4-19 若虎との鳳凰の舞
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。七歳
若虎……西国の重臣、旗守家の長男。九歳くらい
松丸……西国の北隣にある国の国衆、鶯鳴家の長男。七歳くらい
食事が和やかに進んでいく中、若虎はふいに手を止めて隣の緋凰に話しかけた。
「まさかお前が旅芸人だったとはな……。どうりで教養もあって、身軽で強いわけだ。たくましいし」
売れっ子の旅芸人は行く先々で庶民だけではなく、大名や貴族の屋敷にも赴くので教養があってもおかしくない。
またこの時代の旅には危険が多いので、身を守る術も身につけているのは当たり前なのかもしれなかった。
(う〜む。何て言えばいいんだろう。勝手にお祖父様の身分をバラしてもいいのかなぁ……)
若虎から妙に納得したように言われるので、緋凰はどうしようか悩んでしまう。
「まだお小さいのに、いろいろな所へ旅して回るのも大変ね」
そう同情した声で、反対隣に付き添って座っている松丸の一番上の姉は、すっかり芸人だと思い込んでしまっているので、だいぶ物腰がくだけていた。
それどころか、内心では緋凰に打掛まで貸す事もなかったかな、などと思ってしまっている始末である。
「緋凰ちゃんはどんな芸を持っているの?」
若虎に付き添っている松丸に顔がよく似ている二番目の姉の質問に、緋凰はおおいに狼狽てしまう。
「ええっと……。私は……芸人ではないんだけど……。お正月とかに、お祖父様から教わった剣舞や舞を、神社に奉納するくらいなら……」
旅芸人の仕事というものをよく知らないので、緋凰はこれを『芸』といって良いのか自信がなく、ボソボソと小さく返した。
すると向いに座って食事をしている松丸が身を乗り出す。
「そうそう! 緋凰の剣舞ってすごいんだよ‼︎ 毎日見ていたけど、綺麗なんだ〜」
山で訓練に入る前に緋凰は準備運動も兼ねて、遠く鳳珠の健康を祈り、故国の方角に向かって、毎日剣舞を奉納していたのだった。
(ぎょえーー‼︎ 松丸! なんて事言っちゃってるのぉ〜)
自慢気に松丸が姉達に語るので、緋凰はダラダラと冷や汗が出てくる。
「へぇ〜。見てみたい! ねえ緋凰ちゃん、ここで舞を披露してくれない?」
上の姉のとんでもない願いに、緋凰は落ち着こうと飲みかけていた茶をグフっと鼻から吐きそうになった。
「ゲホッ——こっ、ここで⁉︎」
「場所なら大丈夫。あそこの襖を開けた隣の部屋は結構広いから」
上の姉が使用人に襖を開けさせると、確かに広々とした部屋が出てきたので、緋凰の冷や汗が倍になる。
「これ、いきなりそんな事を言っては緋凰も困ってしまうだろう」
上座で同じく食事をしている鶯鳴が娘をたしなめるも、
「そんな事おっしゃいますけど、父上だって緋凰の舞をご覧になりたいのでは?」
と引かない。
「でも私、剣舞と舞で対になっている『鳳凰の舞』しか知らなくて……」
奉納する時は兄の鳳珠と一緒に舞うので、ちゃんとした場所で片方だけを披露してもおかしくはないか、緋凰は心配になる。
だがこの舞は対とは言え、一つ一つが独立しているので単独で舞っても十分なものではあった。
オロオロしている緋凰を見るに見かねて、
「ならば俺が剣舞の方を舞おう」
突然、若虎が割って入ってくる。
「え? 若虎、できるの?」
思いもよらない申し出に、緋凰が目を丸くしていると、
「そりゃ、毎日見せてもらったから覚えたさ。それに俺は、緋凰の父親が作ったと言う、その口上に使う歌がけっこう気に入っている」
なんでもないことの様に言って若虎が立ち上がる。
(おぉ! 父上が褒められた‼︎ 帰ったら本人に教えてあげよっ)
若虎の言葉に、緋凰の動揺していた心が一気に嬉しさに変わっていった。
「まあ♡ 若虎様の舞だなんて。さぞかしお美しいことでしょう……」
先程、初めて会った時から若虎の美貌に夢中な二番目の姉が、その愛らしい顔を紅潮させて目をキラキラと輝かせながら喜んだ。
(何か、私じゃなくて若虎に期待してな〜い? もう嫌なんて言えないなぁ)
内心ため息をつくと、意を決して緋凰はそっと打掛を脱ぎ、部屋の隅に置いてある自身の荷物の中から、風呂敷などに使っている薄い大判の布を引っ張りだした。
若虎も脇差から刀を抜いて鞘だけを持つと、隣の部屋へ歩いていく。
「私が若虎に合わせるから、好きに舞ってね」
わずかに緊張した面持ちでいる若虎に、緋凰は笑いかけた。
