8-34 別れ際の真実
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○この回の主な登場人物○
御神野 緋凰(通称 凰姫)……主人公。鳴朝城のお姫様。十四歳。
翠一郎……旅の途中で出会った見た目は美少女の少年。十二歳くらい。
篠御前……根張城の城主慶之助の正室。
茉雛……篠御前の娘。十三歳くらい。
陽明……茉雛の守り役。学者。
真雪のように白い小袖の上には幸菱の浮き織りによる白綾の打ち掛け。
夕刻に近づいている濃い青空の下では、早々に焚かれた篝火が照らす根張城の大手門から、直垂の礼服姿である食氷慶之助が侍女を伴い美しく着飾った花嫁を連れ出でてゆっくりと歩んでいる。
やがて、用意されていた白輿へ花嫁が入ってゆくと、担ぎ手が立ち上がると同時に侍女たちや護衛らが周りを囲み、先頭に立って誘導する西の国の使者が慶之助と傍にいる椿殿へ挨拶を終えて出立する。
担い唐櫃や長持ちなどで花嫁道具を運ぶ者たちが後方からたくさん付き従う華やかな花嫁行列はやがて、一目見ようと沿道に集まり、お祭り騒ぎとなっている城下町を抜けて西国へと旅立ってゆくのであった。
ーー ーー
そんなつつがなく花嫁を送り出したその日の早朝では、婚礼場所とはほぼ逆の位置となる場所の国境にて、別の一行が旅立とうとしていた。
「じゃあ雛ちゃん、道中は無理をしないでゆっくりと……くれぐれも気をつけてね。……えっと、私の故郷は良い所だから……う〜んと、絶対に気に入ってくれると〜思うよ〜」
向かいあって送別の言葉を述べている緋凰なのだが、肝心の送られる側である茉雛から、被っている笠が斜めだの袂がゆがんでいるだの、最後までちょこまかと世話を焼かれていて目を点にしている。
完璧に緋凰の身なりを整えて満足した茉雛は、少し不安げな顔つきとなって問いかけた。
「凰さんも、故郷へ帰ってきますか? また……お会いできますか?」
「もちろん、必ず帰るよ! その時はすぐに雛ちゃんに会いに行くから、待っててね」
「はい、待っていますから……。必ず、また凰さんとお会いできますように」
そう願いを口にして茉雛がパッと抱きついたので、緋凰もまたギュッとして返すと身体を離しざま安心させるように笑顔を見せてやるのだった。
その様子を隣で見ていた翠一郎が斜めがけにしている短弓の位置を整えつつ、思い出したように緋凰へ声をかけてくる。
「確認だが、百敷喜左衛門という人に会えば良いのだよな」
「うん、百敷先生なら根張城の事をもしかしたら知っているかもしれないから。それにとても博学で親切なお人だから、翠一郎も安心できると思うよ」
緋凰の実家である御神野家の重臣で外交を任されている人物でもあり、人に対して面倒見も良い所があるが故に、緋凰は翠一郎に託した文の中で、必要であれば茉雛たちを手助けしてやってほしい、とこっそり書いておいてあるのだった。
「うん。あとその人には、何か凰にしか分からない癖や特徴みたいなものはないのか?」
「え? 癖? そうだねぇ——」
妙な質問だと思いながらも、緋凰は百敷喜左衛門との思い出を頭の中で探ってみる。
「先生はね、大人しそうだけどご飯をむっちゃくちゃたくさん食べるんだよね。だからお顔もお身体もふっくらしていてね——って、でもそんな人はたくさんいるかな? あっ、そうそう、いつも考え事ばかりするからそそっかしい所もあるんだ。う〜ん、でもそれだと父上もそういう所があったから先生だけとは言えないか……。でも、どうしてそんな事を?」
「その先生とやらは、なかなかに身分のある人なのだろう? いきなり俺のような子供が訪ねて行ってお前の友だと言っても信じてもらえるかどうか」
「ああそうか、私の友だと分かる証かぁ……」
悩ましげな顔をする翠一郎と一緒になって頭をひねり、俯いた緋凰の目にある物が飛び込んできてあっと声をあげた。
「では、これを持っていって」
そう言うなり緋凰が腰に帯刀していた脇差しを、麻の鞘袋(刀袋)ごと引き抜いて差し出してきたので、それを見た翠一郎が仰天した。
