2-16 緋凰と瑳矢丸、初めての命のやり取り
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。六歳
御神野 湧ノ進 閃珠……主人公の祖父。大殿
瑳矢丸……緋凰の仮の世話役。八歳
「ほれ! 早よせんか‼︎ こっちでいいんか?」
滑りやすく狭い山の坂道をものともしないで、閃珠はスルスル登ってゆく。
その少し後ろをゼーゼー言いながら、案内しているはずの瑳矢丸が懸命についていた。
——い、息切れ一つしていない⁈ 大殿の体力、どうなってんだ……?
ついに足が止まってしまった瑳矢丸を見て、もどかし気に閃珠は戻ってくると……、
「おわっ!」
瑳矢丸を肩にひょいっと担いで、また坂をスルスル登っていく。
「ここです! この崖です!」
坂を登り切った所で降ろされると、瑳矢丸は崖の先まで走る。
「ここから落ちて——へ?」
今度は瑳矢丸をバッとお姫様抱っこして、閃珠はそのまま崖からぴょんっと飛び降りた。
「のぉぉーーーー! 大殿ぉーーーーーー‼︎」
突然の急速な落下の恐怖で、瑳矢丸は思わず叫び声を上げたが、それでもしっかりと目は開けていた。
ガリガリと足で崖壁を削りつつも、閃珠はわずかな突起を足がかりにしてぴょんぴょん飛んで降りてゆく。
最後は瑳矢丸を抱えたままくるりと回転をして、スタンと地面に降り立った。
瑳矢丸を降ろして閃珠は辺りを見回すと、近くに不自然にたくさん散らばった木の枝を見つける。
その奥で、これまた不自然にへたっている雑草が続いているのを見ると、
「こっちか」
そう言って走り出した。
その後を慌てて瑳矢丸も追いかけたのだった。
ーー ーー
身体をわずかにぎちぎちさせながら歩いていると、低木に黄色い実がたくさんなっているのを見つけて足を止めた。
「まったく……。せっかくこないだの怪我が治ったっていうのに、また怪我して痛いし! 最悪じゃん‼︎」
緋凰はぶつぶつ文句を言いながら、金柑の実をぶちぶちもいで、モグモグ食べながらぺっぺと種を口から吹っ飛ばす。
「ちょっと休憩しようかな、身体痛いし。なんだか背中もぞくぞくする……。風邪引いたかなぁ?」
さっき煌珠に教えられた通りに火をおこそう、と枯れ枝を集める為に辺りを見回す。
「ん? あれ? 今、何か見た事あるようなものが……」
ぴたっと顔を止めて、今し方見た風景を頭の中で再現してみようとした。
すると、心臓がドクンドクンと波打ちはじめたので緋凰はわずかに動揺する。
(何? なんだろ……振り向いちゃいけない気がする)
身体の緊張に頭がついてきていない感覚だ。
(そう、さっき奥の茂みで光ったものがあった……。金色? 琥珀色みたいな——)
ふっ、と琥珀色の綺麗な目をしている瑳矢丸の顔が頭に浮かんだ。
『周りには、狼と同じ目の色だとからかわれるので——』
ドキン! と心臓が一つ大きく鳴った。
(——うそっ! 狼⁈)
身体がカチンと硬直する。
(いやいや、まだ昼間だから出ないでしょ。狼の狩りって夜——)
『お、今日は豊作っすね〜』
先ほどの岩踏の言葉が浮かび、北風の寒さで袂を必死に合わせていた自分を思い出す。
(あ! 冬で獲物が少ないから⁈ そうだ、だから昼でも狩りを——)
普段は集団で夜間に大きい獲物を狩る狼だが、冬は食べ物が少ないので昼でも広い範囲で、兎などの小動物を狩りに出ていたりするのだった。
(さっき焼き鳥食べちゃったから、ニオイで引き寄せちゃったの? どうしよう……)
とっさに自分の着物を嗅ぎながら、懸命に考える。
(どうやって逃げる? 身体痛いからあまり走れない……。そもそも走った所で狼の足に敵うわけない! それなら……)
手がそろりと石鞭に伸びた。
頭の中で、狼との戦いをなん度も模索していると、後ろでわずかにかさりという音と共に何かが動く気配がしてぎくりとした。
(ヤバい! 来る⁉︎)
覚悟を決めると石鞭を構え、手元で振り回しつつゆっくりと後ろを向く。
(いた! やっぱり……)
全体像は把握できないが、茂みの奥から金色の目が二つ……狼の顔の輪郭がうっすらと確認できた。
じりじりと睨み合いが続く……。
石鞭を振り回しながら、緋凰が一歩下がった瞬間——
バッと茂みから狼が飛び出した!
