2.脱走劇その1
読んでくださり、ありがとうございます。
至らぬ点も多いかと思いますが、
皆さまに楽しんで頂けるよう、がんばります。
夢中になって走っていたら、間も無く大きな門を見つけたのでそこから外に出ようと、緋凰は登城する人々のなかにうまく混じって門を抜けた。
だがその門は外への門ではなく、役人が政務を行ったり会議をしたりする本丸表御殿への門である。
前の人のお尻についていくと、大きな建物に吸い込まれそうになって、緋凰は慌ててその列から離脱すると、キョロキョロ辺りを見回した。
(あれ? 外じゃない……。どうなってるの?)
ふと見ると、建物の入り口伝いに少し離れた所にある小さくて簡素な門で、何台かの荷車を引いて入っていく人々がいた。
(あ、あそこから外に出られる)
緋凰は走って近くまでいくと、またお尻たちに混じって門を抜けた。
しかし、ここもまた外に出る門ではなく、庭園への出入り口で、そのお尻たちは庭師の人々であった。
庭師たちは緋凰が小さ過ぎて気が付かない。
そのままいっしょに、建物にそって歩きながら緋凰はキョロキョロしていた。
きれいに整備された見事な庭園。
その反対側に立つ建物の中では、ちらほら人が廊下を歩いていたり、部屋では男が数人座って話をしているのが見えたり……。
(あれ? あの人って……)
部屋で座っている男達の中で、見た事のある横顔があった。
初めての場所で、知らない人しかいない中、妙な安心感を覚えて緋凰は建物に引き寄せられていく。
縁側まで来てよくよくのぞき込んでみると……。
襖の開け放たれた部屋で、体格の良い男が三人、ややふっくらとした体つきの男と、細身の男の計五人の男達が、向かい合わせに座っていてあーだこーだと会議をしていた。
見覚えのある男はここからだと後ろ姿で、今は奥を向いてしまって顔が分からない。
もっと近くで確認したくて、緋凰は縁側に登って草履を脱ぐと、それを懐にねじこんで四つん這いになりながら、静かに部屋へ近づいていく。
襖の影に隠れつつ男の斜め後ろにくると、バレないように気をつけながら顔を確認しようとした。
その時。
襖から見て向いに座っていたふっくら男が一人、緋凰の存在に気がついた。
——子供? いやいや、こんな所にあんな小さな子供がいるはずがない。
男は書類から片手を離すと、目を閉じて指で目頭を軽く揉んだ。
——最近仕事が立て込んでいたから、疲れているのかな? 幻覚が……。
目をぱちぱちさせると、もう一度同じ所を見てみる。
……やっぱりいる。
小動物が警戒などしている時みたいに頭を上下にゆらしながら、自分の向いに座っている真瀬馬刀之介忠桐をめちゃくちゃ見ている。
男が固唾を飲んで見ていると、それに気がついた隣の細身の男がヒソヒソと声をかけてきた。
「百敷殿、どうされたか?」
会議が続いている中、緋凰から目を離さずに百敷もヒソヒソと返事をする。
「……座敷わらしがおる。ほれ、真瀬馬殿の後ろに……」
「……えっ? ホンモノ⁉︎ 縁起良くないか? ってかなんか殿に似てるし」
「……ほんとだ。愛らしいなぁ」
二人でついクスクス笑っていたら、さすがに向いに座っている刀之介がその声に気がついて、怪訝な顔で百敷達に尋ねた。
「何か?」
問われて百敷が慌てて弁明する。
「あ、申し訳ない。その、貴殿の隣に、可愛い座敷わらしが……」
「……?」
居眠りしていて寝ぼけているのか?と思いながら、刀之介は百敷達の目線の先を見た。
すると……。
ふすまから頭だけ出して自分をガン見している緋凰と目がバチッと合った。
「うわわっ!」
驚いてわずかに腰が浮き、手から書類を落とした刀之介を見て、緋凰はパッと襖の後ろに引っ込んだ。
「え、え? 座敷……」
刀之介は急いで襖の反対側をのぞいてみると……。
そこには、手を頭で抱えて全身をダンゴムシのように丸めている子供の背中がある。
ドキドキしながら刀之介はそっとその背中にふれてみた。
「まあ、人だよな……」
ふっと息をついた刀之介は、周りを見回して保護者らしき人がいないのを確認すると、まんまるの緋凰に声をかける。
「こら、子供。どうやってここに入ったのだ?」
警備はどうなっているのだと内心ブチ切れながら、刀之介は緋凰の肩を軽くつかんだ。
ドキリとした緋凰が、おそるおそる後ろを見ると……、
(あ、やっぱり。カッコいいおじさんだ)
見知った顔の刀之介に少しホッとする。
叔父の屋敷で世話になっている間、何度か見かけた事があったし、お菓子をくれたりもしたので、緋凰は刀之介に好印象をもっていた。
でも、名前は覚えていない。
端正な顔立ちの中の凛々《りり》しい目元は、どこか武人である叔父の天珠や父の煌珠に形は違えど雰囲気が似ている。
とりあえず『カッコいいおじさん』といつも呼んでいた。
「……ええ‼︎ 凰姫様⁉︎」
緋凰と分かって仰天した刀之介がすっとんきょうな声を出す。
「何⁉︎ 凰姫様??」
その声を聞いて部屋の男達がどよめいた。
ハッと我に返った刀之介が急いで緋凰を立たせると、
「ささ、とりあえずこちらへ」
と部屋の中心に連れてゆく。
緋凰を上座に立たせると、男達は一斉にひざまずいて頭を下げた。
刀之介は顔をあげると、慌てた様子で緋凰に質問をする。
「姫様、お連れの者はどうされたのです? はぐれてしまわれたのですか? どのようなご用件があったので? あ、殿に会いに来られたのですか?」
矢継ぎ早に質問されて緋凰は何から答えていいかわからなくなり、うつむいてしまった。
「真瀬馬殿、真瀬馬殿、まぁ少し落ち着かれよ」
百敷が刀之介の斜め後ろまで進み出ると、緋凰にむかってニッコリ笑う。
「初めまして、凰姫様。わたくしは百敷喜左衛門博楽と申します。姫様はお一人でここに来られたのでしょうか?」
コロンとした丸顔の、福々《ふくふく》とした優しそうな顔の百敷の質問に、緋凰はうなずいた。
「二の丸御殿からお一人ですか?」
百敷の次の質問に一瞬とまどったが、まだまだ嘘をつけない緋凰は小さくうなずく。
すると——。
「そんな! お一人で御殿から出てしまわれるなど、いけません‼︎ さらわれてしまいますぞ!」
驚きのあまり、刀之介はつい語気を強めて緋凰を叱りつけてしまった。
端正な顔立ちとはいえ、刀之介は武術に精通している根っからの武人であり、けっこう気が荒い。
その鋭い目つきは、正論を言われていると分かっていても、怖いものは怖かった。
緋凰はちびりそうになりながらぷるぷる震えると、目に涙が盛り上がってくる。
その姿を見て、しまった! と刀之介はうろたえた。
「あ〜あ、泣かせちゃって……。刀之介様はすぐ怒るから」
刀之介の後ろにいる二人の男のうち、若くて筋肉がガチムキの男があきれて言った。
「バカな! 怒ってなどおらぬわ‼︎」
その若者もまた叱り飛ばすと、刀之介はつとめて優しい声で緋凰に話しかけた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ご安心を! この刀之介がちゃんと姫様を二の丸御殿にお送りいたしますので」
(いっ嫌だ‼︎ 戻らない!)
驚いた緋凰は、ぱっと縁側から外に出ようと逃げ出した。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。