4-22 西国の虎
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。六歳
若虎……西国の重臣、旗守家の長男。九歳くらい
放たれる激しい怒号に、武器の弾き合う強固な音。
(練兵場って、私から見たらもうどこも同じだね。怖っわ〜)
人攫いに拐かされてから久しく見ていなかった光景に、緋凰はげんなりしてぽつりとつぶやく。
「帰ったらまた毎日、武術の訓練なんだろうなぁ……」
西国の城近くにある練兵場の門をくぐってすぐの場所で、近くの兵士に若虎の父親への取次ぎをお願いして待っている最中であった。
「何か言ったか?」
かぶっている笠の中を覗き込むようにして聞いてきた若虎に、緋凰は何でもないよ、と返した時。
練兵場の奥から熊のような人影が、土煙をあげつつ、ものすごい勢いでこちらに走ってくるのが見えた。
「何だろあれ。……人? 筋肉のかたまりみたいだなぁ」
緋凰が目を細めて前方を確認してみた。
「あぁ。……あれが俺の父、旗守虎太兵衛だ。ちょっと下がっててくれ」
やれやれといった感じで若虎が人影に向かって歩き出す。
「うぉぉーーーー‼︎ 若虎ぁ! 無事だったかぁ‼︎」
満面の笑顔で両手を広げると、旗守が勢いよく飛び込んでくる。
ところが、若虎がスッと身体をひいてよけた為、スカッと腕が空振りして、ズザーーッと倒れ込んでしまった。
(えぇ⁉︎ 親子の感動の再会をかわしちゃった‼︎)
何故? と緋凰はあっけに取られている。
だが、練兵場の奥では兵士達が久々の光景だと笑っていた。
転んだまま振り向いた旗守は、息子に向かってぷりぷり怒り出す。
「何でよけるんだよっ、おい!」
「そんなゴツい身体で突進されてもこっちが死ぬから。抱きつかれても気色悪い」
「親に向かって気色いとか言うな! お前はお年頃になるのが早すぎるわい。全く、ゴボウみたいな身体してっからそんな——」
文句を言いながら若虎をよく見た旗守が、その身体つきが以前と変わっている事に気がついた。
「あれ?」
急いで起き上がると、旗守は若虎の袖をまくって腕を確認したり、あちこち身体を手でパンパン叩いてみたりした。
「……触りすぎだ。やめろ」
されるがままにさせておくも、若虎は父親をたしなめる。
「凄いじゃないか! 何だこれ! 数ヶ月でどうやってこんな、いい身体に出来たんだ‼︎ ちょい、俺にも教えろよ‼︎」
目をキラキラさせながら若虎に迫っている旗守を見て緋凰は思う。
(お祖父様みたいに身体を鍛えるのが好きな人かな? あ、でも身体つきも性格も叔父上(天珠)の方に似ているなぁ)
そういえば亀千代も、こんな感じで父親の天珠によく塩対応していたのを思い出した。
若虎は迫り来る旗守の顔を鷲掴みにして離すと、落ち着いた声で話す。
「山での特訓のおかげで、私の武術の腕も格段に上がったので、今ではそこいらの野武士にも負けません」
「そうなのか⁉︎ やっぱりお前は俺の子だぁ! 顔は嫁だけど、俺にも似ているんだな!」
「そこは嬉しくないが、認めざるを得ませんね」
「喜んでくれよ‼︎」
自分に似る事が何でそんなに嫌なのか納得がいかなくて、旗守は名前の通り、虎のようにいかつい顔をムス〜っとさせる。
「父上。今ここに、私を人買いの屋敷から連れ出して、なおかつ山で鍛えてくれた命の恩人を連れて参りました」
「何⁉︎ お前をこんなに立派にしてくれた者を? どれ、礼を言わねば! ついでに俺も鍛えてくんないかな?」
旗守は、さぞかしゴツい身体で、なんなら過去に戦いによる傷という名の漢の勲章でもついているかのような、デカい男を想像した。
