4-30 小さな主
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。七歳
真瀬馬 刀之介 忠桐……重臣。武将の一人
真瀬馬 包之介 元桐……刀之介の父
真瀬馬 弓炯之介 義桐……鳳珠の護衛。刀之介の長男
瑳矢丸……緋凰の世話役。刀之介の三男
お膳に乗っている焼き栗へ、小さい紅葉のような可愛い手がス〜ッと伸びてくる……。
「こら! お客様のものだぞ」
栗に手が届くすんでの所で、刀之介がその五歳くらいの末息子をひょいと抱き上げた。
すると、腕の中でジタバタと暴れ出した挙句に、刀之介のアゴにゴンッと頭突きまで入ってしまったので、包之介が元気な孫におかわり用の栗を握らせてやる。
パァッと笑顔になった末っ子は刀之介から飛び降りると、長男である弓炯之介の膝に座って剥いてくれとせがんだ。
その時。
「姫様のお支度が整いました」
そう声をかけながら、開け放たれていた襖から瑳矢丸が姿をあらわした。
奈由桜が末っ子を急いで抱き上げると、部屋の者達は膝をつく。
そこへ——。
まだ小さいながらも背筋をシャンと伸ばし、真っ直ぐ前を見ながら、堂々とした雰囲気で入ってきた緋凰を見て、真瀬馬の者達はわずかに驚いた顔で思った。
——なんかお姫様っていうより、凛々しい若君のようになっちゃってるーー‼︎
包之介はさらに思う。子供の時の閃珠を見ているようだと。
刀之介はさらに思う。いやもう、子供の頃の煌珠じゃないかと。
それぞれの主にそっくりな顔の緋凰に、しばし言葉が出てこない。
「父上、いかがですか?」
緋凰の斜め後ろから問いかけた花桜の声で、刀之介達は我に帰った。
「ん、……ん?」
「私、ちゃんとお手伝いできました。ほら、すごいでしょ! 姫様ってカッコいいの! 若君みたいに素敵でしょ?」
——⁉︎
思い切り褒めたつもりの花桜のド失言で、部屋の皆に戦慄が走る。
わたわたと弓炯之介が口を開いた。
「とてもお可愛らしいですね! 凰姫様は本当に素敵な『姫君』であられます!」
「あ、ありがとうございます……」
(……優しいなぁ弓炯之介さんって……)
フォローの言葉を嬉しく思いながらも、緋凰は若君のようだと言われた事に、何とも言えない顔をした。
「さあ、こちらに。卵の雑炊をよそいますよ」
「うん!」
そう包之介が呼んだので、緋凰はすぐ笑顔になって席に座った。
間もなく目の前にほかほかの雑炊が出されると、鼻に入ったおいしい匂いでとたんにお腹が空いた感じがする。
たまらず緋凰はいただきます! と丁寧に言って雑炊を口に運んだが、
「あちちっ!」
危うく火傷をしそうになったので、全力でフーフーしながらせかせか食べ始めた。
「そんなに急がなくても……」
隣にきた瑳矢丸が水を渡してくるのを、緋凰はちゃんとして受け取ると、
「だって、兄上が寝込んでいるから早く帰らないと……」
そう言って襖の向こうを見やる。
目線の先にある外の風景が、茜色から少しずつ薄闇に変わってきていて、使用人達が灯明へ火を灯し始めていた。
少し間をあけた反対の横にいる刀之介が、硬い表情で緋凰の説得にあたる。
「姫様。今日はもう遅いので、城へは明日お帰りください。使いを出しましたゆえ、若殿(鳳珠)も今頃はお心を安らかにしておりましょう。ご心配は無用にございます」
「ありがとうございます。……でもやっぱり帰りたいです」
緋凰はどうしても考えを曲げない。
「いいえ、いけません。夜道は危のうございます」
