3-5 ドッキドキの馬術訓練
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。六歳
御神野 律ノ進 煌珠……緋凰の父。お殿様
御神野 豪ノ進 天珠……緋凰の叔父。煌珠の妹の夫。武将の一人
真瀬馬 刀之介 忠桐……重臣。武将の
真瀬馬 弓炯之介 義桐……鳳珠の護衛。刀之介の長男
瑳矢丸……緋凰の世話役。刀之介の三男
「ねえ、やっぱり瑳矢丸も……好きなの?」
「ええ、もちろん。好きですよ……。可愛いですね」
「……やっぱ無理!」
ぱっと逃げ出そうとした緋凰の腕を瑳矢丸はサッと掴む。
「……ちゃんと好きになってくださらないと、言う事聞きませんよ」
そう囁やく瑳矢丸の言葉に、緋凰はさらに緊張してしまう。
「うぅ……、今度じゃダメ?心の準備をしておくから……」
緋凰の身体に、後ろからしっかりと瑳矢丸は腕を回してギュッと持った。
「もう、何言ってるのですか!行きますよ、さあっ!」
瑳矢丸は ぐるっと力づくで自分の体ごと緋凰を反転させると、繋がれている馬の前までよいしょよいしょと運んでくる。
「怖いよぉーー!餌やりなんて無理‼︎噛まれるってぇーー‼︎」
「大丈夫ですって!怖がるからダメなんですよ!馬に愛情を持ってあげないと言う事聞きませんし、そもそも馬術なんてできませんからっ‼︎」
後ろから羽交締めにしつつ、瑳矢丸はニンジンをもっている緋凰の右手をなんとか馬の口元に持っていこうとする。
「ぐぎぎ……」
たが緋凰が両足を踏ん張りつつ、腰を落として後ろに下がろうとするので、なかなか餌が馬の口に届かない。
目と鼻の先にあるぷるぷる震えているニンジンを食べたくて、馬は懸命に歯茎を見せてカチカチと歯を慣らしながら食いつこうと頑張っている。
その様子を、前半セリフだけ聞いてると何だかヤバいなぁ〜などと、城の厩の馬丁(馬の世話役)達や、休憩などで詰めている役人達が笑って見物していた。
そこへ弓炯之介が厩に到着すると、この光景を見て慌てて走ってくる。
「こ、こら瑳矢丸!そんな無理強いをしても、どうにもならないだろう!」
「あ、弓炯兄上」
「弓炯之介さん⁉︎」
緋凰の心臓がドキリと大きくうつと、慌てて姿勢を正した。
瑳矢丸も体を離して、弓炯之介に向き合うと、苦言をあらわにする。
「ですが、もうずいぶんと経つのにちっとも餌やりができないんですよ。馬も可哀想です」
瑳矢丸がチクるので、緋凰は恥ずかしくなって下を向いた。
それを見て弓炯之介は、軽く目で瑳矢丸を叱ると、緋凰の前に片膝をつく。
「凰姫様。本来なら今日は父の刀之介がご教授いたします所を仕事が終わらない為、私が代わりに参りました」
(ひょえーー⁉︎ どうしよう! 弓炯之介さんが馬術教えてくれるなんて、緊張するぅ)
真っ赤になって固まっている緋凰に、弓炯之介はにこりと笑って優しく問いかける。
「姫様は馬がお嫌いでしたか?」
急いでぶんぶんと首を振ると、緋凰はしどろもどろで答えた。
「嫌いではないのです……。乗るのも横に立つのだってできるのですが、なぜか馬の顔が怖くて……」
「そうなのですね。では、馬の髪をといたり体を洗ってみたりする所から始めてみませんか?」
(それならできるかも⁈)
緋凰は笑顔になると、
「はい! やってみます‼︎」
と元気よく弓炯之介に答えた。
瑳矢丸は、何かしら気に食わない顔でぶすっとむくれると、馬の手入れの支度を始めたのだった。
ーー ーー
「きゃ〜♡ 面白い! 楽しい‼︎」
弓炯之介の細やかな配慮と指導により、緋凰はあっという間に小ぶりの馬を乗りこなし、手綱を持って一人で広場をくるくる馬を走らせていた。
そこへ、まさかの煌珠が現れた。
