おまけの巻/鳳凰、朝の目覚め
読んでくださり、ありがとうございます。
○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。この国のお姫様。
御神野 月ノ進 鳳珠……主人公の実兄。若殿
瑳矢丸……緋凰の世話役
銀河……二の丸御殿での鳳珠の世話役
星吉……鳳珠の小姓
雨が朝からしとしとと降り続いている。
薄闇の中にたたずむ二の丸御殿の周りでは、小鳥達も今日は静かだった。
さらさらと雨音が響く部屋の中で、一人の美しい少年が目を覚ます。
「……起きるか」
まだ完全には覚めていない頭で、布団を畳み、着替えをすませて念入りに身なりを整える。
支度が終わると、そのまま部屋を出た。
朝のひんやりとした空気に体を震わせながら、静かな廊下を歩いて行く。
瑳矢丸の世話役としての一日が、始まろうとしていた。
土間に入ると、美しい天女が立っているのを見て瑳矢丸の心臓がぴょこんと跳ね上がる。
その天女は目が合うとにこりと微笑んだ。
「おはようございます、瑳矢丸さん。いつも早いですね」
その笑顔と声で、瑳矢丸の頭は一気に覚醒して目に映る世界が色付いてゆく。
「おはようございます。銀河さんもお早いですね」
美しい銀河と言葉を交わす、この至福の刻のために生きているといっても、過言ではないのかもしれない。
今この二人きりの貴重な時間、何を話そうか?
瑳矢丸がドキドキしながら口を開きかけた時、
「おはようさ〜ん」
祖父の包之介が戸口から入ってきた。
その直後に、他の使用人達も続々と現れ始める。
瑳矢丸のゴールデンタイムは一瞬で終わった……。
「おはようございます」
銀河はにこやかに挨拶を返すと、洗顔の為の水の入ったおけに手拭いを入れる。
「では若様(鳳珠)の所に参ります」
「いってらっしゃいませ。ついでに凰姫様も起きればいいのだけれど……」
瑳矢丸の切実な願いに銀河はふふっと笑った。
「わが国の鳳凰さまは朝に弱くていらっしゃいますわ。また後から起こしてくださいね」
そう言って銀河はひと足先に、主の部屋に向かって行った。
ーー ーー
その頃、別の部屋で星吉が目を覚ました。
眠い目をこすりながら、横を見る。
すると隣の布団では、毎晩一緒に寝ている鳳珠が背中を向けて眠っていた。
星吉は寝起きがすこぶる良い。
すぐにムクリと起き上がると、鳳珠を起こしにかかった。
「おはよう若様。朝だよ〜」
いつもの事だが、声をかけただけではこの鳳は目覚めない。
「若様、わ〜か〜さ〜まっ。起きて!」
肩をガシッとつかんで左右にゆさゆさとゆするも反応はない。
ごそごそと鳳珠の布団に潜り込んで、こちょこちょ体をくすぐってみても……駄目だ。
「わかさま〜、おはよーー!」
しまいには鳳珠の頭に上半身をどーーんと乗っけてみた。
すると——。
「うぅ……ほし……苦しいよ……」
うめき声をあげてさすがに鳳珠が起きた。
だが、目はつぶったままだ。
次はどうしてくれようかと星吉の魔の手が鳳珠に忍び寄ろうとした時、部屋の外から声が掛かる。
「おはようございます。若様、星吉さん」
それを聞いた星吉が、鳳珠の耳元で伝える。
「ほら〜銀河来たよ〜。入れていい?」
鳳珠がやっと目を開いた。
「……ん? ……分かった。起きるよ……」
星吉がパッと笑顔になって、そのまま部屋の外に声を掛けた。
「ぎんが〜。若様が起きたよ〜」
その声を合図に銀河がふすまを開けて中に入る。
「失礼いたします。……まずはお顔を洗いますね」
星吉に上半身を無理やり起こされた鳳珠の顔を、銀河が濡らした手拭いで優しくていねいに拭いていく。
星吉は鳳珠を持ったまま、しばしぼんやりとその光景を眺めていた。
もう手を離しても鳳珠は自立できそうだったので、星吉は自分も適当に顔を洗おうと銀河の横にあるおけまで進んだ。
おけに沈んでいる手拭いを取り出して絞っていると、鳳珠の顔を拭き終わった銀河が、横からそれを星吉の手からそっと取る。
手拭いをほぐすと、銀河は微笑んで今度は星吉の顔も整え始めた。
されるがままになっている星吉は、またぼんやりとして銀河の顔を眺めている。
「おまえ……いい奴だよな〜」
ぽそっと星吉はつぶやいた。
「ふふ……ありがとうございます」
笑いながら銀河は応えた。