(でかっ‼︎)
狼の予想外の大きさにひゅっと肝を冷やすが、こういう時に目をつぶるとろくな事がないのは、おたねと関わっていた時に身に染みている。
目の前を見据え、ぐっと腰を落として踏ん張ると、勢いよく石鞭を振り落とした。
「ギャウ‼︎」
見事に狼の頭に命中して、たたき伏せたのを見るや、緋凰は背を向けて走り出す。
(足が! 身体が痛くてうまく走れない!)
後ろから、オーンと一声鳴いて地を蹴る音が聞こえた。
(また来る!)
緋凰は足にブレーキをかけて後ろを向くと、石鞭をヒュンヒュン振り回して、今度は飛びかかってきた狼の目を狙って横に払った。
バシンと狼の顔に当たるが倒すまでには至らず、再度狼が襲いかかってくる。
すんでの所で、緋凰は横にバッと飛んで狼の突進を避けた。
コロンと回転して起き上がった緋凰に、振り向いた狼が飛びかかろうと跳ねる——。
「キャウッ‼︎」
突如横に倒れた狼の耳元に小柄が刺さっていた。
驚いた緋凰が横を振り向くと、閃珠が遠くから走って来るのが見えた。
「お祖父様‼︎」
大きく呼ぶと、緋凰は祖父の元へ走り出す——
と、その時!
横の茂みからバッと別の狼が飛びかかってきて、緋凰の身体が倒れた。
——喰われた⁉︎
「緋凰ぉーーーー‼︎」
閃珠の叫び声がこだまする。
……だが、緋凰は喰われていない!
狼の牙が届く寸前、とっさに仰向けに体勢を崩して真下によけたのだ。
緋凰の背がドッと地面に打ちついたとほぼ同時に、顔を狼の腹がかすっていった。
狼が着地した瞬間、到着した閃珠が思い切り蹴っ飛ばした。
吹っ飛んでいった狼と入れ違いに小柄が刺さった狼が閃珠に踊りかかったのだが、抜刀されてそのまま切り伏せられた。
「凰姫‼︎」
遅れて到着した瑳矢丸が緋凰を起こそうと腰をかがめると、
「おにいさ——‼︎」
その後ろからまた別の狼が走ってくるのが見えた。
緋凰は起き上がりざま瑳矢丸とすれ違うと、狼に石鞭をくらわせてパッと飛びのき、瑳矢丸の背に自分の背を合わせた。
——この人⁉︎
この瞬間、瑳矢丸は緋凰が、ただ守られているだけの姫ではない事を悟った。
ハッと顔を上げると、前から狼が走ってくるのを見て、瑳矢丸はここにくるときに拾った棒切れを構えると、相手が間合いにくるギリギリを見極めて殴りかかる。
「ギャ‼︎」
狼が倒れ伏したその後ろから、さらに別の狼が飛んできた。
それに気づいた緋凰は、とっさに反転しつつ瑳矢丸の身体を片腕で後ろに押して狼の軌道から外す。
二人の横を通り過ぎて着地した狼の背を石鞭で力の限り叩いた。
瑳矢丸もまた、別の狼を相手に武術を駆使して倒しにかかる。
……間もなく、勝ち目がないと見るや否や、狼達は散り散りに逃げていったのだった。
辺りが静まりかえり、狼の気配が完全に消えると、肩で息をしていた二人はそろりそろりと互いに向き合う。
「……凰姫」
先に声をかけたのは瑳矢丸だった。
その声に緋凰の緊張がふっと切れると、急に恐怖感がどっと押し寄せてきて、我を忘れて瑳矢丸に抱きついた。
「おにーーさん‼︎ おに……うわあああーーーーん‼︎」
胸にしがみついてブルブル震えながら号泣する緋凰を、瑳矢丸も無意識にぎゅっと抱きしめる。
「……凰姫……よかった……」
緊張が解けた瑳矢丸もまた、ブルブルと身体が震えだす。
これが二人にとって初めての命のやり取りだった。
抱き合って震えている二人を見て閃珠はゆっくりと歩いてきて隣に立つと、
「よく頑張った! 二人とも……」
そう言って大きく両手を広げて、緋凰と瑳矢丸を懐に抱きしめたのだった。
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