厩でダラダラしていた者達が仰天してバタバタ起き出し、一斉にキビキビと仕事をし始めたり、行儀良く休憩していますよとさり気なくアピールしていたりする。
煌珠は馬丁に指示を出し、緋凰達の元に歩いて来た。
「あれ?父上だ」
緋凰は急いで弓炯之介の立っている場所まで馬を走らせて背から降りると、瑳矢丸と三人で煌珠を迎えた。
緋凰を見るなり煌珠は文句を言い始める。
「おい、何であんな小さな馬なんだ?もっとデカいのにしろ」
それを聞いて弓炯之介は慌てて片膝をつき、瑳矢丸もそれに習う。
「申し訳ありません。姫様は本日初めての馬乗りでございましたので、お身体の大きさに合わせた馬をご用意させて頂いた次第で……」
「もう普通に乗りこなしていたから、こっちに替えろ」
煌珠がアゴで指した方を三人が見ると……。
風になびく美しいたてがみ。
艶々と輝く黒い肌。
筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》のごつくてずっしりとした立派な馬が、ブルンブルン言いながら口取りをしている馬丁に喧嘩を売っていた。
——もうすでに暴れそうな馬が来たーー‼︎
瑳矢丸と弓炯之介が絶句している横で、緋凰は悲鳴をあげた。
「むっ無理だよ! こんな……せめてあっちの方がいい!」
向こうで軽く運動している二、三頭のおだやかそうな馬と黒馬を交互にみていると……。
「あれ?」
黒馬の顔を見た緋凰は、脳裏に封印されていた記憶が突如、蘇ってくる。
(あっ! あの馬『黒曜』だ! 叔父上の馬だ‼︎)
小さい頃、叔父である天珠の屋敷で不用意にこの馬に近づき、凄い勢いで噛まれそうになった事を思い出した。
玄珠が助けてくれなければ、恐らく手が無くなっていたであろう。
「ぎゃあ‼︎ 怖い! 怖すぎる‼︎」
トラウマの元凶を思い出して弓炯之介の背中に隠れてしまった緋凰を見て、煌珠は命を下す。
「乗れ。ぐずぐずするな」
それでも動かない緋凰に、みかねた弓炯之介は優しく声をかけて促す。
「姫様、私がついております。大丈夫です、行きましょう」
差し出された手をおずおずと握ると、不思議と緋凰の心から少し恐怖心が薄れたようだった。
そのまま弓炯之介は緋凰を連れて黒曜の前まで来ると、反対の手でそっと馬の鼻を撫でてやる。
すると、二人がかりで押さえられていた馬が、少し落ち着きを取り戻して大人しくなった。
「さあ、凰姫様。今のうちにどうぞ」
弓炯之介が手を離してしまったので、名残惜しくも緋凰は、刀を差している事を想定して馬の右側に立っている(本来は左側)瑳矢丸の前に進んだ。
「いいですか、絶っ対に怖がらないで。恐れたら負けですから! いいですね!」
強く念を押すと、瑳矢丸は両手のひらをくんで腰を落とす。
(負けるって何だろう)
疑問に思いながらも、緋凰は瑳矢丸の手に足をかけて、よっと上げてもらった。
ばっと飛んで鞍に手をかけようとした緋凰だったが、勢いが良すぎてそのまま馬の反対側に頭から落ちてしまった。
「わああ!」
ハシッと受け止められて横抱きにされた緋凰が顔を上げると、鼻がかするほど近くに弓炯之介の顔が飛び込んできた。
(きゃああーー!カッコいーー♡)
「大丈夫ですか?」
馬から落ちた事より、弓炯之介に抱っこされている事の方に失神しそうになりながら、緋凰はこくこくとうなずいてみせる。
呆れた顔の瑳矢丸にもう一度上げてもらい、ようやく黒曜の背に乗った緋凰は、弓炯之介についてもらいながら広場を何周か回ってみた。
「お上手です。では一度離れますから、そのままゆっくり回ってきて下さい」
緋凰が一人になっても順調に馬を進めていた時、瑳矢丸がふとある事に気がつく。
——あれ?殿が姫様を見ていない。どこを見ているんだろう?