刀之介としても帰るのであれば、城まで送ってゆく心づもりではあるが、万が一もあるので、いたずらに主の娘を危険にさらしたくもない。
また、こんな幼子をみすみす一人で帰すことなど言語道断である。
話ながらもあっという間に雑炊を完食した緋凰は、ごちそうさまと言った後、元気よく自信満々に告げる。
「大丈夫です! だって悪いやつに負けないように、刀先生達は私を鍛えてくれてるんだもん!」
「う……しかし……」
「ちゃんと一人でずっと野宿もできたよ!」
「それは、やむ負えない時だけのものですから!」
刀之介が必死になっている所へ、瑳矢丸が口を挟む。
「父上。私も姫様に共をして城へ戻ります。ですから——」
「あっ。瑳矢丸はもう城に行かなくても大丈夫だよ」
自分の言葉を遮ってきた緋凰の発言に、瑳矢丸はギョッとすると、
——それってもしや……。
この数ヶ月、いつも恐れていた事を言われてしまう予感がして肝が冷えてくる。
緋凰は、そのわずかに揺らいでいる琥珀色の瞳をしばし見つめると……。
思い切って口を開いた。
「刀先生。私はこのまま瑳矢丸を……お返ししたく思います」
——やはり……。
予想通りの言葉に、瑳矢丸はギュッと拳を握った。
そして刀之介もまた、こう言われる覚悟はしていた為、驚く事もなく、落ち着いて緋凰に向かって手をついた。
「……こたび、瑳矢丸は姫様をお守りする重大な立場を頂いておりましたにも関わらず、そのお役目を果たす事が出来ませんでした。誠に、申し訳ありません」
刀之介が頭を下げると、部屋の者達も一斉に手をついてそれにならう。
部屋中が急に重たい雰囲気となってしまって、えっ? となった緋凰は動揺し始めた。
「あれ? 瑳矢丸はお世話をしてくれるってだけで私を守るお仕事じゃないのでは?」
まだ世の職業について詳しく知らない緋凰は、刀之介が謝っている意味が分からない。
わずかに顔を上げた刀之介は、硬い表情のまま説明をする。
「世話役(荒小姓)とは主の日頃のお世話だけでなく、常に傍らで命を張って守らなければならぬもの。姫様を賊に奪われるなど、もってのほか。死に値する失態なのです」
「父上! そのような事、まだ姫様には……」
正論ではあっても、まだ直接的な物言いは幼い緋凰にとってマズイと感じた弓炯之介が、小声で注意を促すが。
(ぎゃああ! またまた瑳矢丸が死罪になるうぅ‼︎)
思わずバッと立ち上がった緋凰は、
「死ぬだなんてそんな‼︎ だったら私には世話役も護衛も誰もいらないよ! 一人がいい! 一人で生きていく‼︎」
拳を握って喚き出した。
しまった、と思った刀之介は焦りながら緋凰をなだめようとするが、
「落ち着いてくだされ! あなた様のお立場ではそのような事は出来ませぬので——」
事実であっても墓穴を掘った言い方をしてしまう。
たまらずに弓炯之介が腰を上げかけた時。
バッと瑳矢丸が立ち上がると、膳を挟んで緋凰の向かいに立った。
——俺はまだ、凰姫の世話役を辞めたくない!
緋凰の世話役をすると、もれなく一緒に名高い者達から師事を仰げるもの。
——百敷様や岩踏先生達からまだまだ学びたい事がたくさんあるんだ!
緋凰と共に受けた訓練や講義、またその環境は町のそれとは比べ物にならぬほど、レベルが高い。
たった一年たらずでも、自分の能力が格段に上がってゆくのが分かるので、かなりキッツイ訓練ではあるが、それが面白い。
そして、九歳くらいの育ち盛りである少年には、夢も希望も野望もたんまりあるのであった。
——凰姫を、説得してみせる! 絶対辞めるものか‼︎
サッと瑳矢丸は両膝と両手を畳につくと、
——まずは、誠心誠意あやまる!