わくわくしながら若虎の後ろを見たが……誰もいない。
「父上、こちらです」
「ん?」
若虎が腕を上げた方をキョロキョロしてみても……いない。
「もっと目線を下げてください」
「ん〜?」
よく分からないが、とりあえず頭をス〜ッと下げてみる——と。
笠をかぶってちょこんと立っている緋凰をようやく見つけた。
「………………。なぁ⁉︎ 小っさっ‼︎」
ガーーン! と衝撃を受けると、旗守はいそいそとしゃがんで緋凰をよく観察する。
まあ、そうなるよな。と若虎はふっと息をつくと、誤解のないように説明を始めた。
「名を緋凰と言います。小さな子供ではありますが、とんでもない武術の強さを持っているのです」
「わ、若虎。あんまり武術の事は言わなくていいよぉ。私、お淑やかがいいから……」
「え⁈ 女の子⁈」
緋凰がぼそぼそと若虎に言った言葉が聞こえて、旗守はますます驚く。
その父親に、若虎は真面目な顔を向けた。
「父上。お願いがあります。緋凰を私の世話役として、また弟達の武術指南役として旗守家で召し抱えて頂きたい」
「え?」
突然の申し出にびっくりして緋凰は若虎を見上げた。
「ん? 何だ、またお前に惚れ込んだ女が世話させてくれって来たんか……しょうがねぇなぁ」
若虎には小さな頃からその美貌に魅せられた、たくさんの女達から世話役にさせて欲しいと懇願されてきたので、緋凰もまたその一人だと旗守は勘違いをした。
「違います、父上。ちゃんと話を——」
若虎が慌てて訂正しようとしたが……。
旗守は目をキラリと輝かせて立ち上がると、
「娘っ子よ。若虎の嫁になりたくば、俺をその武術で倒してみせよ‼︎」
そう言って羽織を脱ぐと、緋凰の前にドーーンと仁王立ちになった。
(えぇ⁉︎ どうゆう事? しかも世話役じゃなくて嫁になっちゃってる⁈)
緋凰がぼう然としている向こうでは、
——またあの方の悪い癖がでた。
と、練兵場の兵士達があきれつつも興味津々でこちらを見始めている。
旗守は腕に自信がある為、何かにつけてすぐ拳で語りたがる男であった。
「違うって! 望んでいるのは私の方ですから‼︎ ちゃんと話を聞いてくれ‼︎」
若虎の怒りながら諌める言葉が右から左へ抜けて行った旗守は、わくわくしながら緋凰に持ってこさせた木刀を渡している。
「あいつら(若虎の弟達)の指南役ってなら、ちゃんと腕を確認せねばならん。さあ、こっちだよ〜」
そう言って旗守はウキウキしながら緋凰の手を引いて、広い場所に歩き出した。
言い返せなくなった若虎は、やむなく二人について行く。
(嫁って所は否定しないのかな?)
緋凰はそこにこだわってちょっとドキドキしていた。
間もなく、練兵場の中央部分にある闘技場のような空間で、緋凰は旗守に対峙させられてしまった。
「さあ! 娘よ。若虎が欲しけりゃ俺を楽しませてくれ‼︎」
逆だっつってんだろ‼︎ と向こうで若虎がブチ切れているが、旗守は聞いていない。
(なんでこんな事に……。必要以上に戦うのは嫌なのに〜)
元々武術は好きでやっている訳ではないので、げんなりした緋凰は助けを求めようかと、若虎の方を見てみる。
すると……。
心配そうにこちらを見ているその美しい容姿が、青空の元で妙にキラキラと輝いているように感じて緋凰は一瞬、胸がドキンと高鳴った。
(あ、そうだ! どうせいつか他国にお嫁に出されるのなら、若虎や松丸のお嫁さんになりたいかも……よし!)
そう思い直した緋凰の目がキラ〜ン! とあやしく光る。
真っ直ぐに旗守を見据えると、片足をひいてぐっと腰を落とし、スッと木刀を構えた。
——あれ? 何か急にやる気が出てる?