娘の乗馬に見向きもせず、あさっての方向に煌珠が顔を向けているので、瑳矢丸は不審に思った。
煌珠がゆっくりと足元の石を拾う。
それを見た瑳矢丸は嫌な予感しかしない。そのまま後ずさりをすると、顔の向きはそのままに走り出す。
急に煌珠が黒曜に向かって石をぶん投げた!
ブヒィーーーーン‼︎
尻に石がぶち当たった黒曜は、ブチ切れて前足を力の限り上げると、そのまま勢いよく柵を蹴散らして走り出した。
「ぎゃああーーーー‼︎たーーすけてーー‼︎」
緋凰の悲鳴が前方に吸い込まれていく。
——やりやがった!あの殿ぉーー‼︎
瑳矢丸が手前にいる立派な馬にバッと飛び乗ると、急いで緋凰の後を追いかけていった——。
ーー ーー
「止まれ! ちょっと! 何で——」
どれだけ身体を後ろに倒しながら手綱を目一杯引いても、黒曜は止まらない。
それどころかますます機嫌が悪くなり、走る勢いが増していった。
「わっ、危なっ!」
体勢を崩しそうになったので、頑張って黒曜の首にしがみついた。
(勢いがすごすきて、身体の力が……抜けちゃう!)
絶体絶命になっていた時、
「凰姫ぇーー‼︎ しっかりしろぉーー‼︎」
後ろから声が聞こえてきた。
(瑳矢丸だ!)
首だけ後ろに向けると、もうすぐ斜め後ろに瑳矢丸が追いついてきた。
「手綱を! 真後ろに引っ張るな! その馬はもっと——」
「え⁉︎ 何⁈ 聞こえなっ——わあっ!」
瑳矢丸の声を聞こうと上半身を上げた瞬間、黒曜が跳ねて、バランスを崩した緋凰は手綱を離してしまった。
(しまった!)
強い向かい風にさらされ、足の踏ん張りが外れた緋凰は、そのまま後ろに転がっていき、さいごには馬の尻に身体がバウンドして宙に放り出された。
「凰——」
とっさに瑳矢丸は鞍に足を乗せると、馬の背を蹴って緋凰に向かって飛んだ。
空中で緋凰の身体を掴むと、頭を胸に引き寄せてギュッと腕で包み、地に落ちる衝撃に備えて自身も身体を丸める。
茂みに着地する瞬間——!
瑳矢丸達の身体がぐいっと上がった。
さらに後ろから馬で追いついてきた弓炯之介が、馬上から斜め下に体勢を崩して瑳矢丸達を受け止めたのだった。
馬上に引き上げてゆっくりと馬を止めると、弓炯之介は急いで二人を確認する。
「大丈夫か⁈ 凰姫様! 瑳矢丸‼︎」
返事もできず、しっかりと互いを掴んだまま、二人は目を回して伸びてしまっていたのであった。
ーー ーー
事の顛末の報告を受けた煌珠が、思ってたのと違うといった顔で考え込んでいると、
「お、殿も凰姫様の馬乗りをご覧にいらしておりましたか」
そう後ろから声をかけられた。
煌珠が振り向くと、にこにこした顔で刀之介が歩いてくる。
「……さすがお前の息子達は度胸があるな。大したモノだ」
そう言うと、煌珠は何食わぬ顔で刀之介とすれ違って行ってしまった。
「何だ? 娘が心配で見ていたのがバレて照れているのか? なかなか可愛いじゃないか」
ハハっと笑って刀之介が広場を見ると……。
そこには不穏な空気でざわざわと人がうろたえている姿や、一部柵が蹴破られているのを見た。
「なっ、ちょっ、何が起きたんだ! 殿! 殿ぉーー‼︎」
刀之介が血相を変えて振り向くも、すでに煌珠の姿は豆粒になっていた……。
その後、練兵場で訓練をしている最中、勢いよく乱入してきた愛馬に目を吹っ飛ばして仰天した天珠によって、黒曜は無事保護されたのであった。
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