「凰姫様。この度の私の失態、誠に申し訳ありませんでした! いかような罰をもお受けする覚悟にございます!」
ガバッと頭を下げた。
「ええ⁉︎ 罰なんてしないって! もぉ〜頭あげてよ!」
もはや、感情がいっぱいいっぱいになっている緋凰が悲鳴に近い声を出す。
瑳矢丸は顔を上げてその目を真っ直ぐに見据えた。
「いいえ、罰は甘んじてお受けします。ですから、私をこのまま世話役としてお側において下さい!」
この言葉で、刀之介、弓炯之介、包之介の三名は瞬時に瑳矢丸の下心を見透かした。
「この期に及んで見苦しいぞ! 下がれ! 瑳矢丸‼︎」
正義感の強い刀之介は、怒りをあらわにして怒鳴りつけた。
——下がるものか! この将来の事に比べれば、一時の恥などクソどうでもいい‼︎
瑳矢丸は動じず、緋凰から目を離さない。
「でも、私の世話役なんてしているから、周りの人が瑳矢丸をバカにしてるんでしょ?」
申し訳なさそうな顔で緋凰が言う。
——誰から聞いたんだ? そんなの、凰姫が気にしなくてもいいのに……。そもそも自分だって俺のせいで酷い目にあったのに気にしなかっただろ。
瑳矢丸からすれば、緋凰が毒を盛られていた時の苦しさを思うと、人の悪口など安きものだと感じていた。
「事情を知らぬ者の戯言など気にしません。知る者のやっかみなど、どうでもいい事です」
つとめて涼しい顔で、瑳矢丸は返事をする。
じっとその琥珀色の瞳を見返した緋凰は、
「……だけど、私の側にいたら死んじゃうかもしれないんだよ?」
いつぞやに河原で、爺やが斬られたと松丸が泣いていた時のことを思い出してヒュッと心が寒くなった。
わずかに青ざめている緋凰の顔を見て、瑳矢丸は考える。
——この人は幼い上に、根が優しい。だから本気で俺の命を惜しんでくれているのだろうな。
そんな中で、『命にかえてもあなたを守りたい』などと言えば、かえってやめてくれと突き放されてしまう。
——ならば……。
「今の世ではどこに居ても、命を賭ける事があるものです」
「…………」
わずかに目を伏せて、緋凰は考え込んだ。
——頼む! 良しと言ってくれ!
瑳矢丸の心臓がドッキンドッキン高鳴ってきて、握った拳に汗が滲んでくる。
「……それならば、鷹ちー……鷹千代兄様のお小姓さんになればいいんじゃない?」
「なりません‼︎」
血相を変えた刀之介が二人の会話に割り込んできた。
「姫様が毒で害されている事に、一年も気が付かなかった者です! とても鷹千代様をお守りなどできませぬ!」
この言葉に瑳矢丸はぐっと奥歯を噛む。
「でもそれは——」
言いかけた緋凰の言葉を遮って、刀之介が必死に言い聞かせた。
「姫様、もう瑳矢丸の事は捨て置いて下さい。こやつは己の利の為だけに、姫様のお側に居たいのです」
——なんて事言うんだぁ‼︎ 父上ぇーーーー‼︎
「ちがっ——違います‼︎」
それじゃあ俺、めちゃくちゃ悪いやつみたいじゃん、と思った瑳矢丸は、慌てて否定をするが、
「黙れ‼︎」
刀之介が振り向いて激しく一喝した。
(……利?)
はて? と思った緋凰は刀之介の袖をちょいちょいと引っ張った。
「刀先生。瑳矢丸が私のお世話役だと、なんかいい事ってあるの?」
んん? と緋凰の方へ向き直った刀之介が、一呼吸を置く。
「もちろんでございます。姫様のお側に居られれば、共に百敷様など貴重な方々の教えを得る事ができるのです」
「私に仕える事、瑳矢丸が大人になったら役に立つの?」
「え? ……それはもう、いろいろと役に立ちます」
「じゃあさ、若君じゃなくて、私に仕えるとお得な事ってあるの?」
「それは……。そうですね……瑳矢丸が若君にお仕えとなると、周りからの嫉妬がすごいかもしれませんが、姫様だとそれがなかったり……など、いろいろとございます」
緋凰の質問攻めに、刀之介がたじたじになって答えているのを、部屋の者達はハラハラしながら見ている。
やがて、
「そっか……」
そうつぶやいて緋凰は下を向いた。
——駄目か……。
瑳矢丸も小さく息を吐いてうなだれた。
