3-6 緊張の弓術訓練
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。六歳
御神野 月ノ進 鳳珠……緋凰の実兄。若殿
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様
鷹千代……天珠の三男。八歳
真瀬馬 弓炯之介 義桐……鳳珠の護衛。
瑳矢丸……緋凰の世話役。
星吉……鳳珠の小姓
伊那……伊農の娘。女兵士。十四歳
紫衣那……伊農の妻。軍師補佐役と弓術指南役。
その澄んだ瑠璃色の瞳が真っ直ぐに的を見据えると、弓矢を持つ両拳にグッと力がこもる。
キリッと弦を開いた瞬間——!
ヒュッと矢が放たれた。
「え⁉︎ 放つの早っ!」
瑳矢丸が小さく驚きの声をあげる。
美しく弧を描いた矢は、見事に的の真ん中を射たのだった。
「すっっごぉぉーーい! 兄上‼︎ 綺麗でカッコいい‼︎」
高速で拍手をしながら、緋凰は大興奮で鳳珠の元へ駆け寄っていく。
「え? 緋凰⁈ どうして射場に? ここは危ないよ!」
驚きながら弓を置いてしゃがむと、鳳珠は緋凰の両肩をそっと持った。
「あれ? 姫ちゃんだ」
隣で共に練習をしていた星吉も覗き込んでくる。
星吉は鳳珠の小姓であるが、やはり銀河と同じで待遇が普通とは違う。
幼い頃、訳あって当時まだ八歳だった鳳珠が自ら手元に引き取ってきた子供で、緋凰達の母である鈴星も自身の名を与えて可愛がっていた。
ゆえに、ほとんど鳳珠の弟のような待遇を煌珠は与えていたのだった。
「星吉も上手なの?」
笑顔で問うてきた緋凰に、星吉も笑いながら答える。
「私なんてぜ〜んぜん、的に当たらないんですぅ。あ、弓炯之介様や伊那様はお上手ですよぉ」
向こうで名のあがった二人が謙遜した顔で笑ったのを見て、緋凰は挨拶しようと駆けていく。
「こんにちは。弓炯之介さん、伊那お姉さん」
「こんにちは、凰姫様」
ニコリとした弓炯之介の笑顔は、今日も後光がさしているように眩しい。鼻血が出そうな思いだ。
「ご、ご機嫌よう……姫様。今日も愛らしくて……」
頬を赤くして何かを堪えるようにぷるぷる震えている伊那を見て、周りの仲間達がからかい始めた。
「『お姉さん』だって! 伊那〜」
「あはは、姫様が可愛すぎて固まっちゃってる! 伊那ちゃん面白い〜」
今日も元気な若者達と一緒になって緋凰も笑っていると、
「さあ、戻ろうか」
迷い込んできたと勘違いした鳳珠がそう言って、緋凰の手を取ったのだった。
「お待ち下さい、若様」
若者達の後ろから聞こえる艶やかな女の声が、鳳珠を引き止める。
そして、ゆっくりと一人の女が歩いてきた。
「姫様は本日、弓のお稽古にいらしております。まもなくお殿様もおいでになりますから今少し……」
背が高く、女らしい身体の曲線がしっかりとでているこの豊満な胸の美女は、この国の軍師補佐役であり、弓術の指南役の一人だ。
「紫衣那殿、それは一体——」
鳳珠が問い詰めようとしたその時、
「殿の御成である!」
入り口から鷹千代を連れた煌珠が入ってきたのだった。
鳳珠は矛先を変えると緋凰から手を離し、歩いていって煌珠の前に立ちはだかる。
「父上、どう言う事です? 緋凰が弓の稽古などと……」
ジロリと睨まれた煌珠は、たじだじになって適当な言い訳を必死になって考えると、息子をなだめにかかる。
「いや、なに……。運動もしないといけないだろ? ほら、護身にもなるだろうし。なっ、怒ると身体に悪いから落ち着け」
その様子を見て周りの者達は、
——相変わらず殿は若殿に弱いなぁ。
と少し興味深々で見ている。
煌珠の隣にいた鷹千代は目が合うと、緋凰と隣にいる瑳矢丸の元に走ってきた。
「緋凰も今日から弓を習うんだ。瑳矢丸は初めてじゃないよね?」
「はい、もちろんでございます」