星吉の顔が綺麗になった時、ごそごそと音がするので二人が不思議に思ってふりむくと……。
「あっ」
「あら?」
鳳珠が、もぐらのように布団に戻ってゆこうとしていたのだった。
ーー ーー
「おはようございます。若殿」
使用人達は一斉に挨拶をした。
「……ん、おはよう」
まだ眠い目をこすってあくびをしながら、鳳珠が居間に入ってくる。
「おはよーぅ」
その横から元気に入ってきた星吉の後ろに銀河も続いた。
瑳矢丸は自分の主を探して見たが、姿はない。
緋凰が自分で起きるという奇跡はやっぱりおきなかった。
小さくため息をつくと、洗顔の為のおけと手拭いをもって立ち上がる。
「凰姫様を起こしに参ります」
鳳珠達に頭を下げると、廊下に向かう。
「おぅ、ちゃんと優しく起こすんだぞぅ」
すれ違いざまに星吉が瑳矢丸に声をかけた。
「はいはい。分かりました」
その言葉を聞く気などさらさらないが、瑳矢丸は一応返事をしておいたのだった。
ーー ーー
廊下を歩きながら、これから始まる毎朝の攻防戦を考えると、瑳矢丸は気が重くなる。
まもなく目的地に到着した。
緋凰の部屋の前でひざまずくと、瑳矢丸は部屋の中に向かって声をかける。
「おはようございます。凰姫様、起きる刻限でございます」
しーん……。
そりゃそうだ、第一声で起きるはずもない。いつもの事だった。
「お、は、よ、う、ございます! 起きて下さい!」
しーん……。
声かけなどで起きる凰ではない。
もはや強行手段があたりまえなのだ。
「入ります!」
返事を待つ気など全くない瑳矢丸は、立ち上がって襖を開ける。
部屋の中では布団の上に、掛け布団の夜着がミノムシのように細長く丸まっていた。
おけを置くと、瑳矢丸は枕元の辺りの夜着をはがしてみた。
すると尻がでてくる。
「何でだよ! 頭どこだよ‼︎」
ちまちま布団をはがすのが面倒になった瑳矢丸は、夜着を両手でがっしりつかむと勢いよくバサっと持ち上げた。
すると、緋凰がゴロンと転がり出てくる。
「ひぃ! 寒いよーー‼︎」
半分も開かない目で布団を探すと、緋凰は瑳矢丸が畳もうとしている夜着に、ぴょーんっと飛びついてひっついた。
「バッタかよ! 離れろってぇ!」
イラついた瑳矢丸はバサバサと布団を勢いよく振るが、緋凰は落ちてくれない。
仕方がないので瑳矢丸は、次の手段に出る。
手拭いをおけで濡らして軽く絞ると、緋凰の顔を無理やりべしべし拭いた。
「ぶへっ! つめたーーい‼︎ やめて〜」
「起きますか?」
「おきる! 起きますぅ〜」
降参した緋凰は、そのまま渡された手拭いで顔を洗った。
その隙にてきぱきと瑳矢丸は布団に戻ってこないように全部畳んで、部屋の隅に積み上げておく。
「では外で待ちますから、早く着替えて下さい」
そう言って廊下に向かう瑳矢丸に緋凰は声をかける。
「すぐ行くから、先に行って銀河を手伝ってきてよ」
振り向かずにぴたりと止まった瑳矢丸は聞き返す。
「……いいのですか?」
緋凰はニヤリと笑う。
「いいよ。よろしくね〜」
「じゃあ早く来て下さいね」
そう言って瑳矢丸は部屋を出て襖をしめた。
(行ったかな?)
静かになった所で緋凰は部屋の隅に向かう。
「その手に乗るか‼︎」
スパーンと襖が開いて、部屋に入った瑳矢丸は辺りを見回した。
すると、部屋の隅に積み上げられた布団の間に、頭から上半身を突っ込んで緋凰が二度寝を始めている。
瑳矢丸からは足と尻しか見えない。
「また尻かよ‼︎」
瑳矢丸はあきれながらも怒って、緋凰をガシッとつかんで布団から大根のように引っこ抜くと、やむなく最後の手段に出る。
「いいのですか? そろそろ殿(煌珠)がいらっしゃる頃じゃ……」
今日は雨なので、煌珠はこない。
だがその言葉に、遅刻した自分に向かって、獲物を狩る直前の虎のような形相をする父の姿を想像して、緋凰はガバッと立ち上がった。
「ぎゃーー‼︎ 殺されるぅーー‼︎」
パッと瞬足で着替えまでたどりついた緋凰を見て、慌てて瑳矢丸は部屋を出る。
速攻で支度を終えて、パシーンとふすまを開けると、緋凰はわたわたと転がるように居間へ走って行く。
「やっと起きた……」
その後ろを、げっそりとした瑳矢丸が追いかけていったのだった。
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