5-6 一言金鉄の如し
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。八歳
御神野 祥ノ進 延珠 (幼名 亀千代)……緋凰の従兄。天珠の次男
鷹千代……緋凰の従兄。天珠の三男。
丁寧に結い上げられた髪。
その少年の頭上に、そっと烏帽子が掲げられた。
立ち会いの席に座っている者達までもが、とても緊張している。
それでも、緋凰はこの儀式を見るのが好きだと思った。
兄の鳳珠の時も、従兄の玄珠の時も、みんなこの瞬間から、息をのむほど精悍になるからだ。
スッと厳かに、烏帽子の紐が結い終わる。
(わあ! カッコいい! 何だか亀兄じゃないみたい!)
やっぱり緋凰は、ここでも胸がドキドキと高鳴る。
「——これにより、御神野として名を祥ノ進、真名を『延珠』とする」
ここに今、十二歳の若者が一人、成人したのであった。
ーー ーー
緋凰が延珠(亀千代)の元服の儀に立ち会ってから数日後。
「祥兄上、ここの書物はどうする?」
「ん? ああ、もう要らないな。お前が読まないなら城の書庫にでもぶち込んでおく」
チラリと横目で確認しながら、延珠は荷造りの方を再開する。
どうしようかな〜と、延珠の部屋の片付けを手伝いながら、鷹千代は書物を吟味していると……。
バタバタバタバタ——
向こうから走ってくる足音に、
——凰姫だな。
と、二人はすぐに予想する。
間も無く、廊下でズザーーッと足にブレーキをかけて、案の定、緋凰が部屋に乗り込んできた。
「亀兄! 都に行っちゃうってほんとなの⁉︎」
ゼーゼー肩で息をしながら、驚きいっぱいの顔をして尋ねてくる緋凰とは反対に、冷静な顔で延珠は答える。
「名前が違うぞ。……見ての通りだ。今、出立の準備をしている」
「えぇ⁉︎ いつまでいくの?」
「さあ、分からない。たぶん、ここにはもう戻らないかも」
「そんなぁ‼︎ やだやだ! 姉上だけじゃなく、亀——祥兄様までどっかいっちゃうなんて! 寂しすぎる‼︎」
高速で地団駄を踏みまくって怒ってくる緋凰を、延珠は手を止めてじっと眺めてから、静かに問いかけた。
「ならば……お前も一緒に来るか?」
ハッとなった鷹千代が眼を見開くと、顔を上げてこちらを見る。
緋凰は虚をつかれて目をぱちくりさせた。
「私も……都へ?」
「そうだ」
冗談かな? と緋凰は思ったが、延珠の眼差しはいつになく真剣であった。
なので、緋凰もわずかに下を向いて、真面目に考えてみる。
「う〜ん……都かぁ。行ってはみたいなぁ」
「…………」
延珠は静かに緋凰を見ている。
近くの鷹千代は妙にドキドキして成り行きを見守っている。
部屋はし〜……んと静まり返ってしまった。
やがて緋凰は顔を上げると、
「あ、だめだ。兄上と離れちゃう。行けないや」
残念そうに笑った。
「…………あっそ」
そっけなく返して、延珠は荷造りをまたもや再開した。
「もう、邪魔だから向こう行ってろ」
延珠の声が、少しだけ苛立っているように感じたので、
「はぁい……」
緋凰は口を尖らせて、しぶしぶ部屋を出て行ってしまった。
「…………」
無表情でせっせと手を動かしている延珠へ、二人のやりとりを見ていた鷹千代が、そっと問いかけてみた。
「祥兄上ってもしかして——」
「あぁ⁈ 何の話だよ!」
今度こそ苛立った声で話を遮ってきたので、
「なんでもない!」
鷹千代は慌てて書物を漁り始めたのであった。
ーー ーー
いよいよ、延珠の出立の時。
この日は、新たな門出にふさわしいと思うほど、雲一つない清々しい晴天だった。
天珠の屋敷の門の前では、家族みんなはもとより、緋凰や鳳珠、煌珠までもが見送りに来ていた。
「では、行って参ります」
「くれぐれも、身体に気をつけて……」
美紗羅がギュッと抱きしめたのを最後に、延珠は同行する閃珠達の待つ馬の隣まで歩いてゆく。
そして自分の馬に手をかけようとして、延珠はふと、緋凰を見た。
堪えきれない涙を懸命に袖でふきながら、緋凰は延珠を眺めていると……。
こちらを見ている延珠が、下がっている腕の先の手のひらを、わずかに自分に向けた気がした。
(気のせい? ……でもいい!)
パッと走り出した緋凰は、瑠璃色の髪を輝かせながら、そのまま延珠の胸に飛び込んでゆく。
怒るかもしれないと思ったが、予想に反して、延珠はギュッとして迎えてくれた。
「うぅ……亀兄……」
とうとう泣き出してしまった緋凰の頭をゆっくりと撫でると、
「凰姫……あの時は……、すぐに助けなくて、本当にすまなかった」
ずっと言いたかった事を、延珠は耳元で小さくささやいた。
(あの時? ……おたねの時の事?)
ひっくひっくとしゃくりあげながら、緋凰は腕の中で顔を上げると、首を振った。
「そんな事ない……。それに、亀兄は私にいっぱい、大事な事……教えてくれたもん……。ありがとう……だもん……」
「……」
延珠は小さく首を縦に振ると、懐から手巾を出して緋凰の涙をそっと拭いながら、ゆっくりと言い聞かす。
「いいか。もしまた何かあったら、必ず俺に相談するんだぞ。分かったな」
「……分かった。亀兄も何かあったら、私に相談してね」
緋凰の返しに、延珠は思わず微笑むと、
「……ハハ。そうする。……緋凰」
初めて名を呼んだ。
(あ、名を……)
緋凰は涙を止めると、延珠の顔をまじまじと見つめる。
真剣な瞳で延珠は見つめ返すと、声に力を込めてしっかりと伝えた。
「次からは、必ず助けるから」
緋凰も瑠璃色に瞳を輝かせながら、力強く頷く。
「うん! 私も、必ず亀兄を守るからね!」
そう誓い合うと二人は……笑顔になった。
「……さあ」
延珠が促すので、名残惜しそうに緋凰はそっと二、三歩下がる。
その時、鷹千代と美瑚都が隣に走ってきた。
延珠がひらりと馬の背に乗ると、
「元気で」
三人に短く別れを述べて、閃珠達と共に走り出した。
(亀兄!)
一歩踏み出しかけたが、追いかけたい気持ちをぐっと堪えると、緋凰はかわりに目一杯手を振って叫んだ。
「またねぇーーーー‼︎」
隣の鷹千代と美都瑚も懸命に手を振り、一向の姿が見えなくなると、三人の目からはどうしても涙が溢れ出てきてしまう。
そしてその緋凰の姿を、煌珠は無表情で眺めていたのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