「ば、馬鹿な事を言うな! 刀は武士の命だし、それはずっと使っている気に入ったものなのだろう?」
「そうなんだけどね、でもこないだから思ってはいたんだ。旅に出るなら身を守るためにも翠一郎は刀を持っていた方がいいって。それに、今度の旅は私がいない上に、いざとなったら雛ちゃんをも守ってほしいから……お願い」
そう真剣な眼差しで言われた翠一郎は、しばしためらった後に意を決して両手を伸ばしたのであった。
「鞘に小さく家紋が入っているから、先生ならすぐに分かるはずだよ」
脇差しを受け取り、翠一郎はそう説明を受けながら鞘袋ごと腰に差し終えると、今度は自身の短弓と背中の腰に差していた矢を身体から外している。そしてそれを、不思議そうに見ている緋凰の目の前に差し出したのだった。
「では、凰にはこれを」
「どうして? それこそ翠のお気に入りではなかったの?」
「戦に出るわけではないのだ、たくさんの武器など必要ないだろう。重たいし」
確かに、と笑った緋凰もまた、そのまま弓矢を受け取ったのであった。
「先生や伯父上たちによろしくね」
「任せておけ、すぐに故郷の様子を調べてきて戻ってくるから」
そう言って笑った翠一郎の横で茉雛がわずかに俯いたのを緋凰は見逃さず、その様子に少し考えてからひとつ提案をしたのである。
「ねえ、翠。君は文を送ってくれるだけでいいから、私の故郷に残ってくれないかな」
「え? なんで?」
急な発言に戸惑う翠一郎へ、緋凰は説明を続ける。
「私が戻るまででもいい、雛ちゃんのそばについていてあげてほしいの」
その言葉に驚いて顔を上げた茉雛を翠一郎はしばし見つめると、小さく息をついて納得したのであった。
「……そうだな、一人で待つのは心細いものだから、そうするよ」
「ありがとう、よろしく頼むね」
「心配ない、お前こそ必ず近いうちに帰ってこいよ。じゃあ——」
そう言うなり軽く手を広げてパッと飛びついた翠一郎を緋凰はサッとよけたので、あえなくその腕が空振りをする。
「最後ぐらいよけるなよ!」
「駄目です」
「おい!」
このいつものやり取りで茉雛が思わず笑っていたその時、後ろからためらいがちに声が掛かったのだった。
「さあ、二人とも。そろそろ——」
その呼びかけで三人が顔を向けたその先にいるのはなんと、袴での旅装姿で人目を忍んでいる篠御前なのである。
なんでも、東にある国の実家へどうしても行かなければならず、慶之助が従者の中に茉雛の守り役であった陽明をつけて国を出る許可を出し、娘の旅立ちを途中まで見送りに出るとの事であった。
別れの挨拶が済みそうな気配で少し離れて見守っていた桔梗がこちらへ歩み寄ってくるのが見えた為、茉雛は最後に緋凰の手を取った。
「それでは、凰さんのお故郷で待っています」
「うん、必ず会いにいくから」
互いにキュッと握ってからその手をゆっくりと離し、後ろ髪を引かれる思いではあるが、再会の希望を胸に、茉雛と翠一郎は踵を返して歩いてゆく。
道中の無事をひたすらに願いながら、緋凰は関所の向こうへ消えてゆく一行に、手を振り続けているのであった。
ーー ーー
一歩……また一歩と、土を踏み締めるように茉雛は歩いた。
もう二度と会えないかもしれないからと、右手に母である篠御前の手を、左手に守り役であった陽明の手を握っている。
見渡す限りの広大な農地にある田んぼには、所々に雪なのか霜なのかが綿のように白く点在しているが、遠く山の向こうにまで広がる大空は雲一つない清々しいほどの青であった。
「初めて国を出たけれど、まだそれほど景色は変わらないのね。凰さんのお故郷には海があるそうなの、同じ水なのに川とは全然違うそうよ。もし見ることができたら、必ず文に書くから」
茉雛は寂しさを紛らわすように笑顔を作り、途切れることなく両脇の二人へおしゃべりを続けていたのだが……。
——ずっとこうして、歩いていたかった……。
そんな願いも儚く、ついには来たくなかった次なる関所まできてしまう。
いよいよ家族との別れの時となってしまったのであった。