いきなり闘志を燃やしている緋凰を見て、若虎は不思議がっている。
緋凰はサッと敵を観察してみた。
(大きい人だな。まず狙うは足ってとこかな?)
鋭い視線を感じてゾクゾクしている旗守が、
「おい! 頭から笠、外し忘れているぞ〜」
そう注意を促した。
今日はほとんど雲のない晴天なので、陽の光で瑠璃色を出したくない緋凰は、
「大丈夫で〜す! 私、日差しに弱いのでこのままで。行きますよ‼︎」
不審に思われないうちに、先手を打って走り出した。
向かってきながら体勢を低くして下段に構えた緋凰を見て、
——まあ、リスみたいに小っこいから足から狙ってくるよな。——薙ぎ払うまでだ!
旗守は間合いに入った緋凰に向かって木刀を横に払った。
(やっぱそう来た! ——今!)
足を狙う事を読まれると踏んだ緋凰は、タイミングを合わせて飛ぶと、片足を薙ぎ払われる木刀の上に一瞬かけて足がかりにして、大きく真上に飛んだ。
「何⁉︎」
視界から消えた姿を追って旗守が顔を上げると、目の前に木刀を大きく振りかざす緋凰がいた。
(当たれ! 叔父上がよくやるやつ、必殺『雷(勝手に命名)』‼︎)
旗守の肩めがけて渾身の力で木刀を振り下ろす。
ぎりぎり身体を半回転させて緋凰の攻撃を避けると、旗守はさらに半回転して木刀を薙ぎ払う。
ストンと地に降りた緋凰は急に横から迫ってきた木刀をバッと後ろに飛んでよけつつ、すぐに地を蹴って相手に突きを入れた。
「うおっ!」
緋凰の木刀が腹に入る前になんとか旗守は身体をひねって難を逃れる。
——なんと素早い! 面白いじゃないか‼︎
目にも止まらぬ速さで打ち合う二人に、練兵場の兵士達は歓声を上げて見ている。
——こんな……強いのか⁉︎ 緋凰!
若虎もまた、目を大きく開いて拳を握りしめながら見ていた。
最初の一撃を逃してから、緋凰は探りをいれながら好機を伺っていたが——。
(しまった!)
予想外の旗守の動きに、地面に叩き伏せられてしまった。
「がっ!」
思い切り背中を地面にぶつけて、一瞬息が止まる。
そして、あっという間に旗守の木刀が上から襲いかかってきた。
(やばっ‼︎)
ガッ‼︎
何とか自身の木刀を盾にして受け止める事ができた。
しかし。
倒れたままの体勢で、十文字になった刀がぎりぎりと顔に迫ってくる。
「ぐ……ぎぎ……」
さすがに力では旗守に敵うはずがない——。
「……参りました」
緋凰の降参した声を聞いて旗守はハッとすると、急いで木刀を持つ手をゆるめた。
「緋凰‼︎」
若虎が血相を変えて走り出す。
肩で息をしながら、倒れた拍子にひしゃげた笠を被り直して、ヨロヨロと立ち上がった緋凰の両肩を突然、旗守がバッと掴んだ。
「……用だ……」
「へ?」
声が聞き取れなくて緋凰が不思議な顔を見せた時、満面の笑顔で旗守がガバッと顔をあげて叫んだ。
「採用だ‼︎ 何てすごい技術なのだ! お前は俺が育てる! 必ず国一番の武将にしてやるぞぉ‼︎」
(ぎゃああああ‼︎ お嫁さんじゃなくなってるぅ!)
興奮して身体を前後ろにブンブン揺り動かしてくる旗守に、緋凰は悲鳴を上げた。
「やだやだやだ! 武将になんてなりたくないよぉ‼︎」
「何を言う! お前のその才能‼︎ 武将にならなくて何になると言うのだ‼︎」
(お淑やかなお嫁さんになりたいですぅ‼︎)
こんな事なら戦うんじゃなかった、と大後悔する緋凰なのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