ややあって、刀之介が言葉をかけようと、緋凰の肩にそっと手を置いた。
すると——。
パッと緋凰が顔を上げて、
「私、おっきくなるまで瑳矢丸に世話役をしてもらう!」
と言って、にっこり笑った。
「ええ⁉︎ なにゆえ⁈」
仰天した刀之介の後ろで、瑳矢丸も顔を上げて何で? といった顔で上半身を起こした。
「実はずっと気になってたんだ。瑳矢丸って強いし、お勉強もできるから、私より鷹千代兄様にお仕えした方がお得なのじゃないかって。だとしたら悪いなぁ〜って思ってて……。でも私に仕えるのが役に立つならいいじゃん!」
よかったよかったと、頭をかきながら緋凰は瑳矢丸へ向き合う。
目が合うと、瑳矢丸が問いかけてきた。
「ならば……このまま世話役を続ける事、お許しくださいますか?」
その真っ直ぐな視線をきちんと受け止めて、緋凰は力強くうなずく。
「いいよ! ゆるす‼︎」
そう言って今度は瑳矢丸に笑いかけた。
「これからは、ちゃんと私が瑳矢丸を守るからね!」
「へ? 何を言っているんですか! 『護衛』をするのは私の方ですって‼︎」
「でもとっくり先生が、『主は部下を守らんとなぁ』って言ってたし。う〜ん……じゃあ、守り合いっこすればいっか!」
「ん? 岩踏がそのような事を言ったので?」
ついっと刀之介が二人の会話に入る。
「うん。前にとっくり先生の忘れ物を届けにお茶屋さ——」
「凰姫‼︎」
叫びながら顔面蒼白になった瑳矢丸を見てハッとすると、緋凰は慌てて自身の口を両手で塞いだ。
(しっしまったぁ‼︎ これ、絶対ナイショって言われてたんだったぁ〜……)
「そこのところ、詳しく」
刀之介の両眼が鋭く光る。
(ひいい〜。刀先生が鬼みたいになってるぅ〜)
ちなみに次の日、岩踏は刀之介に呼び出しをくらっている。
「あ、そういえば、花桜ちゃん! ごめん〜」
刀之介から逃げ出して、緋凰は花桜の元へ走る。
「今くるのぉ⁈ もういいって! きゃあ! 父上怖い‼︎」
花桜がくるっと緋凰の身体を反転して背に隠れる。
「なにゆえ、姫様がそのような場所へ?」
前方から怒気をまとった刀之介がじりじりと近づいてきた。
「ぎゃああ! 刀先生、ごめんなさいぃーー‼︎」
何で刀之介が怒っているのかよく分かっていないが、緋凰はとりあえず謝っている。
弓炯之介が落ち着いて下さい、と刀之介を必死でなだめる。
そんな部屋の中の騒動を、包之介は静観しながら、先程の緋凰の言葉を思い出していた。
——やはり、湧ノ進(閃珠)様のお孫様だな。同じ事を言う。
そして遠い昔を見やった。
子供の頃、自身も御神野家の権力にあやかりたくて、末の若君だった閃珠の荒小姓になった。
だが、それは包之介だけではない。
そして子供だった閃珠は、その最初の孤独を嘆く事もしなかった。
『お前らってどうしようもねぇな。しかたない、守ってやっから、一生俺のケツ追っかけてろよ〜』
ある時、歳の近い自身の荒小姓の少年達に、そういたずらっぽい顔をして言い放つ。
そして背を向けた子供の閃珠に、すぐ手が出る荒小姓の一人が、その尻を蹴り上げる。
やりやがって、などと笑いながら二人が取っ組み合いを始める。
なぜか別の荒小姓がそれに参戦する。
めんどくさいなどアホらしいなど呟きながら、観戦していた子供の包之介ともう一人の荒小姓も、やがて巻き込まれて大乱闘になる。
——懐かしいな。
冗談めいてはいたが、閃珠は有言を実行する男だ。
結局はあの時からその四人の荒小姓は、今の今まで、そして恐らくこれからも、閃珠の忠実な臣下であり、互いに信頼を置いている友なのである。
——おそらく瑳矢丸も……。
自身のように、いつかあの小さな主に心から忠誠を誓う日がくるかもしれない。
……そんな事を思いながら、包之介は緋凰と瑳矢丸を交互に見つめて、そっと微笑んだのだった。
緋凰が自身の『護衛』という者を常に側に置いたのは、生涯でもこの幼少期のみ。
後にも先にも、瑳矢丸ただ一人だけなのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




