4.脱走劇その3
読んでくださり、ありがとうございます。
至らぬ点も多いかと思いますが、
皆さまに楽しんで頂けるよう、がんばります。
「すまん、見失ってしまった」
汗だくになり肩で息をしながら、百敷達は申し訳なさそうに刀之介をかえりみた。
ここは奥の間近くの縁側だったので、部屋の反対側は外に開けている。
「まずいな。外に出られたか」
刀之介も辺りをぐるりと見回していたら、さっきの武人二人も合流した。
「しくじりました」
「とりあえず、急ぎ門を閉めて……」
皆が上がった息を整えつつ、次の対策に出ようとした時、
「忠桐‼︎ (刀之介)」
と鋭い声が聞こえて、全員が凍りついた。
奥の間から出てきた殿である煌珠が向こうから歩いてくる。
後ろに義弟の天珠も続く。
「何の騒ぎだ! 賊か⁈」
辺りを警戒しながら、煌珠は問うてきた。
この殿は娘である緋凰に顔が激似で、案外可愛らしい顔をしているのだが、恐ろしく無愛想なのと武闘派で気が超絶強いので、目つきは常に鋭く可愛げがない。
物言いがキツい事も多いので、恐れる者もまた多かった。
そんな人物なので、刀之介ら五人は急いでひざまずくと慎重に言葉を選んで素早く報告する。
「申し上げます。賊はおりません。ただ、凰姫様が迷い込まれておりまして、先程ここで見失ってしまいました。申し訳ありません」
「は? 凰姫? 緋凰の事か? あのチビがここにいる訳ないだろう」
「いらっしゃったのです。二の丸からお一人でこられたようで……」
「はぁ⁈ 一人だと? おい! 警備はどうなっている‼︎ あ? 何で逃げるんだ?」
煌珠はイライラしながら外を見渡す。
その様子に、刀之介は焦りながら早口で報告を続けた。
「申し訳ありません! 私の怒った顔を見て怖くなってしまわれたようで……」
「顔? それはない。あのチビは天珠の顔を見慣れているからな。人の顔など怖くないだろう」
「……それどういう意味?」
煌珠の言葉に、いかつい顔の天珠はちょっと傷つきながら、その縦にも横にも大きな筋肉ムキムキの身体を、縁側からストンと落として地面に降りた。
息子らが悪さをした時に逃げ込む所と言えば……。
そう考えながら天珠は身をかがめて縁側の下を覗き込むと、その態勢のまま横に動いていく。
すると、移動した所にある奥の柱の横から、小さなお尻がちょこんと出ているのを見つけた。
「いたいた、緋凰」
天珠が縁側の下に声をかけたのを聞いて刀之介達は驚くが、見つかって良かったと心から安堵したものだった。
「お〜い、俺だ。お前のたくましい叔父上だぞ〜。出ておいで」
その声に緋凰はパッと喜んだ。
(やったぁ! 叔父上のお屋敷に行ける‼︎)
「俺と一緒に二の丸御殿に帰ってお団子でも食べよう」
(ぎゃあああ!)
天珠の提案に、緋凰は絶望する。
自分の呼びかけに応じないどころか、ガタガタ震えだした小さなお尻を見て不思議に思い、何を怖がっているのか天珠は考え出した。
するといつの間にか横に煌珠が、後ろに刀之介が縁側からおりてきている。
「姫様! 誰も怒っておりませぬ。怖がらないでお出ましになってください!」
刀之介も呼びかけるが、お尻はちっとも動かない。
「クソめんどーだな」
煌珠が悪態づきながら、腰をかがめて縁側の下に入ろうとした。
その首根っこをガッと天珠がつかむと、お殿様の体をポイっと後ろに投げてしまった。
「おいっ‼︎」
尻もちをついた煌珠が怒鳴ってくるが、天珠は気にしない。
その様子をみて向こうにいる百敷達は、殿にこんな事が出来るのは義理の弟であるこの人と、大殿(煌珠の父)くらいだ、とハラハラした。
「律ノ進様(煌珠)は前に、こうやって縁側の下にいた猫をひっぱり出そうとして、バリかかれましたよね」
刀之介が真顔になって小さな声で注意を促す。
「いつの話だよ! 子供ん時じゃねぇか」
煌珠が座ったままグーで刀之介の肩を殴ってきた。
煌珠には、荒小姓としてつかえながら、学友も兼ねて共に学問や武術等を学んだ者達がいる。
天珠や刀之介もまたその一人だった。
ふぅ、と息をついた刀之介は百敷達に見えないように、座ったままさり気なく煌珠の足を踏んづけてやる。