小さく頷いて返した若虎は部屋の真ん中にくると、横を向いて片膝を折ってしゃがむ。
背筋を伸ばして片手を後ろの腰に当て、反対の腕の脇をあげ、手のひらを外に向ける形で顔の前に置くと、持っている鞘の先が床に向いた。
緋凰もまた、間をとって若虎と向かい合うと、片膝をついて片手を後ろの腰に当てる。
反対の腕を、脇をあげて頭の上にかぶせるように乗せると、手のひらを外に向けて顔を隠すように薄布を顔の横に垂らした。
そして二人はそっと目を閉じる……。
急にシン……となった場の雰囲気の中、観客である鶯鳴達は皆ドキドキしてきた。
静寂を破り、よく通る凛とした声で、その体勢のまま若虎が歌う。
煌珠が、子供達への祈りを込めたその歌を——。
緋凰はまだ幼いのでその歌の深い意味まで辿り着けていない。
それでもこの歌を聞くと、不思議と安らかな気持ちになって、元気が湧いてくるのであった。
最後の節の歌い終えを合図に、緋凰と若虎はゆっくりと頭の上で腕を回す。
次に下から大きく腕を回し、それに伴い身体を回転させながら起き上がると、二人の瞳が開いていく——。
——鳳凰が目覚めた——
そして若虎の雄は力強く壮麗に舞い、
緋凰の雌はしなやかに優美に舞ってゆく……。
二人の年齢だけを見ればまだまだ雛のはずなのに、そこには瑞々しい生命力に満ちあふれ、大きく翼を広げて空を遊び、羽ばたいている鳳凰が、たしかにそこにいるのであった。
鶯鳴達はただただ感動して、二人の舞に目が釘付けになってしまい、誰も声すら出せないでいる。
……やがて鳳凰が飛び去り、舞が終焉を迎えた。
二人は最後のポーズを決め終わる。
そして、再びシンとした静寂が場を浸透していった。
鶯鳴達は見事な舞の余韻から抜け出せないようで、全員がまだぼんやりとしている。
……フッと息をついて、緋凰は身体の緊張を解いた。
(わぁ〜楽しかった! すごいな〜……やっぱり若虎って——)
顔を向けると、目が合った若虎がふわっと微笑む。
(素敵だぁ♡)
それを見た緋凰も笑顔になって、胸がキュンと高鳴った。
そして隣の部屋では、二番目の姉が若虎の舞に感動しすぎて、フゥ〜ッと気絶して倒れてしまったのだった。
「すごい! なんと素晴らしい舞だ‼︎ 緋凰、おぬしはまだ芸人ではないと言ったな? という事は、まだ特定の主が付いていないのだろう」
膳を倒す勢いで立ち上がった鶯鳴は、ドスドスと歩いてくると、興奮気味に緋凰へ問いかけた。
「主? えっと……いないです」
どちらかと言えば、自分が瑳矢丸の主だけど、と思いながら緋凰は答えた。
鶯鳴はスッとしゃがんで目線を合わせると、満足したような顔をした。
「よし! ならばお前はこの館に残れ! 私が召し抱えようぞ」
「⁉︎」
若虎がしまったという顔をする。
——召し抱えられるなら……、緋凰は旗守家にほしい‼︎
ずっと緋凰は、身分の高い家の娘だと思っていたからそんな事考えもしなかったのだが、その様な身分であるならば、若虎自身の世話役にでも絶対したい。
そう思いながら、若虎はわずかに険しい顔をして緋凰を見た。
思わぬ申し出に緋凰は目を丸くして、たたずんでしまっている。
すると、隣に松丸がやってきた。
「じゃあ僕の世話役になってよ! ね!」
「松丸の……?」
一瞬、緋凰はそれも良いかな、と思ったが、すぐに考えを改めた。
「ありがとう。でも、私は兄上を守りたいし……。それに、私の事は父上が決めるものだから」
まだ小さいから自分の事を自分で決められないのだと思った鶯鳴は、
「ならば人を寄越してお前の父親を説得してやろう」
そう食い下がると、緋凰の頭を撫でた。
「でも……」
自身の身分の事をまだよく分かっていない緋凰が、これでいいのかどうか困惑してまごまごしていると。
「申し上げます。殿、ならばまずは書状を緋凰に渡しておくのはいかがでしょうか?」
本心を隠しながら若虎が提案をする。
それを聞いて鶯鳴は少し考え込むと、
「……そうだな。では私が自ら書状を書こう。それを父親に渡しなさい」
そう結論を出した。
「はい、分かりました」
ホッとして緋凰は鶯鳴に笑いかける。
「良いよって言ってくれるといいね!」
「そうだね〜」
呑気に笑い合っている緋凰と松丸を横目に、若虎は館を出たら自分もスカウトしようと懸命に考えを巡らしているのであった。
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