4-6 おいでなすった誘拐犯、緋凰流の『いかのおすし』
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。七歳
御神野 月ノ進 鳳珠……主人公の実兄。若殿。十六歳くらい
瑳矢丸……緋凰の世話役。九歳くらい
小さな石がポーンと放物線を描いて、緋凰の頭頂部にコンッと当たった。
「またかぁ〜。もう……」
上をむいて天井を見ながら、朝、厠からの廊下をスタスタ歩いて二の丸御殿の自室まで戻る——と。
ドンッと部屋の入り口付近で、瑳矢丸にぶつかった。
「痛っ。……何しているんです?」
「あ、ごめん。天井でねずみかなにかが走っているのか、また小石が降ってきたの」
「石? 天井から? 埃ではなく?」
打った鼻を撫でながら説明した緋凰の真上を、瑳矢丸も確認してみた。
どっしりと重厚感のある美しい檜皮葺の屋根の裏、まだそんなに古い建物ではない為、木材達もツヤツヤとしている。
掃除も行き届いているようで、埃すらあまりあるように見えなかった。
「私には石など落ちてきた所、見た事ありませんよ」
「え? もうだいぶ前からこんくらいの石、落ちてくるようになったよ。……瑳矢丸がここに来るようになってからだったかなぁ」
おかしいな? といった顔で、緋凰はもう一度天井を眺めると、
「建て付けが悪い……とか?」
全国の大工さんに戦慄が走りそうな言葉を口にする。
「ま、考えてもしょうがない。お腹すいた〜」
空腹に負けた緋凰は原因究明を諦めると、そのままパタパタと廊下を小走りにかけて朝餉に向かって行く——。
「きゃっ」
「わぁっ!」
ドンッ——バシャ!
すると、廊下の角から出てきた若い使用人の女とぶつかってしまった。
しかもその使用人の持っていた桶の中の水を頭から被ってしまい、緋凰は濡れネズミになる。
「冷たっ! もぉ〜こんなんばっかり! 最近特に運が悪すぎるぅ〜」
「大丈夫ですか⁈」
顔をしかめながら、とりあえず手で水を払っている緋凰を横目に見て、瑳矢丸は手前で倒れている使用人の女を助け起こした。
「だから! 廊下は走らないっていつも言っているでしょう‼︎ ほら、ちゃんと(女に)謝ってください!」
何度注意しても直らない緋凰の悪い癖に、瑳矢丸はプンスカ怒ってきた。
「あ、そうだ! ごめんなさい‼︎」
いつも仲良くしてくれているその使用人の女に、緋凰は素直にぺこりと頭を下げて謝る。
「申し訳ありませんでした。大丈夫ですか?」
瑳矢丸も若い女に怪我がないか目視して無事を確かめると、いっしょになって謝罪した。
「いいえ! そんな、大丈夫です‼︎ 失礼しました!」
瑳矢丸の美貌に顔を赤くすると、女は顔を手で隠し、わたわたと廊下の角を曲がって、そこで見ていた他の使用人達とキャッキャしながら行ってしまった。
鼻に入った水を懐から出した手巾にフンッと出しながら、緋凰は感心する。
「さすが瑳矢丸。『絶世の美貌』だね!」
去年よりまた背が伸びて顔立ちも引き締まり、幼さが抜けてきた瑳矢丸なので、先程の一二、三歳程の若い娘達が色めき立つのも無理はない。
「そんな事より、最近ほんとに廊下で人にぶつかりすぎです! ……さあ、早く着替えないと。風邪ひくから」
「はぁい……」
お互いにため息をついて、二人は緋凰の部屋に戻っていったのだった。
ーー ーー
主食はイワナの塩焼き、副菜にイモの煮っ転がし、今日は豪華に白米で、香の物は大好きな胡瓜のお漬物、そして——。
(あっ、まただ! 何か違う感じ……)
朝餉に出された汁物に口をつけた緋凰は、妙な違和感から汁を飲み込まなかった。
(最初は全然分からなかったけど、おじいちゃん(包之介)がいない時のお料理って、たまに何か変な味がするというか……気のせいなのかなぁ)
しかしこの前の時、本当にわずかな違和感が出た料理を食べた後、強烈な腹痛に襲われた事を思い出す。
しかも、トイレに籠るのも申し訳なかったので、裏山まで一人で走り、こっそりぶりぶりしていたら、まさかの弓炯之介が瑳矢丸と探しに来てしまうという、緋凰にとっては恥ずかしさのあまり憤死したくなる事態になってしまったのだった。
(気のせいかなぁ……。でも前もそう思って食べたら酷い目にあったし……弓炯之介さんがぁ〜……)
