
鷹千代は首を傾げる。
「芙蓉ちゃんは、『同じ』じゃないよ」
「? どういう事でしょうか?」
「だってあんなに可愛いんだもん。僕達とは違うよ……きっとお花とか食べて生きているんじゃない?」
その言葉に呆れた平助が、
「何言っているんですか? 仙人みたいに霞を食べてるとでも? じゃあ、お花のウ○コでも出すんですかねぇ」
からかい口調で横から口を挟む。
「もう! それこそ何言っているの⁈ 芙蓉ちゃんは厠になんか行かないでしょ」
「え? ならどこで用を足すんです?」
「あんな可愛い子がそんなモノ出すわけないし! 厠になんて何しに行くのさ」
「……本気ですか?」
ごくり、と平助が息をのむ。
瑳矢丸は、初めて出会ったあたりの頃の銀河に、同じ事を考えていたことがあったので、何とも言えない顔をする。
「しっかりして下さいよ! 蓉姫様のお父上であられる夏芽大学之助様なんて、しょっちゅう『お腹こわした〜』って言って、厠でぶりぶりしてるじゃないですか!」
たくさん頭を使うお仕事の影響か、夏芽は割と胃腸の弱い男である。
焦る平助に、
「ぎゃあ! やめろよぉ‼︎」
ぷりぷり怒る鷹千代を冷静に見ながら、輝薙之介は考える。
「鷹千代様はまず、お相手の方を落ち着いてよくご覧になる所から始めるのがよろしいかと」
「え? 僕はこんなにも芙蓉ちゃんが好きじゃ、駄目なのですか?」
不思議な顔をして問いかける鷹千代に、輝薙之介は小さく首を横に振る。
「『好き』というよりは、鷹千代様の中で作られているお相手の方への理想が、強すぎるようにお見受け致します。今のままだと、お相手の目を見て、ろくにお話しも出来ておられないのでは? それだと一生、何も出来ずに終わります」
ギクッとなって鷹千代は固まってしまう。
「私の周りで、その様に理想が高いままお付き合いを始めたら、お相手の困った所にどんどん幻滅してしまい、長続きしなかった者など結構おりますね」
輝薙之介の話に、グサッと心臓に何かが刺さる思いで鷹千代が驚愕する。
「戦においても、敵の優れた所ばかり見えていては兵の士気も下がりますし、弱点を見つける事ができなければ、そもそも出陣すら敵いませんよ」
グサグサッと何かに追い討ちをかけられた鷹千代は、
「……あぁ〜どうすればいいのぉ?」
チーンと撃沈して机台に突っ伏してしまう。
その横では、瑳矢丸も考えこみすぎて目が虚ろになっていた。
「……難儀な事だな」
そうつぶやいた輝薙之介は、気晴らしに目線を外すと、白く美しく咲き誇る梅の花をそっと愛でている。
「輝薙兄上! 何か、相手に自分を印象付けられる行動などありませんか?」
どうにも考えがまとまらなかったのか、瑳矢丸が立ち上がって勇んでくる。
「ん? そうだな……身だしなみを考えてみてはどうだ?」
顔を戻して輝薙之介は提案するが、
「身だしなみには、いつも気をつけていますよ」
礼儀作法の師として、身なりには常に気を配っているので、瑳矢丸はムッとして抗議をする。
「そうではない。変化をつけるという意味だ。例えば……髪型を少し変えてみる」
輝薙之介は立ち上がると、瑳矢丸の前まで進み、真ん中で分かれていた前髪の分け目を変えてみた。
「お〜! なんか大人っぽくなったよ、瑳矢丸。じゃあ僕は……全上げ!」
「ブハッ! なんか可愛くなりましたよ、鷹千代様」
「え? カッコよくじゃないの?」
わいわい騒いでいる鷹千代と平助にため息をついて、瑳矢丸は困り顔で輝薙之介を見上げる。
「髪型なんて変えても、あの人は気付きませんよ……。兄上は最後、ここぞという時に何か行動……みたいなのはしませんか?」
あまりぐずぐずもしていられないので、瑳矢丸は手っ取り早い方法を聞きたかった。
「うむ、いろいろあるが……子供じゃ無理だな」
「何してんの⁉︎」
知りたいが聞きたくないような……妙な心境が瑳矢丸を襲う。
「え〜? 気になるなぁ。一つくらい教えてくださいませんか?」
——あぁ、聞いてしまうんですか? 鷹千代様……。
「そうですね。ではお相手が自分に気があると確信した時に……」
——教えるんかい⁉︎
身分の高い若君である鷹千代に、変な事を教えないだろうか、瑳矢丸はヒヤヒヤし始めた。
「まずはお相手を壁や柱の前にさりげなく立たせて……」
「うんうん」
お相手役の鷹千代が、東屋の太い柱の前に立つ。
「自身の手のひらを、お相手のお顔の真横にくるように柱へ置いて下さい」
向かいあった輝薙之介の腕が頬に触れそうになって、鷹千代はわずかにドキッとする。
「こうして、自身の肘も柱に置くようにして近くへ——」
ぐっと輝薙之介の精悍な顔が目の前に迫り、その身体を纏っている芳香が鼻をくすぐって、鷹千代は胸がドッキンドッキンしてきた。
「そして、空いた手でお相手の顎を——」
「やめろってえーー‼︎」
あまりの危機感に、瑳矢丸は思わず輝薙之介の身体の横を蹴り飛ばしてしまった。
パッと鷹千代から離れて、倒れそうになるのをかろうじて踏ん張ると、輝薙之介はブチ切れてくる。
「ってぇな! 何をするんだ、おい⁉︎」
「いや、こっちのセリフだ‼︎ 何してんだよ‼︎ 変質者か⁈」
ぎゃーぎゃー言い合っている二人の横では、
「うわぁ〜。これは、ドキドキしたぁ〜」
鷹千代が両手で顔をおおっていて、
「何だこれ〜」
ずっと様子を見ていた平助が、腹を抱えてゲラゲラ笑っていたのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