鷹千代の問いに、瑳矢丸は笑顔で答えた。
「え? 瑳矢丸はもう出来るの? どうしよう……わたし、できるかなぁ。難しそう」
緋凰は何だが不安になってきてしまう。
「大丈夫! 練習すればきっと上手になるよ。さあ、準備に行こう」
「うん! 鷹ちーと一緒に練習する‼︎」
その鷹千代の元気な笑顔に、緋凰の不安は一瞬で散っていったのであった。
ーー ーー
「ぐ……ぎぎ……」
渡された弓の弦を、試しに緋凰は引いてみたが、思ったよりもだいぶ硬い。
それでも頭の後ろまで開てみると……。
つるっとすべって、手から離れた弦が勢いよく耳に当たってしまった。
「痛ったぁい!」
「だっ大丈夫⁈」
鷹千代が青ざめ、瑳矢丸が急いで当たった耳を確認する。
「気をつけて下さい!……一応冷やしますか?」
大事には至らない事が分かると、瑳矢丸は必死に注意をした。
大丈夫だと緋凰が二人に頼りなく笑いかけた時、向こうから煌珠が呼んでくる。
「早く来い! 三人とも」
緋凰と瑳矢丸は不思議な顔で鷹千代と共にそちらに向かった。
「何ですか? 父上」
たどり着いた緋凰が、煌珠を見上げて尋ねる。
「……俺がお前達に教えるんだろうが。グズグズするな」
「えぇ⁉︎ 父上が先生なの?」
「不満か?」
「そうじゃないけど。優しく教えてね♡」
「断る」
「はああ⁉︎ じゃあやだ〜」
煌珠の返答に、即座にやる気を削がれた緋凰の横で、お殿様が自ら教授してくれるというあまりの恐れ多さに、瑳矢丸はチーンと気絶しかけている。
「凰姫、伯父上……殿は国一番の弓の名手なんだよ。知らないの?」
鷹千代は興奮気味に話すが、
「全然知らない」
と緋凰は興味ゼロの不届きな発言をかます。
「……いいから始めるぞ。鷹千代と瑳矢丸は一旦下がっていろ」
少し苛立った声で煌珠が指示を出したので、慌てて二人は壁側に退いて行った。
「緋凰、横にきて少し離れろ。そしてよく俺を見ているんだ。よいか?」
「はい」
指示通りに緋凰が横に立ったのを確認して、煌珠は動作に入る。
軽く足を開いてしっかりと立つと、緋凰に見せる為に手前でゆっくりと矢を弦にかける。
煌珠が横を向いて的を見据えた瞬間、緋凰の心臓がドクンと警戒した。
(この……感じ、前にも……)
煌珠のまとう雰囲気が一変している。
(そうだ……お祖父様がお庭でお稽古していた時と……似てる)
ただ、祖父の閃珠の威圧感はもっと豪快な感じだったが、煌珠のそれはどこか軽やかでいて鋭い。
(何か、包丁で手を切りそうなあんな感じで怖い! でもやっぱり……)
両手を的の方へ突き出した煌珠は、右足を軽く曲げながら重心をずらして腰を落としつつ、グイッと斜めに力強く弦を開いた。
緋凰は背筋に冷たいものを感じながらも目をしっかりと開いている。
(……見たい)
キリッと引き分かれた所で、前方を見る煌珠の瑠璃色の瞳が澄んでいった……。
いつの間にか神経を研ぎ澄まして集中している緋凰の胸の鼓動が、ドキドキと早くなっていく。
フッと空気がとまった気がしたと思ったら、
ヒュッ——。
矢が放たれた。
美しい弧を描きながら、トスッと的のど真ん中に命中する。
見ていた者達がわっと小さく歓声を上げた。
しかし緋凰は、的を見ていない。
矢が飛んでいっても、ずっと煌珠を見ている。
(次……)
煌珠の雰囲気が崩れていない。
次の矢をつがえた煌珠は、今度は普通の速さで一連の動作を繰り返すと、二本目の矢を放つ。
そしてさらにもう一本矢をつがえると、素早く放った。
(すごぉい……)
三本の矢全てが的の真ん中におさまっている。
でもやはり、緋凰は煌珠だけを見ていた。
身体の緊張をといた煌珠は緋凰の方を向く。
目があっても、そのあどけない瑠璃色の瞳は焦点が合っておらず、ぼんやりしているようだった。
——脳裏に焼き付けている……のか?
