4-23 水鏡の瑠璃
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。七歳
若虎……西国の重臣、旗守家の長男。九歳くらい
「その娘、私が貰い受ける」
突然、横方向から入ってきた声に、旗守と若虎がバッと振り向く。
一瞬遅れて緋凰も横を向くと、左右に男女の護衛を引き連れた青年が歩いてくるが見える。
「あれ? あの人どっかで見たような……」
緋凰が記憶を探ろうとしたら、その青年に向かってサッと、旗守と若虎が片膝で跪いた。
「お越し頂いておりましたか、若殿」
旗守のその言葉に、青年の賢そうな目と頬に並んでいる二つのホクロを見て、緋凰の記憶がパッと蘇る。
(あっ! この人だ、姉上のご主人様!)
「義兄上様だ‼︎」
そう叫んで緋凰は青年に近づこうと走り出した。
ところが、サッと女の護衛が緋凰の前に立ち塞がる。
そして若虎が慌てて横にくると、緋凰の肩を掴んで小さく注意をした。
「何をしているんだ! 若殿にちゃんと礼をとらないと……」
「だって義兄上様だよ」
指をさして言った緋凰には、若虎が何で焦っているのか分からない。
その二人の様子を見て、青年は妙な顔つきをする。
「兄? ……子供、私にはお前のような小さい妹はいない。人違いだ」
「? 私はお兄さんの妹じゃないよ」
「…………?」
青年と緋凰の会話が噛み合っておらず、周りもどうしたら良いのか分からない雰囲気になった。
「こちらのお方は清滝猛次郎様。この国の若殿であらせられる。頭が高い、控えなさい」
女の護衛の言葉に、若虎が慌てて緋凰を掴んだまま膝をつく。
「わわっ」
引っ張られた形で膝をついた緋凰に向かうと、
「笠もちゃんと外して——」
そう言って女の護衛が頭の笠をパッと取る。
「あっ! ダメ‼︎」
思い切り油断をしていた緋凰は、急いで頭に手を置くが間に合わなかった。
⁉︎
取り払われた笠から鮮やかな瑠璃色の髪がこぼれ出る——。
その場の全員が、——後ろにいる兵士達までもが驚いて、目を奪われた。
——しまった! 瑠璃が!
若虎が、息をのんで佇んでいる女の護衛から笠を取ると、急いで瑠璃色を隠そうとした。
ところが、ぱっと緋凰の目の前にしゃがんだ清滝が、そうさせまいと若虎の手から笠を奪ってしまう。
「瞳までも——。美しい、すごいな……」
感嘆の声をあげながら、清滝が瑠璃色に輝いている緋凰に向かって手を伸ばした。
ぎょっとした緋凰はとっさに立ち上がるとサッと後ろに下がる。
「触らないで……あの、父が怒るから……」
悪人ではないので何と言っていいか迷った緋凰は、とりあえず父の煌珠に責任を押し付けておいた。
「あぁ、驚かせてすまない。父とは……ん? まてよ、その顔どこかで——」
何かを思い出しそうになった清滝は、えも言われぬ不安が押し寄せてきて眉根をよせる。
(あ、そうか。この人なら父上の事知ってるかもしれない)
そう思った緋凰は、もじもじしながらそっと自身の身の上を明かした。
「私は……鳴朝城の城主、御神野律ノ進の娘で……緋凰と言います。えっと、あっ! 美鶴姉上の従妹です」
一瞬にして緋凰にそっくりな煌珠の顔を思い出した清滝の顔から、ザッと血の気が引いた。
「なっ! 緋お……凰姫——様⁈ そんな! 何故このような所に‼︎ え? いつこの国へ参られたので?」
ご無礼をいたした! と清滝が緋凰の頭にわたわたと笠を被せている近くで、跪いている若虎があまりにも驚きの真実に、緋凰を見上げたままぼう然としていた。
——御神野……まさか、緋凰があんな名高い大名一族の姫だなんて……。
ふと、若虎の脳裏に松丸が緋凰から書状を返してもらっていた光景が思い出される。