くだらないケンカで二人がにらみあっていたら、天珠がもう一度緋凰に呼びかけた。
「そーだ! 今日は美鶴んトコにお華の先生がくるんじゃないかなぁ。生花好きだろ? 俺の屋敷に遊びに来るか?」
(やっったあぁ‼︎)
「いくっ‼︎」
ウ○コ座りで力いっぱい叫んだ緋凰は、いそいそと縁側の下からはい出てくる。
嬉しくなって顔を上げたその笑顔が……固まった。
座っている天珠の隣で腕を組み、ふんぞりかえって立っている煌珠と目が合ったのだ。
(ちっ父上⁉︎)
煌珠が来ている事に全く気づいていなかった緋凰は、驚きのあまり息が止まってしまう。
「お前、そんなに俺んトコが嫌なのか?」
冷ややかな目をして低く出された父の声に、緋凰は魂が消し飛んだ。
(こ、怖いよぉ……。嫌とゆーか……)
もう、おたねが叩いた事を訴えようかと思ったのだが、あの脅し文句のせいで声すらだせない。
(おたねの言ったこと、ホントかも。殺されちゃう……)
自然に正座した緋凰はうつむいて拳をぎゅっと握ると、地面をにらんだまま動かなくなってしまった。
それを見ている天珠が、横にいる煌珠に向かってまあまあ、と諌めはじめる。
「別に嫌とかじゃないだろう。今日は若様が外出でいないから寂しくなって追いかけただけさ」
緋凰の兄、鳳珠は生まれつき病を患っている。
その為、外出の時は多く人がついて行くので、御殿には人が少なくなるのだった。
天珠は助け船を出して仲裁すると、
「さあおいで、緋凰。若様が戻るまで美鶴と遊んでいるといい。そうしなさい」
そう言って緋凰に向けて両手を広げた。
(叔父上はもぅ神様だ! そうに違いない‼︎)
緋凰の目には、天珠に後光が差していてキラキラ輝いて見えた。
大きな懐に飛び込もうと腰を浮かせたその時。
突然、隣にいる煌珠がドーンと天珠のでかい身体ををふっ飛ばした。
(わあーー‼︎ 叔父上ぇー‼︎)
緋凰の動作がピタリと止まる。
「何を……」
上半身を起こして怒鳴りかけた天珠だったが、次の煌珠の行動に目を見張って言葉を失った。
刀之介もまた同じく、驚きのあまり口をあけて固まってしまう。
無表情の煌珠は緋凰の前に立つと、両手を差し出してそのまま抱き上げ、そっと自分に引き寄せたのだ。
父親の行動そのものだった。
煌珠が緋凰を疎んでいるらしき事は、身内である御神野家一族と刀之介の一族である真瀬馬家の一部の者しか知らない。
百敷達は遠くから、親子だね〜と微笑ましく見ている。
だが事情を知っている天珠と刀之介は、煌珠が娘を抱いているという初めての光景に、手は自然と口元に、感動で目には涙まで出てきてしまっていた。
(⁉︎ ……父上が抱っこしてくれた‼︎ わぁ〜い!)
突然の行動に驚きはしたが、嬉しくて緋凰は煌珠にぎゅっとしがみついた。
ところが。
ハッと何かに気づいた煌珠の顔が、みるみる険しくなってゆく。
——同じ、コイツの……。
抱き寄せてみて初めて気がついた。
娘の緋凰は、亡き最愛の妻と同じ匂いがする。
バッといろんな感情が一気にこみあげてきたのを、理性を使って強引にねじ伏せると、煌珠は緋凰の体を自分からベリっとはがして半回転させる。
そのままポイっと天珠に向かって緋凰を投げてしまった。
「わ、わあ⁉︎」
感動も束の間。
天珠が飛んできた緋凰を慌てて受け止めようと気を取られている隙に、煌珠は足早に横を通り過ぎると奥の間に消えて行ってしまったのだった。
向こうで百敷達が驚いてざわざわしながら煌珠の後ろ姿を見送る中、唯一刀之介だけがその横顔を見た。
ハッとした刀之介は腕をつかんで引き止めようと一瞬手を上げかけて止まる。
追いかけようかとも思った。
だがそうした所で、かける言葉が見つからない。
いずれにしろ、煌珠自身がそんな事望まないのが分かっていたので、何もできずに刀之介はその場で立ち尽くしてしまった。
天珠もまた、顔を見ずとも煌珠の心情を察しておもわず緋凰をぎゅっと抱きしめる。
そのまま二人は、大切な妻を失った煌珠の悲みが、一秒でも早く癒えるように祈る事しか出来なかったのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。