残すのは料理人達に申し訳ないと思うが、あの苦い思い出には逆らえずにそっとお碗を置くと、緋凰は両手を前に合わせる。
「……ごちそうさまでした」
他の物は綺麗に平らげてあるのに、汁物だけ全く手をつけていないのを見た瑳矢丸が、斜め後ろから心配そうに声をかけてきた。
「どうしました? またお腹が痛いのですか?」
「ううん、これなんだか変な味がしてさ。腐って——」
奥の料理人達に聞こえないようにヒソヒソとそこまで言って、緋凰はハッとした。
「兄上! 大丈夫⁈」
えっ? となった鳳珠の膳にあるお碗をぱっと取ると、緋凰は少し口に含んでみる。
(あれ? 兄上のはいつもの味だ……。私のだけ? ……ならいいか)
横でその行動を見ていた瑳矢丸が、緋凰の汁物を確認しようと、お碗を持って口を近づけた所、主のお膳ですよ、と周りの使用人達に注意され、慌ててやめた。
不思議な顔をしてお碗を置く緋凰を見て、鳳珠は心配な顔になった。
「どうしたの? またお腹が痛いの? 無理して食べなくていいからね。お薬飲む?」
緋凰が武術を始めたあたりからよくお腹を壊しているので、訓練がよほどストレスなのだろうと、鳳珠はいつも心配でならない。
(あ、そういえば兄上のお膳には毒味役がいるから、腐ったモノなんてないか)
自分より兄が一番の緋凰には、鳳珠に害がなければもうどうでもよかった。
「大丈夫、お腹痛くないよ。今日は町の道場の日だから、もう行くね」
最近では月に二回ほど、緋凰は城下町の道場に出稽古に行くようになっていた。
鳳珠はその事をあまりよろしく思っていないので、渋い顔をしながら緋凰の頭を撫でる。
「いつも瑳矢丸と二人だけで出歩いて大丈夫なの? 悪い輩にはくれぐれも気をつけて」
「うん、分かったよ! 変な人には近づかないし、声をかけられたらソッコーで逃げるからね! 危ない所にも行かないから」
鳳珠を心配させないように、緋凰はニッコリ笑うと、
「じゃあ、行ってきます!」
そう言って元気に部屋を飛び出して行ったのであった。
ーー ーー
「わっ! コレにする、可愛い布!」
「これ? ……すみません! これください」
緋凰が選んだ布を手に取り、瑳矢丸が店の奥に向かって店主を呼んだ。
出稽古が終わり、道場から帰る途中に緋凰はいつも買い物を楽しんでいる。
この寄り道は緋凰にとって、至福の刻であった。
しかし……。
「はい、お代はたしかに。ではお供の方、どうぞ」
店主はそう言って、緋凰に会計済みの商品を渡す。
もう、瑳矢丸の方が主人だと間違われるのに慣れてしまった緋凰は、何も言わずにありがとう、と受け取った。
「違いますって! お供は私ですから‼︎」
瑳矢丸の言葉に、店主は真っ青になると、
「これは大変失礼致しました、若君様!」
と言って、また間違えたまま頭をさげる。
(たまにはちゃんと『お嬢さん』なんて言われてみたいなぁ〜)
緋色の可愛い刀を帯刀していても、やっぱり男の子に間違われてしまう緋凰は、訂正しようとした瑳矢丸を制してそのまま店を後にした。
今日の空模様は曇りなのだが、緋凰は日除の笠を被って歩き出す。
「緋凰、いいのか? 間違えられたままで」
町では主従としてよりも、友達として歩いている方が都合がよいので、いつもと違って瑳矢丸は、緋凰の隣を歩きながら友達言葉で話しかけてくる。
『姫』という言葉が人々の耳に入らないように、本名で呼ぶこともかなり特別に許していた。
「しょうがないよ。着物も可愛いのじゃ悪い奴に攫われちゃうって兄上が心配するから、強そうにみえるやつにしてるもん。どうしようもない……」
せめて淡い色がよかったな、と深い紺色の小袖と黒い袴をつまんで不満を露わにするも、仕方がないと諦めている。
「いつか女の子の格好で思い切りオシャレして町で買い物するんだ〜」
そんな願望を抱きながらさっさと歩いていると、人通りが途切れた道にさしかかった。
すると突然、二人のひょろっとした男が道を塞ぐように出てきた。
(邪魔だなぁ)
避けて通ろうとしたら、瑳矢丸に肩を掴まれたので緋凰は歩みを止める。
「なあに? どうしたの?」
そう問いかけていたら、後ろにも二人の男が出てきた。
(囲まれた?)