——だから松丸は……。
ようやくその行動を理解した若虎は、諦めの境地に達して目をグッと閉じると、わずかに項垂れたのだった。
一方で、大混乱に陥っている清滝に、緋凰は今の状況をどう説明すればいいのか必死になっていた。
「ごめんなさい! 旅の途中で姉上に会いたくなって、一人で来ちゃいました……」
「ひ、一人⁉︎ お一人なのですか⁈」
清滝の度を失った顔を見て、まずい事を言ってしまったようだと思った緋凰は、懸命に言い訳を考えるが……。
「あわわっ。一人というか、その、若虎様と一緒で……。他にも松丸がいたんだけど、もう国に送っていったからいなくて……えっとぉ……」
頭の中がぐるぐる回ってきて、自分でも何を言っているのか分からなくなってきてしまう。
その時、考え込んでいた若虎が我に帰ると、清滝に発言した。
「申し上げます、若殿。ひ……凰姫様はご事情がありましてお忍びで旅をされておりました所、お身内の方に会いたいと申されまして、わが国にお立ち寄りくださった次第でございます」
「お忍びで?」
「しかし、凰姫様はお身内の方がどのようなご身分であられるのかをご存知無かったので、探していた所にございました」
その説明で納得した清滝がうんうんと頷くと緋凰に向き合う。
「そうでしたか。ここでお会いできてようございました」
「あの……。姉上にお会いできますか?」
緋凰の質問に、清滝がほっとした笑顔になった。
「もちろんです。本来ならば美鶴をこちらに呼ぶものですが、こないだ子を産んだばかりでまだふせておりまして……」
「え⁉︎ 姉上、大丈夫なのですか?」
「元気ではありますゆえ、ご安心下さい。恐れ入りますが、清滝の館まで御足労、頂けますか? 姫様にお会いできれば美鶴もさぞかし喜びましょう」
「はい! 行きます!」
元気に答えた緋凰を見て、清滝は立ち上がると護衛に馬の用意を命じる。
「さあ、参りましょう」
「あ、ちょっとお待ちくださいますか?」
そう言って緋凰は若虎の前にしゃがんだ。
「一緒に……」
だが、若虎は小さく首を振る。
「……ここでお別れです。凰姫様」
「え? どうして……」
あの時の松丸と同じように、若虎も寂しげに笑ったので、緋凰はここでも察した。
「私は……若虎の世話役にもなれないんだね……」
小さくつぶやいた緋凰に、若虎もまたわずかに頷いて見せた。
「じゃあもう、本当にお別れなの……」
胸がいっぱいになってきた緋凰の目から涙がこぼれ始めてしまう。
若虎は懐から手巾を出してそっと涙を拭うと、
「大丈夫だ。必ずまた会える。泣かないでくれ」
二人だけにしか聞こえない声で言葉をかけた。
頑張って涙をこらえると、緋凰は若虎にも想いを伝える。
「若虎に出会えて、本当によかった……」
「俺の方こそ感謝してもしきれないよ。……出会えて本当によかったと思っている。ありがとう……緋凰」
そう言って若虎は優しく微笑んだ。
胸がギュッとなった緋凰は、かぶっていた笠をゆっくりと外すと——陽の光を浴びて『瑠璃姫』になった。
……そして、ひそひそと若虎に聞いてみる。
「ねえねえ、最後にぎゅ〜ってしてもいい?」
「それは……人が多いし……さすがに…………」
本音を言えば同じ思いである若虎は、代わりにそっと緋凰の手を取った。
そして二人はキュッと手を握り合う。
「ありがとう、……若虎」
涙をたたえてキラキラと輝く瑠璃色の瞳で、緋凰は若虎に微笑んだ。
この時の愛らしく、透き通るように美しいその笑顔を、……若虎は生涯忘れる事はなかったのだった。
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これからも、どうぞよろしくお願い致します。