「茉雛。生きていれば、いつかまた会える日が来るかもしれません。何かありましたら必ず、必ず、知らせなさい。遠慮などはしないように」
「はい……。母上、ずっとずっと、大好きよ……」
向かい合って肩を持ち、頭を撫でながら懸命に言い含める母へ、何度も頷いて見せる茉雛の目からはどうしても涙が止まらない。
思っていた以上に別れが辛かった二人は、ついには互いに固く抱きしめあっているのだった。
そんな二人を切なげな顔で見つめている翠一郎の側まで陽明が歩いてくると、
「どうか、雛様をよろしくお願い致します。何かありましたら、必ず助けに参りますのでどうか……」
そう言うなり、深々と頭を下げている。
「はい、しかと心得ました」
翠一郎もまた、小さく頭を下げて返していると、ようやく篠御前から離れる事ができた茉雛が、今度は泣きながら陽明の前まで進んでくる。
「陽明……ぐす……ありがと……うぅ……」
その涙に込み上げてくるものを堪えながら陽明は片膝をつくと、懐から出した手巾でそっと茉雛の顔を拭いている。
「私の方こそ。雛様と過ごした毎日はとてもとても幸せでした。これからもどうぞ末永くお健やかに。貴方様が幸せに生きている事こそが、私の願いです」
その言葉にも頷いてから茉雛は無理やり笑顔を作った。
「ねえ陽明。私はもう姫でもないのだから茉雛って呼んで。いいでしょ?」
「それは、えっと……」
動揺した陽明が思わず隣を見上げると、目の合った篠御前がゆっくりと頷いている。
一度目を伏せて騒ぐ心を落ち着かせてから茉雛の目を見つめると、陽明は微笑んで言うのであった。
「いつまでもお元気で、……茉雛」
次の瞬間、感極まった茉雛が飛びついたのを、陽明は片膝をついたまましっかりと受け止めている。
首元に腕を回してギュッとしがみついた茉雛は、その耳元で小さく想いを伝えるのであった。
「ありがとう、——。」
届いた陽明の両目が大きく見開く。
その言葉に揺さぶられて、これまでにずっと押さえていた感情が堪えられなくなると、思わずその小さな身体を強く抱きしめてしまう。
そして瞳からとめどなく流れてゆく涙を抑える事もまた、できなかったのであった。
ーー ーー
数人の護衛隊に囲まれて歩いている茉雛は、関所の建物さえ見えなくなっているのにも関わらず、何度も振り返っている。
その悲しげな様子を見かねて、隣を歩く翠一郎はそっと声をかけた。
「なぁ、さっきは陽明さんに何を言ったのだ?」
それに気づいた茉雛は、目を合わせると寂しげに笑う。
「それは……、今はまだ内緒です。あ、そういえば。凰さんは最後まで翠さんにぎゅ〜させてくれませんでしたね。瑳矢之介さんってお方はとても厳しそうです」
急に話題を変えられた事に、翠一郎は何かを察してそのまま話を返している。
「そうでもないさ。誰だってヤキモチくらい焼くだろう。瑳矢之介が厳しいと言うよりは、凰がそいつを好きすぎて不安にさせないように気をつけているというように見えるな。それに……」
「それに?」
「肌が触れ合えば情も湧きやすい、って昔に聞いた事がある」
旅芸人一座で働いていた頃に、
『だから色男ってのは危ないのよね〜』
『ほんっと、大やけどするわ〜』
などと、一座の女たちが笑いながらお喋りしていた時を思い出しながら、翠一郎は前を向いたのだった。
その横顔を歩きながらぼんやりと見つめていた茉雛であったが、ふいにそっと翠一郎の片手に触れてみる。
「ん?」
何だろうと言った顔で再びこちらを向いた翠一郎に、軽く目を逸らしながら茉雛は呟くように聞くのだった。
「情……湧きますか?」
いっときだけキョトンとした顔になった翠一郎であったのだが、何やら可愛らしく感じて思わず吹き出してしまうと、
「さあな〜」
と言って、愉快そうに笑い出したのだった。
「……いじわるね」
顔を赤くしてむくれた茉雛を見て、ますます大きく笑う翠一郎は、触れていたその手を掬うようにして繋ぐと、キュッと握って返しているのであった。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