煌珠はそのままの体勢で、緋凰の意識が戻るまでしばらく待つ。
二人が互いを見ながら動かないので周りは不思議に思うが、邪魔ができる雰囲気ではないので、あたりはシン……と静まり返ってしまっていた。
やがて、まばたきを合図に緋凰が現実に戻ったのを確認すると、煌珠は与太郎に矢を持って来させてその一本を差し出した。
「次はお前だ」
その言葉に、皆が目を見開く。
——え? 何の指導もなくいきなり? 無理だろう。
周りがどよめく。
緋凰は急に視界に入ってきた矢を無意識につかむと、その体勢から煌珠の真似をして動作に入る。
(えっと、足をこう開いて、矢を弓に……)
左手で矢を弦にかけると、的を見据えて両手を突き出した。
——お、珍しい。左引きか〜。
皆がふむふむと興味深げに眺めている中で指南役の紫衣那が、ハッとして急いで緋凰の前面がよく見える位置に走った。
(一番カッコいいとこ……)
片足を曲げ、グッと腰を落とすと、力の限り弓を斜めに引き分ける。
ここからだと煌珠の射た的は少し斜めだが、そんな事はどうでもよかった。
(今!)
頭で再生されていた煌珠が矢を放ったと同時に、緋凰は手を離す。
ヒュッと風を切って飛んでいった矢は、的の煌珠の矢が刺さっている場所から少し離れた程度の場所にトスッと刺さった。
——あ、当たったーー‼︎ 初めてじゃないのか⁈
皆がボーゼンとしている中、緋凰はさらに煌珠を真似て次は普通の速さで、最後は素早く矢を射ると……。
二本目と三本目は、的の端に突き刺さったのだった。
それを見て、煌珠は矢を渡しながら次の指示を出す。
「緋凰、今度は右手だ」
「みぎ? えっと……」
受け取った矢を右手に持つと、的とは反対方向に矢じりが向いてしまうので、緋凰は慌てて身体を反転した。
そしてもう一度、煌珠の姿を思い起こす。
右手に矢をつがえて的を見据えると、先程と同じ要領で三回射た。
三本とも似たような位置に刺さったので、的は矢だらけになってしまった。
「両利きなのね」
紫衣那がニッと笑う。
周りの皆はなぜ初心者である緋凰が的に当てられるのか、もう信じられなくてあいた口が塞がらなかったのだった。
射るのが終わると、緋凰は一気に身体の緊張を解く。
するとドバッと汗が吹き出てきた。
「ぷはーー! 暑っつう〜」
袖でぐいっと額の汗を拭くと、緋凰は興奮して煌珠に話しかけた。
「父上すっごーーい‼︎ 綺麗でとっってもカッコよかったよ!」
「……あっそ」
にこにこしながら褒める娘に、煌珠はついっと横を向くと無表情でそっけなく返す。
——あっ……。
その仕草をみて鳳珠は目を見張った。
煌珠は緋凰の方に向き直ると、
「とりあえずお前は向こうで腕立て伏せを千回しろ」
と無茶を言う。
「父上! 何を言いなさるのです‼︎」
慌てて走ってきた鳳珠が止めに入ったが……。
「腕立てってなあに?」
体力作りというものに無縁だった緋凰が煌珠に質問をした。
「……向こうで誰かに聞け」
「あと、せんかいってなあに?」
「……」
さらにきた緋凰の質問に、煌珠はもしやと嫌な予感がする。
「お前、数がかぞえられないのか?」
「そんな事ないもん!」
「いくつまで数えられる?」
「六っつ!」
手のひらで指を六本立ててふんぞり返っている緋凰を見て、煌珠と鳳珠は愕然とした。
——せめて十までいけよ! あんのクソ子守ぃぃーー‼︎
今となっては名前すら思い出せなくなった緋凰の元子守のおたねを、煌珠は盛大に呪うのであった。
「いいわね〜。ドキドキする……面白くなりそう♡」
そう言って不敵に笑った紫衣那を、娘の伊那は見逃さなかったのだった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します!