町へ出るようになってから、こんな状況は初めてだったので、緋凰が訳もわからずキョロキョロしていると……。
「噂通りだな、スゲェ上玉じゃん〜」
「これなら確実だ、遊んで暮らせんな」
瑳矢丸を見た後ろの男達がボソボソ話している。
すると、前にいる男が近寄ってきた。
瑳矢丸は無言で片腕を使い、緋凰を背に隠す。
「坊ちゃん達〜、お兄さんと遊ばない?いいとこ連れてってやんよ〜。おいしいお菓子とかオモチャがあって楽しいんだぜ〜。皆いて遊んでんぞ〜」
ニコニコしながら愛想よく男が話しかけてきた。
(こっこれは! 亀兄が教えてくれた誘拐犯のつかう誘い文句だ‼︎ ホントにこうやって言ってくるんだ……)
従兄の亀千代の言葉を思い出す。
『誘拐犯はとにかく、そいつにとって甘い言葉でついてくるように誘うからな。お前、菓子やるとかオモチャあるからとか言われてついて行くんじゃねえぞ。あと、割と普通の顔してんぞ』
緋凰は瑳矢丸の肩越しに、男達をガン見してみた。
(ホントだ。あんまり怖い人には見えないなぁ。それにしても、やっぱり私は男の子に見えるのね)
緋凰は鳳珠に教えてもらった悪い輩に出くわした時の対処法を思い出す。
現代による子供の連れ去り防止の合言葉『いかのおすし』にあたる。
(ええっと、まずは……)
『いかのおすし』その1、『いか』
(知らない人にはついて『いか』ないだ!)
緋凰は瑳矢丸の背中からひょこっと顔を出して、
「いかないよ! もう帰るから」
とキッパリ断った。
すると男は、
「そうなんだ。家はどこだい? 送っていってあげよう。籠にのれるよ〜、らくちんで楽しいぞ」
にっこり笑って再度誘った。
(あ、また亀兄の言った通りだ……)
『いかのおすし』その2、『の』
(知らない人の馬や籠(現代の車にあたる)に『の』らない)
緋凰は顔を覗かせたまま、
「歩いて帰るから乗らないよ! 通してください」
キッパリと断った。
すると、痺れを切らした隣の男が、
「いいからさっさと来い!」
さっきの雰囲気から一変して急に怖い声で怒鳴ってきた。
『いかのおすし』その3、『お』
[たすけて! と『お』お声を出す]
だが緋凰は、
「いかないっていってるじゃんか‼︎」
うっかり誘拐犯に睨みをきかせて大きい声で怒鳴ってしまう。
「うるせぇ! 来やがれ‼︎」
ドスのきいた声で叫ぶと、男は瑳矢丸の腕を掴もうとした。
「瑳矢丸に触らないで‼︎」
ぱっと前に飛び出た緋凰はその男を目一杯つきとばした。
緋凰は力が強いので、男はドーーンと吹っ飛んで尻もちをつく。
『いかのおすし』その4、『す』
(次はえっと、何だっけ……あっ、そうだ! 連れていかれそうになったらすぐ殴れだ!)
違う。
[連れていかれそうになったら『す』ぐ逃げる]である。
だが緋凰は……。
「コイツ‼︎」
優しく言葉をかけていた男が顔を怒らせて緋凰に掴み掛かろうとするので、
「どっせえええい‼︎」
その手を左手でバシッとはじいて男の腹に右手で正拳突きを力一杯入れた。
「ぐふ……」
男が気絶して倒れたのをみて、尻もちをついた男と後ろの二人が襲いかかってきた。
だが緋凰と瑳矢丸は抜刀する事もなく、体術でそれぞれに男達を片づける。
もう二人はそこいらの大人よりも、はるかに強かったのだった。
「『誘拐』なんて初めてだよ。怖っわ!」
緋凰がしみじみと伸びている男達を眺めていたら、
「全然怖がってなかっただろ……。いいから、行くぞ」
瑳矢丸が手を取り、緋凰を引っ張って帰路についた。
その後も、城にたどり着くまでに二組の誘拐犯の団体に襲われたのだが、二人は全員をたたき伏せて、無事城の外門まで帰り着いたのだった。
(あっそうだ! 最後に……)
『いかのおすし』その5、『し』
(近くのおとなに、なにがあったかを『し』らせる。だ)
緋凰は警備で立っている門番のおじさんの所へ、てけてけ走っていくと、
「おじさん! さっきね、私、悪い奴らをボコボコにして倒したんだよ‼︎」
と、元気いっぱいな声で知らせる。
「? そうですか、それはようございましたね。おかえりなさいませ凰姫様」
何の事かよく分からなかったが、門番はにこりと笑って返した。
「なぜそこに報告なんだ?」
それを見て瑳矢丸は首をかしげるのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します!




